第84話 吃罰酒《罰酒を食らう》
【巻ノ二・残頁捌拾肆:『大魏妖沴考・髪祟』残巻】
「人死して息絶ゆれども、髪は猶ほ生ず。蓋し陰血未だ朽ちず、積怨の化するところなり。若し邪道の術により、屍油を以てこれを煉らば、生魂を拘え、活骨を縛り、刀剣を以てしても傷つけ難し」
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夜の闇が黒い幕のように重く垂れ込めている。頭部を失った村長の死体が泥濘の中に倒れ、平らな首の切断面からは、今なお鮮血がどくどくと溢れ出していた。身体が微かに痙攣するたび、血は泥水の中へじわじわと広がっていく。
枯れ木の影からゆっくりと歩み出た老人が、謝必安に迫ってきた。空っぽの眼窩の中で二つの黒髪の塊が不気味に蠢いている。彼はしゃがれた聞き苦しい笑い声を上げた。「謝拾遺。司天監の人間でありながら、この老いぼれの顔を見忘れたとは言わせんぞ」
「謎掛けなら他所でやれ」謝必安は鼻で笑い、その声には隠しきれない嘲りの色が満ちていた。「お前のその、人間とも化け物ともつかない薄汚いツラを見りゃ、足の親指で考えたってロクなもんじゃないことくらい分かる。おい、『泥より出でて染まらず』って言葉を知ってるか? それは正にこの俺、司天監における濁世の青蓮、オンリーワンのこの俺のことを指してるんだよ。お前のその目ん玉のねえ犬の目をかっぽじって、よーく見とけ。サインが欲しいなら今のうちだぞ。初期のコレクションは、後でドカンと値上がりするからな」
千糸叟の頬が微かに引き攣り、凍りつくような声で言った。「監正様がとうに忠告してくださっていたわ。お前という小僧は、その破れた口からでたらめばかりを並べ立てると。今日こうしてまみえてみれば、なるほど、名に違わぬクズぶりだ」
言い終わるや否や、彼は無造作に懐から古びた木札を取り出して高く掲げた。そこには「清吏使」という三つの暗赤色の文字がはっきりと刻まれている。
謝必安は拱手をして大げさに舌打ちをし、眉を上げた。「清吏使まで出張ってきやがったのか? いやいや、上官殿。俺が急いで建康城へ復命に向かっている途中だってのが見えねえんですか? まあ乗りかかった船だ、どこのどなた様がお越しになられたのか、せめて名くらいは名乗ってくだせえ。名無しというわけにもいかんでしょう。後で下官がお宅までお礼参りに伺おうにも、どこへ首を送りつければいいのか分からねえと困りますからな」
それを聞いた老人の陰惨な視線が、謝必安の顔面を抉るように突き刺さった気がした。少し間を置き、老人は痩せ細った両手を袖の中で重ね、大魏の官吏としての作法に則り、謝必安に向かって型通りの揖礼を行った。
「謝拾遺、息災であったか。儂は忝くも、司天監の清吏使を務める薛公遠と申す。江湖の者からは千糸叟と呼ばれておる。同じ司天監に身を置きながら、今日このような形で初めて顔を合わせることになろうとは、まったくもって感慨深いものよ」老人はそう言って、わざとらしく感嘆の息を漏らした。
相手が官界のしきたりに則って礼を尽くしてきた以上、謝必安も適当にごまかすわけにはいかなかった。彼はだらしない動作で拱手を返し、皮肉な笑みを浮かべて言った。
「どこの無縁仏が迷い込んできたのかと思いきや、監内の大掃除を専門になさる薛大人でしたか。こりゃ失敬。下官、雑項科拾遺の謝必安、ここにお見知りおきを」
「本官は監内の掟に則り、お前のような反逆の拾遺を都へ連行し、審問にかけるべきなのだがな」千糸叟の口調が急激に氷点下まで冷え込み、周囲に陰風が吹き荒れ、無数の長い黒髪が、袖口から毒蛇のように這い出してきた。「その減らず口を見て、儂は考えを変えた。まずお前の皮を剥ぎ、それからその首を持ち帰って賞金に換えてやろう!」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、地面に転がる村人たちの死体が黒髪に操られ、関節からバキバキと不気味な音を立て始めた。一つ、また一つと、死体は操り人形のようによろよろと立ち上がり、あっという間に謝必安たちを幾重にも包囲してしまった。
謝必安は唾を吐き捨て、反手で腰の『驚蟄』を引き抜いた。「そりゃあ腕の見せ所だな。デブ、老沈。この雑魚の群れは任せたぞ。村の皆さん、悪く思わねえでくれ。これからちょっと手荒な真似をするが、終わったら必ずあんたらの死体は綺麗に片付けてやるからな!」
劇変が起きたその瞬間、銜蝉はとっくに血の滴るような大口を開け、好機を見計らって篝火の上のイノシシの丸焼きの半分を丸呑みにしていた。体内で骨格が急激に成長する鈍い音が響き、瞬く間に大山猫ほどの大きさの黄金の猛獣へと姿を変え、真っ白な牙を剥き出してニヤリと笑った。
『親父、安心しな! 腹一杯食った後の腹ごなしにちょうどいいぜ!』
沈無は目に凶光を宿し、手首を力強く振って、絡みつく黒髪の中から百辟喪門刀を強引に引き抜いた。横目で謝必安を見やり、冷たく言い放つ。「自分の身は自分で守れ」
謝必安は自分の胸をポンと叩き、ヘヘッと笑った。「心配すんな。師父にもらった防護服があるからな」
沈無はそれ以上何も言わず、足を踏み換えて数歩前へ躍り出た。百辟喪門刀が空気を切り裂いて振り下ろされ、冷たい刃が夜の闇を裂き、飛びかかってきた首無しの死体に力任せに叩き込まれる。
この一刀は確かに命中した。だが、骨と肉が断ち切られる時のあの爽快な感触は返ってこなかった。死体の周囲に絡みついた黒髪が生き物のように蠢き、髪の表面から生臭い油を滲ませ、刃を粘りつくように絡め取って、その勢いを削いだのだ。
しかし、沈無は先ほどすでに一度痛い目を見ている。同じ轍を踏むはずがない。彼は目を細め、即座に手首を反し、刀を真横へと猛烈に薙ぎ払った!
