第12話 氷の皇女②
謁見が終わり、シャーロットの一行が退出していく。
アルベルトはいてもたってもいられず、父に断りを入れると足早に謁見の間を出た。回廊を進む帝国の一行の、その銀色の後ろ姿を追って。
みっともない、とは思った。一国の王太子が退出する客人を廊下まで追いかけるなど。重臣たちの目もある。だが、そんな体裁を気にしている余裕はなかった。
確かめずにはいられなかった。あれが本当にシャーロットなのか。もしそうなら、なぜあんなにも変わってしまったのか。胸の奥で渦巻くその問いが、アルベルトの足を突き動かしていた。
「――皇女殿下」
アルベルトは声をかけた。
回廊を進んでいた一行が足を止める。シャーロットがゆっくりと振り返った。その菫色の瞳が、まっすぐにアルベルトを捉える。
その一瞬、アルベルトの心臓が大きく跳ねた。
間違いない。あの瞳だ。十一年前、星空の下でこちらを見つめた、あの澄んだ菫色。歳を重ね、その奥に宿る光こそすっかり変わってしまったが――それは確かに、あの夜の少女の瞳だった。
だが、そこには何の感情もなかった。旧知の相手を見る目ではない。ただ、見知らぬ異国の王子を形式的に見やる――それだけの冷たい眼差しだった。
「……フォルティニアの王太子殿下。何か御用でしょうか」
「覚えていないのか」
アルベルトの声がわずかに掠れた。
「俺だ。アルベルトだ。――昔、会ったことがある。君がまだ幼かったころ。アルセリアの、君の誕生日のパーティーで。中庭で星を見ていた君に、俺は……」
「はて。何のことやら」
シャーロットはアルベルトの言葉を、ぴしゃりと遮った。
「人違いではございませんか。わたくしはフォルティニアの王太子殿下と、個人的にお会いした記憶はございません。此度が初めての対面かと存じます」
その声にわずかの揺らぎもなかった。
「……ペンダントを」
アルベルトは思わず口走っていた。
「青い石のペンダントを。あの夜、俺が君に渡したはずだ。誕生日の贈り物だと。君は『一生、たからものにする』と――そう言って受け取ってくれただろう。忘れたとは言わせない」
その言葉に。
ほんの一瞬。
シャーロットの菫色の瞳が揺れた――ように見えた。
だが、それはまばたきほどの刹那のことだった。次の瞬間には、その瞳は再び何の感情も映さぬ、凍てついた湖面へと戻っている。
「……存じませんわ。そのような品のことなど、何ひとつ」
「そんなはずはない! 君は確かに……」
「殿下」
なおも詰め寄ろうとするアルベルトの前に、ぬっと巨大な影が立ちはだかった。
ギュスターヴだった。
アルセリア帝国でも屈指と謳われる、歴戦の将軍。剛腕にして百戦錬磨の指揮官、その武名は遠く海を越え、敵国であるフォルティニアにまで轟いている。剣の腕、戦場での采配、そのいずれをとっても、当代屈指の戦人。タウロ将軍と並べて語られることもある男だった。
むろんアルベルト自身は戦場で直接、彼と刃を交えたことはない。だが、こうして公式の場で護衛として付き従う姿は、これまでにも幾度か目にしている。皇帝の晩餐の席、両国の儀礼の場。形ばかりの会釈と、当たり障りのない言葉を二言、三言――そんな短いやり取りを交わしたこともあった。穏やかな物腰の奥に、底知れぬ凄みを湛えた、その眼差し。それをアルベルトはよく覚えていた。
いまその眼差しが、まっすぐにこちらへ向けられている。
ギュスターヴは無言のままアルベルトとシャーロットの間に割って入ると、その鋭い眼光でアルベルトを見下ろした。一言も発しない。だが、その全身から放たれる威圧は雄弁に語っていた。――これ以上、皇女殿下に近づくな、と。
