第53話 銀の瞳は冷ややかに穢れを討つ
【巻ノ一・残頁伍拾参:『大魏異物誌・業火』】
「仏門に業火あり。凡木を焚かず、専ら宿業を焼く。若し邪法を以て之を納めれば、炭を呑み腹に入るが如く、五内は倶に焚かれん。此の火を抜かんと欲せば、極寒の物か、あるいは錯金の秘術にあらざれば不可なり。然れども業火が体を離れれば、必ず結んで瑠璃と成る。此の物、百年の暴戻を聚め、至珍にして至凶なり」――『司天監・妖部档案』
【司天監内部メモ】
底辺で役人を務めている時、誤って朝廷で権勢を振るう大人物の私物を掘り起こしてしまった場合。甘い言葉で逃れられるなどと決して期待してはならない。この時、唯一できることは、直属の上司の官服の裾を死に物狂いで握りしめることだ。二人で結託し、日没の暮れ六つが鳴るその瞬間まで、しぶとく生き延びる道を探るしかない。
†
大魏皇宮、太極殿。
謝必安が一尺ほどの高さがある銅張りの敷居を跨ぐ。正面からぶつかってきたのは、高温と血の匂いで築かれた高い壁だった。熱波が濡れた髪を瞬時に乾かす。
殿内の空間は迷うほど広大だ。だが今は、密閉された生鉄の溶鉱炉のようだ。三人で抱えるほど太い金糸楠木の蟠龍柱十二本。その表面は腐食し、大きな黒焦げの穴がいくつも空いている。床の白大理石の隙間から、沸騰する暗赤色の血水がドクドクと溢れ出す。皮肉の焦げる匂いと、古い防腐香料が混ざった鼻を突く悪臭が充満していた。
大殿の中央。かつて天を祭るために使われていた青銅の巨大な鼎が、すでに叩き壊されている。
大魏国師李泌は、そのねじ曲がった青銅の残骸と砕けた肉の山の上に端座していた。
怪物の姿をはっきりと見た瞬間、謝必安の呼吸が止まった。
李泌の左半身は破れた紫の道着を羽織り、仙風道骨の面影を保っている。だが右半身は、皮肉が仏光と煞毒に溶かされ、白い骨が剥き出しになっていた。
その白骨の隙間で、無数の暗赤色の太歳の肉糸が狂ったように蠢き、絡み合い、欠損した臓器を埋めようとしている。
しかし、一団の金赤色の仏門の業火が彼の丹田に引っ掛かっている。赤く焼けた鉄の釘が、歯車の中央に打ち込まれているようだ。肉糸が近づくや否や、ジューッと焼ける音を立て、生臭い黒水へと変わる。
修復と壊死。彼の躯殻の中で、解くことのできない死の結び目を形成していた。
「司天監……よくもまぁ、司天監の拾遺が」
李泌が、半ば生きて半ば死んだ頭をゆっくりと上げる。空洞の右眼窩の中で、微弱な業火が燃えている。殿内に足を踏み入れた数人を死に物狂いで見据え、喉の奥から、粗い砥石が二つこすれ合うような嘶きを漏らした。
「老夫が欲しいのはその若造の命だ。袁天罡、貴様、人を引き連れて自ら本座の太極殿に踏み込むとは、謀反のつもりか?」
「国師、言葉が過ぎますぞ」
袁老いぼれは退かない。干からびた掌で、青白い紙提灯をわずかに高く掲げた。提灯の中で揺らめく不気味な緑の蝋燭の火が、空中に肉眼で見える灰白色の陰気を幾重にも放つ。李泌から迫る熱い血気を強引に押し返した。
「老夫は大魏の監正として、朝廷の律制に基づき、大魏の地脈と忘憂閣の損壊の件について、太極殿に報告と検証に参ったまで」
褐色のシミだらけの老顔で、数十の灰白色の目が幽々と動いている。咳払いし、官界を何十年も泳いできた古狸の口調を取り出した。