刀身は絡みつかれるどころか、逆にその力を利用し、流れに乗ってその死体を真っ二つに両断した!
それを見た謝必安は、すぐさま『驚蟄』の雷気を呼び覚まし、目の前のこの吐き気のするゴミどもを黒髪もろとも黒焦げにしてやろうとした。
だが、彼が雷気を呼び起こそうとした、まさにその瞬間。百里離れた建康城で、謝知微の心防が崩れた。祖陣に鎮圧されていた百鬼はその亀裂へ一斉に殺到し、同源の血脈を逃げ道として、遠く離れた謝必安の肉体へ牙を立てたのだ。
妹を襲った反噬の寒気は、血の繋がりを伝って百里を越え、何の前触れもなく彼の心臓を直撃した。
「グッ! クソ……何が起きた!」
謝必安は低く呻き、顔色を劇的に変えた。無防備な胸を、見えない鈍器で力任せに殴りつけられたような衝撃だった。彼は何の防御もできないまま苦痛に身をかがめ、「オェッ」と激しくえずき、どす黒い血をひと口、抑えきれずに吐き出した。その血の中にはなんと凍てつくような氷の欠片が混じっており、地面に触れた瞬間にカチンと固まった。
彼は『驚蟄』を杖にして身体を支え、倒れ込むのだけはどうにか堪えた。
この唐突な反噬は、謝必安の虚を完全に突いた。凍てつく寒波が一瞬にして四肢百骸へ流れ込み、謝必安は歯を食いしばり、力ずくで「錯金琉璃」を逆回転させて死に物狂いで抵抗した。刹那、皮膚の下に金色の流光と青白い冷光が微かに透けて見え、彼の経脈の中で無秩序に衝突し、引き合い、万匹の蟻に骨の内側から食い破られるような、凄絶な痛みを引き起こした。
この時、謝必安の右手に宿るあの妖骨でさえも、この死の気配を帯びた底知れぬ外力に驚愕したのか、突如として縮こまり、自ら経脈との繋がりを遮断してしまった。
謝必安は右腕が急激に麻痺するのを感じ、腕全体がたちまち力無く垂れ下がった。だが、妖骨の力が一時的に引いたことで、謝必安の体内で互いに食い合っていた波動は、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻した。
『親父! どうしたんだ!?』
屍怪の群れと格闘していた銜蝉は、全身の金毛を逆立てながら、目の前の雑魚どもを放り出して振り返り、焦燥の叫びを上げた。
眼球を失った千糸叟は、初めこそ謝必安が芝居を打っているのではないかと疑ったが、今、相手の気が完全に乱れたのを鋭く察知した。何が起きたのかは分からないが、この天与の好機を逃すはずがない。彼は即座に獰猛な笑い声を上げ、目の前の隙を突いて両手を猛然と前へ振り下ろした。
「死ね! 次の輪廻では、もう少し目端を利かせることだな!」
声が途切れる前に、無数の黒髪で編み上げられた漆黒の大蛇が虚空から具現化した。それはむせ返るほどの生臭さを纏い、予測し難い軌道を描き、救援に戻ろうとした沈無の脇をすり抜け、血の滴るような大口を開けて、弱り切った謝必安へと一直線に襲いかかった!
まさに間一髪、その瞬間。
『親父ぃぃ――!』
銜蝉が凄絶な絶叫を上げた。彼は両方の前足で絡みつく毛髪の塊を引きちぎり、背中に二匹の獰猛な屍怪がしがみついているのすらお構いなしだった。何もかも無視して全身の筋肉を爆発的に膨張させ、四つの足で地面を猛烈に蹴り上げると、その身体は砲身から撃ち出された金色の砲弾と化し、立ち塞がる屍怪どもを真正面から粉砕しながら、あの凶悪な髪の大蛇へ真っ直ぐ突っ込んだ!
