第92話 待価而沽《たいかじこ》
【巻ノ二・残頁玖拾弐:『大魏策論・衡勢』残巻】
「独木は支え難く、孤舟は覆り易し。若し重宝を持して狼虎の間に立たば、群獣をして相争わしむるに若くは莫し。官場の道は力敵に在らず、権衡に在り。各々その忌む所を制し、その利する所を許さば、方に全身して退くを得ん」
†
謝必安の手は漆革の袋の口に止まったまま、都中を揺るがすあの遺詔を取り出そうとはしなかった。彼はただ焦ることもなくゆっくりと手を引き戻し、薄笑いを浮かべて目の前の四人の朝廷の巨頭たちを見定めた。
「はは、失礼いたしました、諸官の皆様方。下官の無作法をお許しくだされ。この遺詔とやら、謝太保もお求めになり、王司徒もお欲しがりになり、袁監正も先帝崩御の折に何を言い残されたか興味津々のご様子。そして姚指揮使におかれましては……天子の親軍たる身、手ぶらで戻って職務怠慢を責められるわけにはいかないでしょう?」謝必安の口調は気怠げで、その眼差しには悪戯めいた冷やかしが滲んでいた。「ですが、この世に遺詔はただの一通のみ。下官、僭越ながらお伺いいたしますが、ここにいらっしゃる四名の重鎮の皆様のうち、一体どなたにお渡しすればよろしいので?」
この一言が放たれるや否や、先ほどまで一致団結して包囲していた四人の視線が、瞬時に半空で火花を散らした。空気中に濃密な猜疑の気配がたちまち充満する。言うまでもなく、誰がこれを受け取るかによって、続く権力闘争の主導権を完全に掌握できるからだ。
まさに一触即発のその時、城門の方向から地鳴りのような蹄の音が轟き、黄塵が天を覆い太陽を隠した。
周囲を取り囲む千余名の甲冑武者たちが一斉に表情を引き締め、重盾を合わせ、刀を半ば抜き放つ。砂塵を切り裂いて数騎の早馬が疾走してきた。騎士たちは玄甲を纏い、皆の眼前に至るや手綱を力任せに引いて馬を止め、鞍から滑り降りると、先頭の者が大股で進み出て片膝をつき、釣鐘のような大声で叫んだ。
「報――! 使持節、都督中外諸軍事、撫軍大将軍、武陵王の車駕がご到着あらせられます!」
四人の周囲を取り巻く親兵や従者たちの間から、一斉にざわめきが起こった。
「静粛に!」謝太保の傍らに控える側近が鋭く一喝した。謝太保はわずかに顔色を変えたが、すぐさま手を軽く上げて制し、重い声で言った。「儀礼は無用だ」彼は首を巡らせて残る三人の重臣を見やり、その双眸に暗い光を宿らせた。「諸公、老夫と共に前へ出てお迎えいたそう」
謝必安と沈無は視線を交わし合った。皇族の宗室であり軍の最高権力を一手に握るこの巨頭を見るのは二人にとっても初めてのことであり、大人しく半歩退いて、隊列の脇に紛れ込んで従った。
間もなく、贅を尽くし威厳に満ちた儀仗の隊列が、城門を出る方角からゆっくりと進み出てきた。
まず耳を打ったのは、雷鳴のように重苦しい馬蹄の響きだった。武陵王配下の鉄甲具装騎兵である。百を超える漆黒の牙旗が風に激しく翻っていた。軍陣の真正面には、純白のヤクの尾を飾った「節」と黄金の「鉞」が高くそびえ立ち、烈日の下で目を眩ませるほどの光を放っている。天地を覆い尽くすほどの鼓吹の轟音が響き渡り、跪いて迎える文武百官の息を詰まらせた。軍楽隊の前方では、侍従たちが水を撒いて街道を清めながら進んでいる。
続いて、重明鎖子甲を纏った数十騎の禁衛鉄騎が先陣を切って砂塵を割り、手にした深紅の大旗に描かれた金烏の紋様が風に舞った。中軍が守り立てる中央には、黒い車輪に金色の帳を垂らした巨大な車駕がゆっくりと進んでくる。帳は隙間なく閉ざされ、中の様子は窺い知れない。だが、玄甲の鉄騎と舞い上がる黄塵が織り成す威圧感は、すでに全場を震え上がらせ、沈黙させていた。
