第88話 掣尾《せつび》
第八十八章 掣尾
【巻ノ二・残頁捌拾捌:『百家奇門考・鎖気』残巻】
「凡そ妖祟を猟るには、必ず秘法の革嚢を以てその妖丹を収め、以てその腥を絶つべし。
若し嚢が破れ気が洩れば、則ち暗夜に炬を燃やすが如く、百里の内、魑魅魍魎、皆その腥きを嗅ぎて至り、死せずば休まず」
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早朝の官道には濃霧が立ち込め、周囲の枯れ木や荒野を、まるで淡い墨でぼかした水墨画のように霞ませていた。
沈無は御者台に端座して馬車を操り、謝必安はその横でだらしなく身体を斜めに預け、手にした『驚蟄』の棒をいかにもそれらしく振り回して型を真似て遊んでいる。
蜃驪が太い蹄を蹴り出し、迷霧の中を疾走する。重い馬蹄が水たまりを踏み砕き、「パシャッ、パシャッ」という鮮明な音が、静まり返った荒れ野と誰もいない林の間に長く響き渡っていた。
「前方の官道には、確実に鏡妖司の緹騎の検問が敷かれているはずだ」沈無は、行く手を阻む晴れない白い壁のような濃霧を直視し、その声には幾分かの冷硬さが滲んでいた。「十中八九、拷問と粛清を専門とする『照瑕堂』の連中だ。少なくとも一、二名の百戸が陣頭指揮を執っているだろう。奴らが出張ってきたからには、生け捕りか口封じの二つに一つだ。俺はただの千戸に過ぎん。今回はあまりにも深入りしすぎたし、朝堂の秘め事も知りすぎた。鏡妖司は常に天家の鋭い刃であり、己の意志で動くことなど許されていないからな」
謝必安は黙って聞いていたが、その目元にも眉間にも、気に留めた様子はまるでなかった。彼は懐からボロ布を取り出し、焦ることもなくゆっくりと『驚蟄』の棍身の泥汚れを拭き始めた。
彼はのんびりとした口調でブツブツと呟いた。「だからなんだ? 鏡妖司の連中だって、頭が三つで腕が六本あるわけじゃねえだろ。どれだけ凄かろうが、人を食う化け物どもより怖いってのか?」
沈無は顔を横に向け、このどこ吹く風の怠惰な顔つきを見て、微かに眉をひそめた。「お前がさっき言っていた、良い知らせと悪い知らせというのは、一体何のことだ?」
「どっちから先に聞きたい?」謝必安はまぶた一つ上げず、相変わらずマイペースに『驚蟄』を磨きながら、指先で棍身をポンと軽く弾いた。
沈無は半呼吸ほど間を置いた。「先に良い方から聞こう」
「良い知らせはな」謝必安は顎で、前方を全力で疾走している鱗まみれの異獣を指し示した。「車を牽いてるこの馬畜生が、蜃驪だってことだ」
沈無は一瞬呆気にとられ、眉間のシワをさらに深くした。「それがどうして良い知らせなんだ?」
「いいから黙って聞いてろ。とにかくこいつがいりゃあ、前で待ち構えてる鏡妖司の障害物どもなんて、全く恐れるに足らねえのさ」謝必安の口調は雲のように軽く風のように淡く、まるで前方に待ち受けているのが天羅地網の包囲網などではなく、ただ道端を塞いでいる数匹の野良犬に過ぎないかのようだった。
沈無は冷笑を漏らし、百辟喪門刀の柄を握る手の甲に青筋を微かに浮き上がらせた。「俺も鏡妖司に長く身を置いているが、法堂の軍陣をまるで無いもののように見下す人間に会ったのは初めてだ。それなら後で、謝拾遺のその素晴らしいお手並みを、しっかりと拝見させてもらおうか」
「鏡妖司なんてのは、ただの小さな厄介事に過ぎねえよ」謝必安は手を止め、ボロ布を後ろへ無造作に放り投げた。彼は『驚蟄』を目の前で横に構え、片目を細めて棍身が真っ直ぐかどうかを仔細に確認した。
だがその時、彼の声色が突如として沈み込み、極めて深刻な響きを帯びた。「次に言う悪い知らせこそが、本当に命に関わる大事件だ」
沈無は心臓をキュッと縮ませた。「言ってみろ。大魏の天下において、鏡妖司と廷尉府に手を組んで追われること以上に悪い事態など、そうそうあるとは思えんがな」
