第24話 市井の声⑤
昨日は予定があり投稿できませんでした。
山賊。
エーヴィンベルク山脈を根城とする賊。
それがふもとの村々に降りてきては、家を焼き、蓄えを奪い、村人を苦しめている。
しかも辺鄙な村だという理由で、まともな救いの手も差し伸べられていない。後回しにされ、見過ごされている。
アルベルトは奥歯を噛みしめた。
なぜ見過ごされてきたのか。その理由は痛いほどわかる。
エーヴィンベルク山脈は王領とグリューン領、フロスガルド領のちょうど境目に聳えている。どの領の責任で討つべきか。その線引きが曖昧なのだ。誰もが「あれは隣の領の管轄だろう」と、互いに押し付け合う。そうして宙に浮いたまま誰も手を付けずにいる。
加えてタングレー騎士団の本来の務めは帝国との国境警備。山賊の討伐はその役目の外にある。団長のベルクとて、勝手に兵を山賊討伐へ割くことはできない。
縦割りの狭間。役目の隙間。
そこに賊が巧みにつけ込んでいる。そして、その狭間で泣いているのはいつだって何の力も持たぬ、名もなき村人たちなのだ。
――くだらぬ。
領の境が、役目の別が、何だというのか。困っている民がそこにいる。ならば誰の管轄だろうと関係ない。手を差し伸べる。それが王族の――いや、人としての当たり前の道理ではないか。
――そんなことが許されていいはずがない。
アルベルトの胸の奥で、静かな、しかし確かな怒りが燃え始めていた。
あの村の民も紛れもなく王国の民だ。辺境に暮らしていようと、小さな村に住んでいようと、その命の重さに変わりはない。
王国の民が害を受けている。賊に踏みにじられている。それを見過ごすことなどできようか。
――民を守る。
それは王族に生まれた者の果たすべき務めだ。
いつだったか国境の軍議で、傭兵団の討伐を決めたときと同じだった。守るべき民がそこにいる。ならば動く。理屈ではない。アルベルトの魂に刻まれた信念だった。
アルベルトは残りのエールをぐいと飲み干すと、卓に銅貨を置き、すっと立ち上がった。
その顔はもう町をぶらつく気楽な旅人のものではなかった。
一国の王太子。民を守る総大将の顔だった。
「……決めた」
店を出たアルベルトは、エーヴィンベルク山脈の聳える方角をまっすぐに見据えた。
遠く霞んで見えるその険しい山並み。あのどこかに賊の巣がある。
「あの山賊ども、この俺が討つ」
静かに、しかし揺るぎなく。
アルベルトはそう決意した。
とはいえ一人でできることではない。
相手は数十、あるいは百に及ぶかもしれぬ、組織された賊。地の利も向こうにある。これを討つには相応の兵が要る。タングレー騎士団の力を借りねばなるまい。
だが――と、アルベルトは苦笑した。
ベルク団長はまず間違いなく渋い顔をするだろう。「殿下は治水の管理にいらしたはず。山賊討伐などお役目の外にございます」と。ブリュッケ卿もゼンベルク卿も、口を揃えて止めるに違いない。「危のうございます」「どうか家臣にお任せを」と。
いつものことだ。アルベルトの行く先にはいつも、それを諫める声がついて回る。
だが、アルベルトの決意は揺るがなかった。
諫められて退くくらいなら、はじめからこんな道は選んでいない。守るべき民が苦しんでいる。ならば動く。たとえ後でどれほどの雷が待っていようとも。
「……グレイがいたら、何と言うかな」
あいつのことだ。きっとやれやれと肩をすくめながら――それでも結局は、隣で剣を抜いてくれるのだろう。「お前を一人で行かせるわけにはいかないからな」と、そう言って。
その姿を思い浮かべると、不思議と心強かった。
たとえいまは傍にいなくとも。背中を預けられる相手がいる。それは何ものにも代えがたい力だった。
アルベルトは頭を切り替えた。
決意したからには、ただ無謀に突っ込むわけにはいかない。相手は組織された賊。地の利も向こうにある。先の傭兵団のときと同じだ。まずは敵を知ることから始めねばならない。
賊の人数。武装。そして根城の場所と構え。それらをつぶさに調べ上げ、確かな策を練る。そのうえでタングレー騎士団の力を借り一気に討つ。
幸いこの東部には地形に明るい者も多い。村人や猟師の中には、あの山の獣道まで知り尽くした者もいるだろう。彼らの知恵も借りればいい。
頭の中で次々と算段が組み上がっていく。それは軍議の卓に地図を広げ、石を並べていくあの感覚によく似ていた。
不思議と胸が躍った。
民を守るという大義。そして知略を尽くした戦。アルベルトの内に眠る戦人としての血と、為政者としての血とが、いままさに一つになって滾っていた。
治水工事の管理監督としてこの東部へやってきた。だが、いまや新たな使命がその双肩に加わっていた。
あの酒場で見た母子の、震える背中が瞼に焼き付いていた。
もう誰もあんな目には遭わせない。あの山に巣食う賊を討ち果たし、この地に安寧を取り戻す。それがいま、この地に立つ自分の果たすべきことだ。
アルベルトの胸の内で、決意はもはや岩のように固く据わっていた。
もっとも――。
またしても勝手に事を決めてしまったこの決断に、後で、どれほどの雷が落ちることになるのか。それは、このときのアルベルトにはまだ知る由もなかった。
遠くエーヴィンベルクの山並みが夕日に染まり、赤黒い影となって東の空に横たわっていた。
まるでこれから始まる戦いの行く末を暗示するかのように。
その山の奥深く。賊どもはいまもぬくぬくと、次の獲物を狙っているのだろう。
待っていろ、とアルベルトは胸の内で静かに呟いた。
お前たちの好きにはさせない。あの酒場で見た母子の涙も。斬られたという村の若者の無念も。この俺が必ず晴らしてみせる。それがたまたまこの地に立つことになった、王太子としての――いや、一人の人間としての、せめてもの責務だ。
夕日がゆっくりと山の端に沈んでいく。一日の終わり。だがアルベルトにとってそれは、新たな戦いの始まりを告げる合図でもあった。
市民の装いのまま、アルベルトは力強い足取りで拠点への道を歩き出した。
その背はもう微塵も迷ってはいなかった。