車駕の正面、中軍の最核心には、全身が見事な毛並みに覆われ蹄に金色の沓を履いた名馬がいた。馬背に跨る武陵王・司馬衍は齢四十余り、その顔貌は冷徹で威厳に満ちている。頭に通天七梁冠を戴き、暗金雲紋の大外套を羽織り、内側には精緻な烏金山文鎧を重ね、腰には天子より賜った九環金柄直刀を帯びていた。その佇まいは、天子の血を引く貴種の高貴さと、百戦練磨の沙場をくぐり抜けた武人の烈しさを兼ね備えている。
鞍の傍らには、一人の近侍が馬を寄せて従っていた。宮中の少監の装束を纏い、黒紗の高帽子を被り、黒の常服を着た、細身でしなやかな体つきの者だ。うつむいて目を伏せているものの、その肌は雪のように白く、紅い唇に白い歯が覗き、眉宇の間には生き生きとした霊気が漂っている。今まさに息を潜め、王の低声の密命に耳を傾けていた。
武陵王が手綱を引くや否や、その鷹のような鋭い眼光は群衆を飛び越え、遠くにある四方の壁を失い底板と車輪だけになったボロ馬車、そしてそれを牽く異様な神獣の姿へと一直線に注がれた。
「見事な鱗を纏った蜃驪ではないか!」武陵王は顎髭を撫でて感嘆し、身を翻して馬から降りた。
群臣はそれを見るや、揃って深く一礼した。「王爺にご挨拶申し上げます」
武陵王は適当に手を振って儀礼を省かせると、開口一番に尋ねた。「この神異なる駿馬は、誰の持ち物だ?」
皆の視線が、一斉に身なりが乱れ髷も崩れ、顔すら洗っていない謝必安へと注がれた。
謝必安は腹を括って一歩前へ進み出て、深く礼を執った。「下官、司天監雑項科拾遺の謝必安、王爺にお目通り申し上げます。この馬は師姉の愛馬にございまして、下官が急ぎ都へ戻るため、一時借用した次第にございます」
武陵王はわずかに眉を寄せ、目を細めて彼を品定めした。王とて都を揺るがすその名を知らぬはずはなかったが、天地を覆す騒動の主が、まさかこれほど薄汚れた風体だとは思いもよらなかったのだ。彼はあえて何食わぬ顔を作り、何気なく問いかけた。「拾遺の謝必安とな?」
傍らのあの眉目秀麗な近侍がわずかに身を屈め、どこか笑みを湛えた目で謝必安を一瞥した。玉石を打ち鳴らすような清らかな声で、声を潜めて言上する。「王爺にお答え申し上げます。この者は謝太保の孫、謝散騎の子、謝秘書郎の弟に当たり、過日、太極殿の半分を崩壊させ、先帝崩御の直前に最後に拝謁を賜った者にございます。校事府の手配書の似顔絵と、寸分の狂いもございません」
この言葉が出るや否や、関わり合いを避けようとしていた謝太保のまぶたがピクリと跳ね上がり、その顔色が一気に黒く沈んだ。
武陵王の表情がわずかに動き、謝必安を深淵のような眼差しで見据えた後、意味深に頷いた。「本王も以前、辺境におりながら京に奇才が現れたと聞き及んでいた。謝家の子弟であったか……道理でこれほどの大事を引き起こすわけだ」
謝必安は心の中で悲鳴を上げたが、面の皮を厚くしてその皮肉を賛辞として受け止め、愛想笑いで応じるしかなかった。「王爺の過分なお褒めに預かり、恐縮に存じます」
言い終えた瞬間、傍らから「フフッ」と吹き出す声が漏れた。謝必安が目をやると、あの少監が袖で口元を覆い、眉を三日月の形に曲げて、隠しきれない笑みを瞳いっぱいに浮かべていた。御前での無作法に気づいたのか、少監は慌てて表情を引き締め、再び頭を垂れて背筋を正したが、かすかに震える肩が必死に笑いを堪えていることを雄弁に物語っていた。
