第10話 帝国の使者④
帝国の使者の一行は翌日、フォルティニアの王城へと到着した。
物々しい、しかし華やかな一行だった。帝国の紋章を染め抜いた旗を掲げ、磨き上げられた甲冑の護衛を従え、使者は堂々と王城の門をくぐった。その様は、謝罪に訪れた者のそれというよりも、むしろ勝者が凱旋するかのようでさえあった。
城内はにわかに慌ただしくなった。急な来訪である。それもつい先日まで国境で、刃を交えかけた相手の使者だ。重臣たちは取るものも取りあえず謁見の間に参集し、衛兵は普段以上に厳重な警戒態勢を敷いた。穏やかならぬ空気が、王城全体を包んでいる。
アルベルトは父マクシミリアンの傍らに控えながら、入ってくる使者の一行を油断なく見据えていた。隣に立つヴィクターもまた同じだった。二人の頭にあるのは、ただ一つ――この急な来訪の裏に、いったい何が隠されているのか、ということだった。剣を抜かぬ戦い。ヴィクターのあの言葉が、まだ耳に残っている。
謁見の間。深紅の絨毯の上を、帝国からの使者がゆったりとした足取りで進み出る。歳のころは四十ほどか。仕立てのよい外套をまとい、物腰は柔らかだが、その目の奥には油断のならぬ光を宿した男だった。
「お初にお目にかかります。アルセリア帝国の使者として参りました、デブリアと申します」
使者は優雅に一礼した。
「フォルティニア王、マクシミリアンである。使者殿、遠路はるばるよくぞ参られた」
玉座のマクシミリアンが鷹揚に応える。その傍らには王太子アルベルトが控え、さらに後方には宰相ヴィクターをはじめとする重臣たちが並んでいた。
デブリアはまず、帝国からの口上を述べた。
フォルティニアが此度の国境での出来事に対し、わざわざ丁重な謝罪の使者を送ってきたこと、それに対する礼。帝国としても、フォルティニア国境で起きた此度の騒動はまことに遺憾であること。そして――帝国は王国に対し、何ら含むところはない。それどころか、国境の不穏な者どもを速やかに討ち取ったフォルティニアの対処に、怒るどころかむしろ感謝している、とまで言ってのけた。
よくもまあぬけぬけと。
フォルティニア側の重臣たちは内心で悪態をついた。傭兵を裏で雇い、国境に騎士団まで集結させておきながら感謝しているとは、どの口が言うのか。
だが、マクシミリアンもアルベルトも、そんな本心はおくびにも出さなかった。穏やかな笑みをたたえ、使者の言葉に丁重に礼を述べる。腹の底で何を思っていようと、表に出した者が負けるのがこの場の作法だった。
「使者殿のお言葉、まことに痛み入る。――ときに、紹介しておこう。これが我が息子にして、王太子のアルベルトだ」
マクシミリアンがそう言うと、デブリアの視線がすっとアルベルトへと向けられた。
「おお、あなたがアルベルト殿下であられますか」
デブリアはにこやかに目を細めた。
「殿下のご武勇、この帝国にも届いておりますぞ。今回、国境のならず者どもを鮮やかに蹴散らされたのも殿下であられるとか。フォルティニアには、かくも頼もしい王子がいらっしゃる。いや、まことに羨ましい限りにございます」
穏やかな称賛。だが、その言葉の裏に針が一本、隠されている。アルベルトはそれを正確に感じ取った。
「使者殿。それはいささか事実と異なりますな」
アルベルトはにこやかに、しかしはっきりと言った。
「今回、王国内を騒がせていた不埒者どもを討ち取ったのはタウロ将軍だ。私はその場にはおりませなんだ。――使者殿が、まるで私がそれを成したかのようにおっしゃるので、私は、事実と異なる噂が帝国にまで届いていることに驚きを隠せません」
これは半分は事実で、半分は駆け引きだった。
なるほど、傭兵団討伐の作戦を立案したのはアルベルト自身である。だが、実際にその作戦を実行し、部隊を率いて戦ったのはタウロ将軍だ。ゆえに公式の発表では、討伐の手柄はすべてタウロ将軍のものとなっている。アルベルトはその一点を突いたのだ。
――お前たちはいったいどこまで、こちらの内情を掴んでいる? その探りでもあった。
だが、デブリアもまた海千山千の使者である。とぼけた顔で肩をすくめてみせた。