謝必安は白霧の混じった濁った息を深く長く吐き出し、胸の奥で渦巻く煩わしさを必死に抑え込んでいるようだった。彼は首を回し、真剣な顔で沈無を見つめた。
「先に言っておくが、聞き終わっても絶対にキレるなよ……俺の袋が、破れた」
沈無は全く意味が分からず、怪訝な顔で彼をねめつけた。「何の袋だ? もっとはっきり言え、一体何が破れたって?」
謝必安は特大の白目を剥き、話の通じない相手を前にしたような、強烈な徒労感を顔に浮かべた。「他に何の袋があるってんだよ!? 袋! 荷物! 妖丹を入れてた、姐弟子が術を掛けたあの漆革の袋のことだ! わかったか? 同じことを十通りの言い方で説明しなきゃ通じねえのか!?」
言い終わるや否や、彼は発狂したように両手で自分の髪を激しく掻きむしり、恨めしそうに大声で嘆き喚いた。「あァァーッ! もうマジで頭狂いそうだぜ!」
沈無は丸々二呼吸の間呆然としていたが、その言葉の裏に隠された背筋の凍るような意味を理解するや否や、完全に顔色を失った。「破れた? 破れたなら破れたで……待て、どうして破れたんだ!?」
「ようやく状況が飲み込めたみたいだな。あの後ろにいるクソジジイの仕業に決まってるだろ……」謝必安は両手を広げ、心底うんざりした顔でため息をついた。
沈無は御者台から跳ね起きそうになった。一年中古井戸のように波立たなかったその顔がついに崩壊し、声を張り上げて怒鳴りつけた。「早く言え! それほどの重大事を、どうして今まで黙っていた!」
妖魔が跋扈するこの大荒の世界で、匂いの漏れた『太歳残核』や『業火琉璃』を持ってうろつくなど、真っ暗闇の中で天を突くほどの巨大な篝火を燃やして歩き回るのと同じことだ。方円百里以内にいてその香りを嗅ぎつけたすべての妖魔や穢物が狂乱し、津波のように彼らに向かって殺到してくるのは火を見るより明らかだった!
「言おうと思ったさ、でもそんな暇なかっただろ!」謝必安は苛立ち紛れに再び髪の毛をグシャグシャに掻きむしり、理不尽だと言わんばかりの顔をした。「一晩中厄介事が続いて、その後はあのクソジジイの拷問だ。心の中じゃ都のことや謝家のゴタゴタでいっぱいだったし、目を閉じようとしたら今度は先を急ぐことになった……これだけ立て続けに邪魔が入ったら、そりゃ忘れるに決まってるだろ! だいたい俺だって、出発前に荷物を確認した時、銜蝉に言われて初めて気づいたんだ。十中八九、あのクソジジイが車頂を削り飛ばした時、一緒に袋まで切り裂きやがったんだ」
「その化け物どもが追いついてくるまで、あとどれくらいだ?」沈無は強引に怒りを押し殺し、なんとか忍耐を保ちながら低い声で尋ねた。
謝必安は警戒しながら、周囲の濃く立ち込める霧を見回した。「この辺りの陰気の濃さ次第だな。時間から計算して、早ければ一、二時辰、遅くとも半日ってとこだ。さっき村にいた時、デブがすでに後ろの林から広範囲で動く音を聞き取ってた……まだ距離はあるが、飢え狂った奴らの足だ、絶対に遅いはずがない」
「今は阿奴がまだ寝てるから、とりあえずはマシだ。だがもし万が一、あいつまで目を覚ましたら、それはつまり……」謝必安はだんだん声尻を小さくし、それ以上は言葉を続けなかった。
沈無は目を閉じ、天に向かって長く重い濁った息を吐き出した。まるで、この生涯で抱えたすべての徒労感をその一息で吐き出そうとするかのように。
同じ頃、官道の前方。
濃霧がドロドロの白いスープのように、周囲の密林を悉く呑み込んでいた。重い甲片が擦れ合う金属音が鈍い雷鳴のように、白霧の中でやけに鮮明に響く。
大魏特製の重型破甲弩を装備した数十名の鏡妖司の緹騎が、とうに陣形を敷き終えていた。青銅の仮面を被った百戸の指揮の下、狭い官道を鉄の桶のように隙間なく包囲している。