この笑い声が、かえって先ほどの凍りついた空気を和らげ、場に何とも言えない奇妙な活気をもたらした。
武陵王はそれを咎めることもなく、ゆっくりと身を翻し、薄笑いを浮かべて居並ぶ朝廷の重臣たちを見渡した。その声は穏やかだったが、長年頂点に君臨してきた者特有の重圧を帯びていた。「本王は城外へ狩りに出ようとしたのだが、遥か彼方に甲冑の兵が集い、凄まじい殺気が満ちているのを見て立ち寄ったのだ。諸公がこれほど揃って集まり、一体何の密事を取り仕切っておられるのか? 何故あらかじめ本王に一言知らせてくださらなんだ。本王も皆と共に賑わいに興じたものを」
四人の巨頭は互いに顔を見合わせ、その表情に気まずさを滲ませた。
謝太保は深く息を吸い、胸の動揺を押し殺して進み出て拱手した。「王爺に申し上げます。臣らが秘匿していたわけではございませぬ。実は謝拾遺が地方より先帝の密書を携えて帰京いたし、社稷の安危、皇位の帰趨に関わる大事ゆえ、臣らも一刻の猶予もならず自ら出迎えに参った次第にございます」
「密書とな?」武陵王の鋭い視線が謝太保、王司徒、袁監正、そして姚指揮使の顔を順になぞり、朗らかに笑った。「皇兄の遺詔に関わることであるならば、本王は宗室の一員にして、先帝とは同気連枝の間柄。新帝がいかなる御方に決まろうとも、本王の至親に他ならぬ。情理のいずれに照らしても、本王自らが大局を司り、幼き主を補佐し、諸公と共に大計を議して不臣の輩を警戒せねばなるまい。諸公も……そう思われよう?」
重臣たちの額に冷や汗が滲み、腹を括って声を揃えるしかなかった。「王爺の仰せの通りでございます」
謝必安は頭を垂れ、心の中で冷笑した。やれやれ、また一人ケーキの分け前を奪いに来やがった。朝廷の文武百官のうち、あとは太尉府で毎日病気療養と称して棺桶の中で死にかけているあのジジイさえ揃えば、この大芝居の役者は完全に勢揃いだ。
謝太保は引き攣った笑みを浮かべて言葉を継いだ。「無論にございます。これほど国本を揺るがす大事、宗室の御立ち会いは当然の義。臣らも本来、謝拾遺が密書を宮中へ届け天下に布告する折、自ら屋敷へ参上して王爺に宮中へお越しいただき大局を取り仕切っていただく所存でございました。王爺が社稷を憂い自らお運びくださったこと、かえって手数が省けました」
老獪な狐の言葉は、綿の中に針を潜ませたように隙がなかった。
傍らで冷ややかに見守っていた姚指揮使が、ここで陰湿に口を挟んだ。「謝太保の仰る通り。臣は天子の親軍として、遺詔の正統を守護することこそが職責にございます。今、王爺配下の重明鉄騎がここに控えている以上、遺詔の大計は万全にございましょう」
姚指揮使のこの発言は、表向きは同調しながらも、武陵王の威光を借りて謝太保や王司徒らに私腹を肥やすなと暗に釘を刺すものだった。
武陵王は目を細め、老獪な謝太保と引き攣った笑みの姚指揮使の顔を交互に見やった。それ以上追及することはせず、表面上はこの件を決着させた。
四人の巨頭は胸の内で揃って安堵の息を吐き、再び視線を渦中の謝必安へと向けた。先ほど吹き出したあの近侍は静かに武陵王の背後へと下がり、その澄んだ瞳で謝必安と背後の蜃驪をしげしげと観察していた。
謝必安は各勢力の力関係が完全に拮抗したのを見届け、腹を固めた。彼は沈無と密かに視線を交わすと、咳払いを一つして大股で中央へと進み出た。途端に顔の力を抜き、この世の苦難を一身に背負ったような惨めな顔を作ってみせた。