「おや、これは異なことを。作戦を立てられたのは殿下だと、そう噂に聞いておったのですが……それはどうやら嘘だったようですな。いやはや私としたことが、つまらぬ噂に踊らされてしまいました。まだまだ未熟者ですな、私も」
「噂とはまことあてにならぬものです」
アルベルトもすかさず応じた。
「私にはそのような才覚はございません。買いかぶりというものですよ、使者殿」
二人は互いの顔を見合わせ、ふっと声をたてて笑った。
和やかな笑い声。だがその実は、刃を交えるような腹の探り合いだった。
デブリアが言外に伝えたかったのは明白だった。――こちらはちゃんと情報を集めている。フォルティニアが裏で何をやっているか、誰が作戦を立てたのかまですべて把握しているぞ。今回はそちらがうまく立ち回った。だから褒めてやろう。そういう余裕と牽制の入り混じった意図が、その柔らかな物腰の奥にはっきりと透けて見えていた。
アルベルトもまた、笑顔の裏でそれを受け止め、笑顔の裏でそれを撥ね返していた。こちらもお前たちの企みなど、とうにお見通しだ――と。
探り合いはなおも続いた。
「それにしても」
デブリアは、世間話でもするように軽い調子で言葉を継いだ。
「タウロ将軍と申せば、十五年前の大戦でも武名を轟かせたあの猛将。その将軍がいまは東の国境の守りに就いておられるとか。フォルティニアはよほど東の備えを重んじておられるのですな。――おや、これもただの噂でございましたかな?」
さらりと、しかし的確にこちらの布陣を言い当ててくる。歴戦の名将を、よりにもよって帝国との国境に据えていること。それが帝国を警戒しての配置にほかならぬこと。デブリアはそれを百も承知のうえで、わざと口にしたのだ。こちらはそこまで見ているぞ、という念押しだった。
アルベルトは眉ひとつ動かさなかった。
「将軍がどこに就いていようと、それは王国の采配。使者殿が気にかけられるほどのことではございますまい。――それとも帝国は、我が国の将の配置にまでご関心がおありか?」
逆に問い返す。お前たちこそなぜそれを気にする、と。柔らかな刃の切っ先を、そのまま相手の喉元へ返してやる。
「いやいや、滅相もない」
デブリアはにこやかに手を振った。
「ただ、隣国に名将がおられると聞けば心強いというもの。我ら両国は、もはや争う仲ではございませんからな」
「それは頼もしいお言葉だ」
アルベルトも笑みを返す。
言葉はどこまでも友好的だった。だが、その一語一語の下では、互いの刃が火花を散らして噛み合っていた。どちらがどこまで知っているか。どちらがどこまで読んでいるか。穏やかな謁見の間の只中に、見えない剣戟の音が確かに響いていた。
マクシミリアンはそんな二人のやり取りを、静かに見守っていた。やがて頃合いと見て口を開く。
「使者殿。アルセリアの友誼を嬉しく思う。此度の件は、我が領土の内で起きたこととはいえ、結果として貴国にもいらぬ心労をかけてしまった。皇帝陛下にはこのマクシミリアンが心より詫びていた、と、そうお伝えいただきたい」
そう言ってマクシミリアンは、謁見を穏やかに締めくくろうとした。
双方が詫びを交わし、友誼を確かめ合った。これ以上、この場で交わすべき言葉もない。――誰もがそう思った、そのときだった。
「陛下。恐れながら、もう一つ」
デブリアが退出の気配を見せず、なおも言葉を継いだ。
「実は帝国としても、フォルティニアに改めて謝罪をさせていただきたいことがございます」
謝罪、という言葉に、謁見の間の空気がわずかに張りつめた。
それはすでに通じ合っている話のはずだった。此度の騒動の折、アルセリア側の国境にも帝国の騎士団の一部隊が集結していた。フォルティニアはそれを把握していたし、こちらの使者がアルセリアへ赴いた際にも、アルセリア側からその件は伝えられ、すでに謝罪を受けていた。「ならず者対処のための派兵であった」という、あの嘘の説明とともに。
「その儀であれば、すでに承っておる」
マクシミリアンが穏やかに応じた。
「貴国の使者より国境の騎士団の一件、丁重な謝罪をいただいた。我が国もそれを受け入れておる。もうお気になさるな、使者殿」
だが、デブリアは引かなかった。深々と頭を垂れ、なおも言葉を続けた。
