↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フォルティニア戦記  作者: 引田コウ
第二章 王太子と山の民

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/44

第24話 市井の声⑤

昨日は予定があり投稿できませんでした。

 山賊。

 エーヴィンベルク山脈を根城とする賊。

 それがふもとの村々に降りてきては、家を焼き、蓄えを奪い、村人を苦しめている。

 しかも辺鄙な村だという理由で、まともな救いの手も差し伸べられていない。後回しにされ、見過ごされている。

 アルベルトは奥歯を噛みしめた。


 なぜ見過ごされてきたのか。その理由は痛いほどわかる。

 エーヴィンベルク山脈は王領とグリューン領、フロスガルド領のちょうど境目に聳えている。どの領の責任で討つべきか。その線引きが曖昧なのだ。誰もが「あれは隣の領の管轄だろう」と、互いに押し付け合う。そうして宙に浮いたまま誰も手を付けずにいる。

 加えてタングレー騎士団の本来の務めは帝国との国境警備。山賊の討伐はその役目の外にある。団長のベルクとて、勝手に兵を山賊討伐へ割くことはできない。

 縦割りの狭間。役目の隙間。

 そこに賊が巧みにつけ込んでいる。そして、その狭間で泣いているのはいつだって何の力も持たぬ、名もなき村人たちなのだ。


 ――くだらぬ。


 領の境が、役目の別が、何だというのか。困っている民がそこにいる。ならば誰の管轄だろうと関係ない。手を差し伸べる。それが王族の――いや、人としての当たり前の道理ではないか。


 ――そんなことが許されていいはずがない。


 アルベルトの胸の奥で、静かな、しかし確かな怒りが燃え始めていた。

 あの村の民も紛れもなく王国の民だ。辺境に暮らしていようと、小さな村に住んでいようと、その命の重さに変わりはない。

 王国の民が害を受けている。賊に踏みにじられている。それを見過ごすことなどできようか。


 ――民を守る。


 それは王族に生まれた者の果たすべき務めだ。

 いつだったか国境の軍議で、傭兵団の討伐を決めたときと同じだった。守るべき民がそこにいる。ならば動く。理屈ではない。アルベルトの魂に刻まれた信念だった。

 アルベルトは残りのエールをぐいと飲み干すと、卓に銅貨を置き、すっと立ち上がった。

 その顔はもう町をぶらつく気楽な旅人のものではなかった。

 一国の王太子。民を守る総大将の顔だった。


「……決めた」


 店を出たアルベルトは、エーヴィンベルク山脈の聳える方角をまっすぐに見据えた。

 遠く霞んで見えるその険しい山並み。あのどこかに賊の巣がある。


「あの山賊ども、この俺が討つ」


 静かに、しかし揺るぎなく。

 アルベルトはそう決意した。


 とはいえ一人でできることではない。

 相手は数十、あるいは百に及ぶかもしれぬ、組織された賊。地の利も向こうにある。これを討つには相応の兵が要る。タングレー騎士団の力を借りねばなるまい。

 だが――と、アルベルトは苦笑した。


 ベルク団長はまず間違いなく渋い顔をするだろう。「殿下は治水の管理にいらしたはず。山賊討伐などお役目の外にございます」と。ブリュッケ卿もゼンベルク卿も、口を揃えて止めるに違いない。「危のうございます」「どうか家臣にお任せを」と。

 いつものことだ。アルベルトの行く先にはいつも、それを諫める声がついて回る。


 だが、アルベルトの決意は揺るがなかった。

 諫められて退くくらいなら、はじめからこんな道は選んでいない。守るべき民が苦しんでいる。ならば動く。たとえ後でどれほどの雷が待っていようとも。


「……グレイがいたら、何と言うかな」


 あいつのことだ。きっとやれやれと肩をすくめながら――それでも結局は、隣で剣を抜いてくれるのだろう。「お前を一人で行かせるわけにはいかないからな」と、そう言って。

 その姿を思い浮かべると、不思議と心強かった。

 たとえいまは傍にいなくとも。背中を預けられる相手がいる。それは何ものにも代えがたい力だった。


 アルベルトは頭を切り替えた。

 決意したからには、ただ無謀に突っ込むわけにはいかない。相手は組織された賊。地の利も向こうにある。先の傭兵団のときと同じだ。まずは敵を知ることから始めねばならない。


 賊の人数。武装。そして根城の場所と構え。それらをつぶさに調べ上げ、確かな策を練る。そのうえでタングレー騎士団の力を借り一気に討つ。

 幸いこの東部には地形に明るい者も多い。村人や猟師の中には、あの山の獣道まで知り尽くした者もいるだろう。彼らの知恵も借りればいい。


 頭の中で次々と算段が組み上がっていく。それは軍議の卓に地図を広げ、石を並べていくあの感覚によく似ていた。

 不思議と胸が躍った。

 民を守るという大義。そして知略を尽くした戦。アルベルトの内に眠る戦人としての血と、為政者としての血とが、いままさに一つになって滾っていた。

 治水工事の管理監督としてこの東部へやってきた。だが、いまや新たな使命がその双肩に加わっていた。


 あの酒場で見た母子の、震える背中が瞼に焼き付いていた。

 もう誰もあんな目には遭わせない。あの山に巣食う賊を討ち果たし、この地に安寧を取り戻す。それがいま、この地に立つ自分の果たすべきことだ。

 アルベルトの胸の内で、決意はもはや岩のように固く据わっていた。


 もっとも――。


 またしても勝手に事を決めてしまったこの決断に、後で、どれほどの雷が落ちることになるのか。それは、このときのアルベルトにはまだ知る由もなかった。


 遠くエーヴィンベルクの山並みが夕日に染まり、赤黒い影となって東の空に横たわっていた。

 まるでこれから始まる戦いの行く末を暗示するかのように。

 その山の奥深く。賊どもはいまもぬくぬくと、次の獲物を狙っているのだろう。


 待っていろ、とアルベルトは胸の内で静かに呟いた。

 お前たちの好きにはさせない。あの酒場で見た母子の涙も。斬られたという村の若者の無念も。この俺が必ず晴らしてみせる。それがたまたまこの地に立つことになった、王太子としての――いや、一人の人間としての、せめてもの責務だ。


 夕日がゆっくりと山の端に沈んでいく。一日の終わり。だがアルベルトにとってそれは、新たな戦いの始まりを告げる合図でもあった。

 市民の装いのまま、アルベルトは力強い足取りで拠点への道を歩き出した。

 その背はもう微塵も迷ってはいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。