「本日、王爺ならびに諸官の皆様がお揃いのこの場で、下官の胸に積もりに積もった無念を申し上げたく存じます。まさに喉に刺さった魚の骨の如く、吐き出さずにはいられませぬ!」
謝必安は涙声を作り、でたらめを並べ立て始めた。「下官はあの日、まず国師と死闘を演じ、然る後に先帝の臨終の託宣を賜りました。ところがかの奸賊の毒計に嵌まり重傷を負って人事不省に陥り、沈千戸の命懸けの守護と同門の師姉の全力の助力により、辛うじて虎口を脱して都を落ち延びたのでございます。事の経緯は、我が司天監の袁監正が全てこの目で目撃しており、証言していただけるはず! 都への帰路は山険しく水深き難所ばかり、下官に功労はなくとも苦労は山ほどございました。大魏の神器の正統を守り抜くため、真に命を捨て死線をくぐり抜けて参りました。本日こうして生きて帰着できましたのも、偏に先帝の御霊のお導き、そして何より王爺の絶大なるご福徳のおかげにございます!」
謝太保や王司徒らは口角を引き攣らせ、心の中でこの恥知らずな若造を何千回と呪い倒した。対する武陵王はすこぶる気分を良くした様子で、髭を撫でて頷いた。「数多の逆賊の手から遺詔を守り抜いたこと、誠に大義であった。大魏は功臣を粗略には扱わぬ。国に忠を尽くす者には、朝廷は恩賞を惜しまぬぞ。だが、もし二心を抱く不届き者がおるならば……」彼は言葉を切り、声を一段低くした。「朝廷の威信を示すため、必ずや厳罰に処すであろう」
言い終えるや、武陵王の視線が横へ鋭く流れ、袁監正の顔を射抜いた。
不意打ちを食らった袁監正は背中に針を突き立てられたような心地で、心の中で悲鳴を上げた。 認めれば、国師の反乱を傍観した職務怠慢の罪を自ら認めることになる。かといって否定すれば、謝必安の嘘を暴くことになり、司天監の看板に泥を塗り、先帝と武陵王の面子を叩き潰すことになる。完全に進退極まっていた。
「王爺の至高の英断、下官、王爺の広大なる恩寵に平伏いたします!」謝必安は地に着かんばかりに深く拝舞した。頭を下げたその一瞬、顔から惨めな表情は霧散し、口元には会心の笑みが浮かんでいた。
その時、彼は背筋を撫でるような視線を感じた。ハッと顔を上げると、武陵王の傍らに立つあの近侍と視線が真正面からぶつかった。眉目秀麗な少監はどこか含みのある眼差しで彼を流し見しており、芝居を暴くどころか、その視線を受け止めて微かに眉を上げてみせた。揺れる瞳には、全てを見透かしたような怜悧な笑みが満ちている。
謝必安はすぐに視線を逸らし、顔色の悪い王司徒へと向き直った。
彼は懐から、元々は王家のものであったあの紫檀の木箱を取り出し、恭しく両手で王司徒に差し出し、ニヤリと笑った。「王司徒、下官が都へ戻る道中、王家の方々には並々ならぬお気遣いをいただきました。この品は貴府の管事が臨終の折に託されたもの、こうして元の持ち主にお返しでき、下官も肩の荷が下りました。……ですが、下官は司天監雑項科を司る身。拝見するに、貴府でお飼いならしの珍奇なる化け物の類は、随分と数が多いようで。日を改めまして、司天監が屋敷へ伺い、手厚くお世話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「珍奇なるもの」という言葉を聞いた瞬間、武陵王の瞳の奥の冷光が一層深まり、冷ややかに王司徒を一瞥した。