アルベルトとて戦場を駆けた身。並の威圧に怯む男ではない。だが、ギュスターヴのそれは明らかに格が違った。儀礼の場で交わした言葉のときには、影を潜めていたあの凄み。それがいま、剝き出しの刃となって突きつけられている。一国の将軍として幾多の死線をくぐり抜けてきた者だけが持つ、本物の凄みだった。
それでもアルベルトは退かなかった。ギュスターヴの巨体のその肩越しに、シャーロットへと必死に声を投げる。
「シャーロット! 頼む、一言でいい! 本当に覚えていないのか!? あの夜のことを……あの約束を……!」
だが、シャーロットは振り向きもしなかった。その背はぴくりとも動かない。まるで、アルベルトの声など最初から聞こえてなどいないかのように。
ギュスターヴが一歩前に出た。たったそれだけで、巨大な壁がぐっと迫ってくるかのようだった。その手はまだ剣の柄にはかかっていない。だが、もしアルベルトがもう一歩でも踏み込めば――次の瞬間には、白刃が閃いてもおかしくはない。そんなひりつくような緊張が、二人の間に走った。
「……アルベルト、よせ」
いつの間にか追ってきていたグレイが、そっとアルベルトの肩に手を置いた。
「ここは城の中とはいえ、相手は帝国の皇女とその護衛だ。これ以上は要らぬ波風を立てる」
「だが、グレイ。俺は……」
「わかっている。わかっているから、いったん引け」
グレイの声は静かだったが、有無を言わせぬ響きがあった。
「気持ちは痛いほどわかる。だが、ここで事を荒立てれば、お前の立場だけじゃない、国の立場まで危うくなる。――相手はそれを待っているのかもしれんぞ。『フォルティニアの王太子が、謝罪に訪れた皇女に詰め寄り、無礼を働いた』。そう言いふらされでもしたらどうなる?」
その言葉にアルベルトの頭がすっと冷えた。
そうだ。ここは城の中とはいえ、敵を迎えている場。自分の一挙手一投足が、そのまま両国の駆け引きの材料になりうる。冷静さを欠いてはいけない。それは戦場で誰よりも己に言い聞かせてきたことではなかったか。
アルベルトは奥歯を噛みしめ、シャーロットを見つめた。
シャーロットはもう、アルベルトのほうを見てさえいなかった。ギュスターヴに守られるようにして、くるりと背を向け、再び回廊を歩き出していく。その後ろ姿はどこまでも凛として、そしてどこまでも遠かった。
その隣をデブリアがにこやかな笑みを浮かべて歩いている。すれ違いざま、デブリアはアルベルトに向けてほんのわずか目礼をした。何かを見透かすような、底の知れぬ笑みとともに。
その目礼の意味をアルベルトは測りかねた。
嘲笑か。憐れみか。それとも――何か別の意図か。あの男の笑みの底には、いつも何重もの底が隠されているようでまるで読めない。
ただ、一つだけ感じたことがあった。あのデブリアという男は、シャーロットと自分との間にある「何か」を――知っているのではないか。そんな奇妙な確信めいたものが、ふと胸をよぎった。
やがて銀色の後ろ姿は回廊の角を曲がり、見えなくなった。
あとには、アルベルトとグレイだけが残された。
「……人違い、か」
アルベルトは力なく呟いた。
その手はいつの間にか、固く握りしめられていた。
「あれは確かにシャーロットだった。間違いない。あの目を、あの声を、俺が忘れるはずがない。なのに、なぜ……」
「アルベルト」
グレイは幼馴染の横顔を、痛ましげに見つめた。
「お前あの皇女と――いったい何があったんだ」
アルベルトはすぐには答えなかった。
ただ、シャーロットの消えた回廊の先をじっと見つめていた。
その脳裏に遠い遠い日の記憶がゆっくりと蘇ってくる。
あれは――もう十一年も前のことだ。
主人公とヒロインの最初の絡みですが、多くの方が期待しているものと全く違います。
すみません・・・