軽皮鎧を着た一名の斥候が霧の中から猛然と駆け戻り、百戸の足元に片膝をついて声を潜めて報告した。「百戸殿に御報告いたします。前哨からの伝達によれば、獲物が動き出しました。半刻ほどで、必ずやこの地点へ到達いたします」
青銅の仮面の下から冷たく硬い声が響いた。「絆馬索、落とし穴、そして弩隊の配置はどうなっている?」
「百戸殿、万事抜かりございません。車馬がひとたび包囲網に入れば、生還の可能性は絶無です」
「ただ……」斥候は言葉を区切り、顔に一瞬の逡巡の色を浮かべた。
「ただ何だ? 口籠るな、言え!」百戸が鋭く叱責した。
「はっ……前哨の兄弟からの報告によりますと、獲物の後方に奇妙な動静があるとのこと。林の中で、何か広範囲で重い物が引きずられるような怪音が響いていると。濃霧が深すぎるため、一時の間にその正体をはっきりと見極めることはできなかったそうです」
百戸は少し考え込み、冷たく鼻を鳴らした。「ただの獣の群れだろう。大荒の中には、目の見えない愚かな生き物が掃いて捨てるほどいる。もし出くわしたなら、容赦なく追い払え。関所を突破しようとする輩は、その場で射殺しろ」
「はっ! 御意に!」斥候は即座に両手を合わせて拱手し、身を翻して再び濃霧の奥へと消えていった。
官道の上では、馬車が未だ迷霧の中を疾走していた。
「老沈」謝必安は両腕を組み、眉を上げて前方の茫々たる白霧を見つめた。「お前の見立てじゃ、奴らはどこで手を下してくると思う?」
沈無は無表情だったが、手はすでに百辟喪門刀の柄に掛けられており、いつでも血を流して活路を切り開く準備は整っていた。謝必安の問いに対し、彼はとうに無数の状況を推演し終えており、即座に答えた。
「前方の二つの山が交わる隘路が最適だ。俺なら必ずそこに関所を設ける。あそこは地形が極端に狭く、両側が高く中央が低い。どんな車馬であろうと絶対に避けては通れない。それに、もし俺たちが奇跡的に鏡妖司の防衛線を突破したとしても、隘路の先には必ず廷尉府の重兵が待ち構えているはずだ……」
「ストップ、ストップ、そこまでだ」謝必安は呆れたように彼の言葉を遮った。「お前はそんなこと気にしなくていい。ただ車を操ることに集中しろ。もう少ししたら俺が合図を出す。俺が『この馬畜生の尻尾を引っ張れ』と言ったら、死に物狂いで引っ張るんだ!」
沈無の顔がこわばった。自分の耳を疑い、顔を向けて怒鳴った。「何だと? 蜃驪の尻尾を引っ張るだと? お前、本気で言ってるのか?」
「俺がお前を騙したことが一度でもあったか?」謝必安は揺るぎない眼差しで自分の胸を叩き、自信満々に言った。「そんな目で俺を見るな。後で俺の言う通りに、思いっきり引っ張ればいいんだ!」
沈無は極めて胡散臭そうな顔で彼を見た。心の中では疑念が渦巻き、この小僧が一体どんな悪巧みを企んでいるのか全く読めなかった。
馬車は白霧の中で絶え間なく気流を切り裂き、蜃驪の重い蹄の音と荒い息遣いが林間にひと際高く響き渡る。沈無は深く息を吸い込み、百辟喪門刀を強く握り直して重い声で言った。「道程から計算すると、もうすぐだ」
それを聞き、謝必安もついに先ほどまでの軽薄な態度を収め、顔色を沈着に保ち、眼差しを極限まで集中させた。
ついに。前方の霧が山風に吹かれてほんの少し薄くなったその刹那、山間の窪地の輪郭が突如として目の前に切り立ったように現れた。
両者の視線が、半空で激しく交錯した!
狭い古道の密林の両側には、影のように潜んでいた緹騎たちがすでに完璧な陣形を敷いて待ち構えていた。青銅の百戸は、馬車が霧を突き破って飛び出してくるのを見るや、微塵の動揺も見せず、半句の無駄口すら叩こうとはしなかった。鉄の籠手に包まれた右腕が、すでに高く半空に掲げられている!