木箱を受け取った王司徒の顔色は蒼白になり、受け取るのも突き返すのも地獄の有様だった。武陵王の射るような視線を受け、深く息を吸い込んで体面を保ち、冷たく言い返した。「謝拾遺、戯言を。この品は老夫が昔、下男に気まぐれで下賜した端金に過ぎぬ。失くしたとて痛くも痒くもないものを、わざわざ届けてくれたことには礼を言おう。老夫は清廉潔白、司天監とは何ら関わりを持たぬ。珍奇な化け物などどこにおるというのだ? 若輩の身でありながら、無暗に人に噛みついて己の将来を棒に振るでないぞ!」
言い捨てると、王司徒は袖を激しく払い、後ろめたさを隠すように鼻を鳴らして木箱を広い袖の中へと押し込んだ。顔の皮を強張らせ、聞こえないふりを決め込んでそれ以上の隙を見せようとはしなかった。
謝必安は意に介さず笑い、沈無に目配せをした。
沈無は無表情のまま大股でボロ馬車へ戻ると、簀巻きにされ泥のようになった千糸叟を片手で引っ張り出し、ドスンと音を立てて司天監の袁監正の足元へ投げ捨てた。
謝必安が指を差し、さらに追撃を仕掛けようとしたその瞬間、袁監正の老いた顔に浮かぶ無数の老人斑が、まるで生き物のように一斉に目を見開き、謝必安を睨みつけた。
袁監正は、これ以上この男の口から出まかせを許せば自分が破滅すると悟っていた。彼は即座に言葉を遮り、手を挙げて重々しく言った。「謝拾遺、道中大儀であった! 是非曲直については何かの行き違いもあろう。監へ戻った後、老夫が公明正大に膝を突き合わせて吟味いたすゆえ、決して不当な扱いはせぬ」
「監正様がそう仰るならば、下官は謹んで従います」謝必安はあっさりと引き下がり、一礼した。
二人の茶番劇を、武陵王は冷ややかに傍観していた。面白そうに袁監正を横目で眺め、その口元に冷笑を浮かべ、瞳の奥に底知れぬ思惑を湛えている。
司天監を片付けると、謝必安はくるりと向きを変え、鏡妖司の姚指揮使を見つめた。彼は五指を軽く開き、沈無へ向けて「出せ」と合図を送った。沈無は意図を察し、懐に手を入れて、あの日あの村で回収した証拠の品々を取り出す素振りを見せた。
「待て」姚指揮使が太い手を掲げて制した。必死に平静を装っていたものの、その指先は微かに震えていた。陰険な眼差しで沈無を睨み据え、瞳に剥き出しの殺意を宿らせ、刃のような声で言った。「功は過を相殺せず。掟は曲げられん」
謝必安は怖気づくどころか半歩歩み寄り、薄笑いを浮かべて割って入った。「姚指揮使、鏡妖司の食欲は近頃とみに旺盛なご様子。ですが、世の物をあまりに急いで、あまりに雑多に呑み込もうとすれば、喉を詰まらせて命ごと落としかねませんぞ」
「八万両で、手を打ちましょう」謝必安は畳み掛けるように告げ、腰の漆革の袋をポンと軽く叩いた。
この言葉を聞き、沈無は驚愕して彼を見つめた。公衆の面前で堂々と八万両という巨額を持ち出し、身柄の件に決着をつけようとするその大胆さに、周囲の視線が一斉に釘付けとなった。姚指揮使の側から見れば、面前に現金を叩きつけられたも同然だった。
姚指揮使の顔色が青と白に目まぐるしく変わる。
武陵王が絶妙な間を置いて咳払いを一つし、姚指揮使へ警告の視線を投げかけた。姚指揮使は拳を握り締め、胸を激しく上下させ、謝必安を数呼吸の間、睨みつけた末、ついに力なく頭を垂れた。「承知した」
決着がついたのを見て、沈無は謝必安に視線を向けた。謝必安はただ肩をすくめておどけてみせるだけだった。沈無は静かに表情を整え、礼に則って姚指揮使へ拱手し、最後の同僚としての情義を果たした。姚指揮使は鬱屈を極めた面持ちで袖を払い、顔も上げずに形式ばかりの返礼を返した。
三人を手玉に取った後、謝必安は衣の袖を払い、ゆっくりと謝太保の前へ歩み寄った。彼は懐を延々と探り、ようやく血と泥に汚れてクシャクシャになった海捕文書を取り出すと、服の上で軽く皺を伸ばし、謝太保の手の中へと押し付けた。