鈍く重い肉弾戦の激突音が夜空に響き渡り、銜蝉の身体がその反動で下へと沈み込む。
だが、骨の髄に刻まれた凶暴性がここで完全に引き出された。彼はまるで痛覚を失ったかのように、四肢の鋭い爪を泥地へ深く食い込ませ、腰を捻り、太い尻尾で均衡を取り、身体を深く沈めると、髪の大蛇を力任せに横へ薙ぎ払った!
巨大な髪の大蛇は、横合いから叩き込まれた凄まじい力によって、強引に進行方向を捻じ曲げられ、謝必安の肩をかすめ、風を切り裂く轟音と共に後方の馬車へと激突していった。
車を牽く蜃驪は霊的な感覚が極めて鋭い。致命的な脅威を察知し、首を高く上げて恐怖に満ちた嘶きを上げた。蹄を動かして避けようとしたが、命を奪うこの一撃には間に合わない。その場で車体を引きずり、強引に馬車の角度を少しだけずらすのが限界だった。
「メキィッ!」
謝必安の姐弟子が特殊な補強を施したはずの、比類なき堅牢さを誇る馬車の車頂が、髪の大蛇の凄まじい一撃によって、まるで紙細工のように削り飛ばされた!
刹那、無数の木屑、布の垂れ幕、そして引き裂かれた金色の符文が、夜風の中で天高く爆散し、明滅しながら消えていった。
「誰じゃ……妾の眠りを妨げたのは――!」
その声に圧された蜃驪の嘶きは途中でぷつりと断ち切られた。大きく口を開けたまま、鳴くべきか黙るべきか分からぬように、その場で滑稽に凍りついている。
瞬間。実体すら帯びたかのような絶対的な殺気が、空を覆い大地を隠すほどの勢いで蔓延し、理不尽極まりない力でその場にいるすべての者を完全に飲み込んだ。
広場全体が――いや、村全体が、この瞬間、申し合わせたように死の静寂へと沈んだ。
千糸叟の顔に浮かんでいた獰猛な笑みは凍りつき、沈無の大刀は半空でピタリと止まり、先ほどまであれほど威風堂々としていた黄金の猛獣銜蝉でさえ、今は恐怖のあまり二本の太い前足で、慌てて自分の口元をぴたりと塞ぎ、息を吸うことすら恐れていた。
だがそれでも、この威風堂々たる金色の猛獣は、全身の激しい震えを止めることができなかった。その前足の隙間から、極限まで押し殺しながらも、絶望に満ちた小さな呟きが漏れていた。
『阿奴を起こしちまった……終わった……終わったぜ……』
屋根を失い、四方の壁まで無残に砕け散った馬車の中から、言葉では到底形容しがたい寒気が、ゆっくりと外へ広がり始めた。夜空を舞う木屑と符文の微光の中、全身に銀白色の淡い光をまとった、小柄で可憐な影が、俗世の気配を一切纏わぬまま、ゆっくりと半空へ浮かび上がった。
阿奴は半空に静かに留まり、氷のように澄んだ眼差しで左から右へ、広場全体をゆっくりと見渡した。
血を吐いて負傷している謝必安の姿を見た時、彼女の視線は数呼吸ほどそこに留まり、悟られないように小さく眉をひそめた。そして銜蝉を見るや、その瞳に露骨な怒気を宿した。
彼女はまだ一言も発していなかったが、その圧倒的な威圧感は、すでにその場の者たちを窒息させかけていた。
夜風が吠え猛り、雪のように白い銀の長毛をなびかせる。左右で色の異なる、美しくも妖しい瞳からは、かつての気怠さや気まぐれな色はとうに消え失せていた。
底知れぬ深淵のようなその瞳の奥では、今、甘い夢を邪魔されたことに対する、周囲のすべての者の魂を完全に凍結させるほどの、天を焦がす怒りの業火が絶え間なく渦巻いていたのだ。
「愚か者どもが」
阿奴は、ようやくゆっくりと口を開いた。その声はどこまでも柔らかかったが、一語一語が雷鳴のように響いた。
「そなたら……妾を起こしおったな」
四方に答える者は誰もいない。ただ冷たい夜風だけが、血生臭い地面を吹き抜けていった。
「どう死ぬかは、もう決めたかえ?」
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【司天監内部メモ】
外出する際、男女を問わず守るべき鉄則が二つある。
第一に、他人が飯を食っている時、決してその膳をひっくり返してはならない。
第二に、腹一杯食った後で眠っている凶獣を、決して起こしてはならない。
前者なら、相手は命懸けで殴りかかってくるだけで済むかもしれない。
だが後者の場合、相手は問答無用で、まずお前をあの世へ強制送還する。話を聞くのは、その後だ。