「国師はご存知ないでしょう。この謝拾遺、過失があり、不注意で建康城の地脈と忘憂閣を少々損壊しましたが。当時の奴は妖を退治する一心で、切羽詰まってのことで、実に無心の過ち。さらに、奴は役所の編制にいる官吏であり、吏部の勘合を握っております。国師が罪を問おうというなら、『大魏律・刑統』に基づき、老夫はまず立件し、調書を大理寺と刑部に提出し、三法司による合同審理を行わねばなりませぬ。もし罪名が確定すれば、老夫が自ら法に則り、この若造を刑場へ送ってご覧にいれましょう。だが、今ここで殺してしまっては、官府の手続きが……実に老夫を悩ませるのですよ」
『ニャオ? 親父、このジジイ、何の寝言を言ってんだ?』
銜蝉が謝必安の脳内で大げさに思考を響かせる。太った猫は四つの足で殿内の血水を踏みしめ、落ち着かない様子だ。
『国師のあの腐肉、前回のあの肉団子より手強そうだぞ! しかもメチャクチャ熱そうだ! 俺様から見りゃ、早く逃げた方がいいぜ! あのジジイ、お前の首を斬るとか仄めかしてないか? 俺様のメシはどうなるんだよ! あのジジイは悪い奴だ、先に売っぱらって干し肉と交換しようぜ!』
『黙れ。分からないなら口を閉じて、横でおとなしくしてろ』
謝必安は脳内で騒ぐ太猫を無視した。腕の火傷の劇痛をこらえ、深呼吸する。即座に袁老いぼれの官僚芝居に乗った。
「監正大人の仰る通りです。下官は九品の拾遺の身、職位は低く言葉も軽いですが、すべては命を受けての行動」
謝必安は李泌に向かって拱手した。卑屈さも傲慢さもない。まるで怪物ではなく、役所にクレームに来た短気なクレーマーを相手にしているようだ。
「下官が忘憂閣で事件を調査していた際、あの地下の水銀機関と太歳の煞気が、朝廷の工部の営建法式に著しく違反しているのを偶然発見しました。建康の民の安寧を守るため、これらを法に則り『撤去』した次第です。その過程で、国師の……『私有財産』に少なからず損害を与えたやもしれません。ですが下官は実費で賠償し、万言の反省文を内閣へ提出する所存。国師は大人度量、こんな些細なことで、肝火を動かす必要がありましょうか?」
「三法司だと? 反省文だと? ハハハハハ!」
「口から出まかせを! 本座を三歳の子供とでも思っているのか! そんな言い逃れを信じるとでも?」
李泌が凄惨な狂笑を上げた。腹腔の傷口が引っ張られ、大量の黒血が湧き出す。無事な左眼で、掛け合いをする二人の司天監の官僚を死に物狂いで見据えた。すべてを見透かした暴虐が目に宿る。
「貴様らのような蟻が。死を目前にして、凡人の掟を持ち出して本座を騙そうとはな。本座の言葉こそが、この大魏の律法だ!」
猛然と左手を上げる。大殿の奥から、重鎧をまとった数十の血屍衛が鈍い咆哮を上げ、暗闇からゆっくりと迫ってくる。錆びた刃が床を引きずり、耳障りな音を立てた。
沈無が一歩前に出る。百辟喪門刀を胸の前に構えた。柄の鉄の鎖が微かに震え、この雷霆の一撃を迎える準備を整える。
『親父! だからあの腐肉は理屈が通じないって言ったろ! 舎弟どもを呼んで袋叩きにする気だぞ! あいつの舎弟どもが……聚仙楼の鳩の丸焼きより美味いかどうかは分からねえけどな』
銜蝉は脳内でブツブツ言いながら、肥えた身体を無意識に謝必安の傍へ寄せる。
だが、李泌の視線は沈無を越え、毒蛇のごとく謝必安の灰白色の、細かな氷の結晶に覆われた右手へ落ちた。そこには、極めて特殊な余韻が残っている。