彼は目をパチクリとさせ、無垢な笑みを浮かべた。「謝太保様、この懸賞金一万両は、孫が厚顔にも自分で頂戴することにいたします。それから、先ほどの約束をお忘れなきよう」
謝太保は手の中の指名手配書を見つめ、顔面を真っ青に染め上げた。謝必安が最後の最後で自分を嵌める手を用意していようとは夢にも思わなかったのだ。この恩知らずが公衆の面前で謝家の嫌疑を晴らす芝居を打っているのだと理解しつつも、その借金取りのような面構えを見せつけられては怒りを抑えようがなかった。一万両を奪われた上に、約束通り謝知微に会わせねばならないとは、完全に骨折り損のくたびれ儲けである。
老狐は激しく袖を翻し、鼻腔から重い怒声を漏らし、その手配書を広い袖の中へ力任せにねじ込むと、二度と彼を見ようとはしなかった。
武陵王はこの連環の駆け引きを余さず見届け、この若者がただの放蕩児ではないことを、すでに見抜いていた。彼は手を叩いて大笑いし、各々の思惑が渦巻く沈黙を打ち破った。「見事、実に痛快である! 謝必安、その弁舌、本王の三万の鉄騎にも匹敵するぞ。謝家も安泰であるな!」
笑いを収めると、武陵王の眼光は雷のように鋭くなり、一同を見渡した。「旧交も温め、借金の清算も済んだ。この遺詔は社稷の安危と皇位の継承に関わるもの。何人たりとも私的に授受することは許されぬ! 本王の考えでは、直ちに重明鉄騎と諸官の精鋭が共同で警護し、文武百官と宗室の立ち会いの下、まずは太廟へ厳封安置し、吉日を選んで重臣一同の手で開封するのが筋と心得る! 諸公、異存はあるまいな?」
武陵王自らが方針を定めた以上、どれほど腹に一物あろうとも、黒々と立ち並ぶ鉄騎の前では揃って平伏し承諾するほかなかった。
かくして、城門前で繰り広げられた殺気立つ包囲劇は、極めて不条理な結末を迎えて幕を下ろした。
謝必安と沈無はあのボロボロの荷車へと戻った。謝必安は何もない床板の上に胡坐をかき、片手で頬杖をついて肘を膝に預け、もう片方の手で気怠げに銜蝉の毛を撫でていた。
銜蝉は顔を上げ、まん丸い目で彼を見上げ、小声で尋ねた。『親父、都に戻ったら今夜はどこに泊まるんだ? まさか安宿じゃねえだろうな? 今回はたんまり稼いだんだ、いい所に泊まろうぜ』
傍らの阿奴も顔を巡らせて謝必安を見つめ、同じようにその答えを待っているようだった。
だが謝必安にはその声が届いていないかのようだった。視線を幾重もの人波の彼方、城内へと向け、手を動かし続けたまま、一言も発せず、ただ深く物思いに沈んでいた。
角笛が吹き鳴らされ、全軍が進発の態勢を整えた。武陵王の禁衛鉄騎が先頭を切り、謝府、王府、司天監、鏡妖司の数百の重装精鋭が左右を固める。千余名の兵士が刀を抜き、弓に矢を番え、建康城の民衆が息を呑んで見守る中、堂々と進み入る隊列。その中央で守られているのは、神異なる蜃驪に牽かれ、鏡妖司の千戸が御者を務める、四つの車輪と底板しか残っていない無残な荷車だった。床板の上には、疲労困憊の顔をした司天監の拾遺と、呑気に毛づくろいをする二匹の猫。
一行はこうして堂々と大安門をくぐり抜け、人を呑み食らう帝王の都へと乗り込んでいった。
†
【司天監内部メモ】
大魏の官界はそう難しく考える必要はない。この一言さえ覚えておけば十分だ。天下の衆、皆利のために来たり、皆利のために往く。自分は利を求めぬと言い張る奴がいるなら、そいつはお前の提示した額が安すぎると文句を言っているだけだ。