「お言葉、痛み入ります。なれど帝国としては、それでは礼を尽くしたことになりません。文書や一介の使者を通じての謝罪では、フォルティニアへの非礼を詫びるに足りません。――そこで皇帝陛下はこうお考えにございます」
デブリアはゆっくりと顔を上げた。その目には、この場の誰にも読ませぬ深い色があった。
「アルセリア帝国の謝罪の使者として――我が国の第一皇女殿下を、このフォルティニアへ遣わせていただきたく存じます」
その瞬間。
謁見の間がどよめいた。
第一皇女。帝国の第一皇女が、この王国へ来るというのか。
謝罪の使者に一国の皇女を立てる。それは破格の礼であると同時に――あまりに不可解な申し出だった。重臣たちの間にざわざわとした動揺が走る。これは、いったい何を意味するのか。帝国は何を企んでいるのか。
マクシミリアンは表情こそ崩さなかったが、その内心では急速に思考を巡らせていた。ヴィクターの目が、刃のように細められる。
しばしの沈黙ののち、口を開いたのはマクシミリアンだった。
「……これは異なお話。謝罪のために、貴国の第一皇女殿下をわざわざこの地へ遣わされるとは。皇女殿下と申せば帝国にとって、かけがえのない御身であろう。そのような尊き方を謝罪の使者に立てられるとは、いささか礼が過ぎはしませんかな」
やんわりと、しかし鋭く、マクシミリアンは探りを入れた。なぜそこまでするのか。その真意はどこにあるのか。
「過ぎたる礼とは存じません」
デブリアは頭を垂れたまま答えた。
「皇帝陛下はフォルティニアとの友誼を、それほどまでに重んじておられるのです。形ばかりの謝罪では誠意は伝わりません。皇女殿下御自らが足をお運びになってこそ、帝国の真心が伝わるというもの。――どうかお納めくださいませ」
真心、という言葉が、これほど空々しく響いたことはなかった。居並ぶ重臣たちの何人かが、思わず眉をひそめる。
マクシミリアンは再び沈黙した。
断れば非礼。受ければ敵を懐に招く。デブリアの――いや、帝国の差し出したこの一手は、見事なまでにこちらの逃げ場を塞いでいた。さすがの老練な王も即座に答えを返すことができない。謁見の間に、針を落とせば聞こえそうな静寂が重く垂れこめた。
「……ご厚意、しかと承った」
ようやくマクシミリアンは口を開いた。その声はどこまでも落ち着いていた。
「皇女殿下をお迎えする栄誉、このフォルティニア、謹んでお受けいたそう。委細については追って詰めさせていただく。長の旅路となろうほどに皇女殿下にはくれぐれもお体を大切に、とお伝えくだされ」
受けるしかなかった。この場で断ればそれこそ帝国の思う壺。ならば――受けたうえで迎え撃つ。それが王の選んだ答えだった。
「ありがたき幸せ。皇帝陛下も、さぞやお喜びになりましょう」
デブリアは満足げに微笑み、再び恭しく一礼した。その笑みの奥にひそむものを、この場の誰一人として読み解くことはできなかった。
そして――アルベルトは。
笑みを消し、口を真一文字に結んで、その厳しい眼差しをまっすぐにデブリアへと向けていた。
帝国の次の一手。それがいま目の前で動き出した。
一国の皇女を謝罪という名の駒として、こちらの懐深くへと送り込んでくる。「謝罪の使者」という断ることの難しい名目で。受け入れれば帝国の皇女を王城の内へと招き入れることになる。断ればせっかくの「友誼」に水を差し、非礼を働いたのはこちらだということになる。
――進むも退くも、帝国の描いた盤の上。さきほどヴィクターの言った「搦め手」が、もうこうして動き出していた。
その狙いが何なのか。皇女にいったい何をさせるつもりなのか。王城の内を探らせるのか。誰かを抱き込ませるのか。あるいはもっと別の、まだ見えぬ何かか。
まだわからない。
わからないが、これがただの謝罪などではないことだけは確かだった。
アルベルトはデブリアの読めぬ笑みを見据えながら、袖の内で静かに拳を握った。
――嵐が来る。
あの国境の花畑でふと胸をよぎったあの予感が、いままた形を変えて、この王城の只中へと音もなく忍び寄っていた。剣を抜かぬ戦いがいま始まろうとしている。その最初の一手が一人の皇女の姿をとって、すぐそこまで近づいているのだった。
次の話で、この物語のヒロインの登場です。
多分・・・