「準備せよ!」冷淡で無慈悲な軍令が、青銅の仮面の下から吐き出された。
「ギリギリ、ガチガチ――」数十名の緹騎が同時に巻き上げ機を回す音が絶え間なく響き、数十張の大魏破甲重弩が同時に限界まで引き絞られた。薄霧の中、無数の漆黒の矢尻が微光の下で氷のような冷たい鋭さを放ち、そのすべてが霧を割って進む馬車へと正確に狙いを定めた。
「今だ! 引けぇ!」謝必安が喉を裂くように大絶叫した。
沈無は考えるよりも先に動いた。この小僧と共に何度も死線をくぐり抜けてきた絶対の阿吽の呼吸を信じ、身を乗り出した。疾走の中で絶えず振り回されている太い尻尾を見定め、鱗に覆われた蜃驪の尻尾を鷲掴みにするや否や、その勢いのまま力任せに後方へと猛烈に引っ張った!
「ギィヤァァァーー!!」
蜃驪は驚愕と激痛に狂い、金属が激しくぶつかり合うような耳をつんざく咆哮を轟かせた。本来は白濁していた眼球が、劇痛の刺激によって信じられないことにひっくり返り、血の滴るような真っ赤な妖瞳が露わになった。そして、言葉では言い表せないほど不気味な気配が、四方八方へと爆発的に拡散した。
異獣の体内で、血が沸き立つような凄まじい熱が一気に膨れ上がった。皮肉からさえ「ジュゥゥ」と焼け焦げるような音が鳴り響く。蜃驪は口と鼻を限界まで大きく開き、全身の鱗の隙間までを一斉に波打たせ、周囲の冷たい霧を猛烈な勢いで吸い込んだ。
次の瞬間、煮え滾るような高温の白い蒸気が、口や鼻、そして鱗の隙間から轟然と大噴出した。この濃密な白い蒸気は瞬時に周囲の濃霧と同化し、巨大な白い雲の繭へと変化して、馬車全体を完全に飲み込んでしまったのだ!
沈無はこの突如の異象に脳内が真っ白になり、思わず驚愕の声を上げた。「これは何の邪法だ!?」
「説明してる暇はねえ! 早く車内へ入れ! 手すりをしっかり掴め! デブ、阿奴を守れ!」謝必安が声を裏返して怒鳴り散らした。
馬車の隅で丸まって熟睡していた銜蝉は、この大声に驚いて飛び起きた。状況を把握する暇もなく、身体を弓のように曲げて、熟睡する阿奴のそばへ猛然と飛びついた。
謝必安は大喝した後、右手に伸ばした『驚蟄』を支えにし、左手を猛然と前に突き出した。沈無は一瞬のためらいもなく、左手で百辟喪門刀を突いて力を借り、右手で鷹の爪のように謝必安の腕をガッチリと掴んだ。
「飛ぶぞ!」
二人は同時に声を上げ、同時に力を込めた。身体は二羽の敏捷なツバメのように後方へ跳躍し、一分の狂いもなく屋根のなくなった車内へと着地した。足が床についた瞬間、二人はそれぞれ車体の手すりに死に物狂いでしがみついた。
ほぼそれと同時、あるいは一瞬遅れて。あの青銅の百戸の軍令が非情に振り下ろされた。「射てェ!」
「ヒュンッ! ヒュンヒュンヒュン――!!」
刹那、空気を切り裂く音が爆発した! 暴雨のような逆棘付きの破甲矢が鋭い悲鳴を上げ、漆黒の密集した死の網を編み上げながら、猛烈な勢いで拡散していく白霧の残影に向かって無情に注ぎ込まれた!
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【司天監内部メモ】
『大荒異聞録・蜃驪』
「大荒に獣有り。鱗を被りて馬に似る。名を蜃驪と曰う。
性は孤傲にして疾走を善くす、人に近づかず、故に世に見ること稀なり。
然れども若し其の尾を掣かば、則ち血沸きて焚くが如く、目は赤くして煙を生ず。
能く大霧を吐きて人の眼目を迷わせ、狂奔して竭きず」