「錯金の瑠璃手……」李泌の瞳孔が猛烈に収縮し、瞬時にすべてを見抜いた。「平康坊の陣の目が一瞬で断ち切られたのも頷ける。貴様のような雑役が、こんな秘法を心得ていようとはな」
「ふむ……この術、謝家の伝承ではあるまい……珍しい、実に珍しい……」
国師はゆっくりと左手を下ろした。指で膝頭をリズミカルに叩き、思案している。飢えた狼のように迫っていた血屍衛も、それに合わせて歩みを止めた。
しばらくして、口角に極めて残忍な弧を描く。自分がこの危機から完全に抜け出せる、絶妙な方法を思いついたのだ。
「謝家の捨て駒め。本座の体内にあるこの仏門の業火、太歳では溶かせぬ。だが貴様の錯金手なら、瑠璃に結んで引き出せるだろう」
李泌は自身の腹腔を指さした。口調は陰湿で、抗うことのできない暴虐を帯びている。
「来い。本座のためにこの棘を抜け。さもなくば、貴様のあの盲目の妹を、精巧な玩具に作り変えてやる。貴様ら謝家に日夜供養させてやろう。その時、妹が一日苦しむなら、貴様も隣で一日付き合うことだ。何しろ……家族は揃っているのが一番だからな」
謝必安の心臓が激しく締め付けられた。謝知微が無事に屋敷に戻れたか分からない。それに、謝家の陣法が国師自らが操る太歳の凶祟を防げるかどうかも、誰にも保証できない。
退路のない大博打だ。どれほど官僚言葉を並べ、時間を稼ごうと、絶対的な実力差の前では薄紙一枚に過ぎない。
「沈客卿、監正を頼む」
謝必安は濁った息を吐いた。反論はしない。重い足取りで、粘りつく血水を踏みしめ、高温が吹き荒れる青銅の祭壇へ一歩ずつ歩いていく。左手が震えを止められない。太歳の毒血と仏門の業火に満ちた腹腔に手を入れれば、この腕は確実にその場で吹き飛び、命すら奪われるだろう。
『狂ってる狂ってる! 親父、本当にあの腐肉に触る気か?! 焼けるぞ! 絶対に丸焼きにされる! 親父! とにかく逃げるのが先だ!』
銜蝉は焦ってその場でぐるぐる回り、凄惨な猫の鳴き声を上げながら、歯で謝必安の長衫の裾を噛み、引きずり戻そうとする。
謝必安が李泌まで残り三歩の距離に達し、歯を食いしばって能力を発動しようとしたその瞬間。
「ニャオ!」
極度に冷ややかで、傲慢さと軽蔑を帯びた猫の鳴き声が、太極殿に突然響き渡った。
声は大きくない。だが奇妙なことに、業火が炙るジューッという音も、血屍衛の低い咆哮をも掻き消した。
謝必安の肩で気怠そうに丸まっていた阿奴が、動いた。
阿奴は国師の太歳の肉身を鋭く睨みつけた。視線には嫌悪が満ちている。
彼女の目には、謝必安は自分専用の食券なのだ。こんな薄汚いモノのために命を懸けさせるわけにはいかない。万が一こいつが半殺しにでもされたら……。
そう考え、彼女は歩みを進め、謝必安の前に立ち塞がった。縦でも横でも、謝必安がこの不運に触れることは許さない。
床の汚らしい血水は踏まない。優雅な歩みで、四つの足で虚空を踏みしめる。一歩踏み出すごとに、足元の虚空に極小の氷の蓮が咲いた。
銀色の女王は李泌の腹腔の前方三尺の空中に停止し、高慢に雪のように白い顎を上げた。
「畜生め、失せろ――」李泌はこの異獣の脅威を察知し、掌を振って叩き潰そうと咆哮した。
だが阿奴の動きの方が速かった。小さな口を開け、音のない甲高い嘶きを放つ。
刹那、太極殿内の温度が急降下した。深い青色の浄化の霊気が、実体を持った氷霜の鎖のごとく、阿奴の口から噴出する。それは正確無比に李泌の腐乱した丹田の空洞へと潜り込んだ。
「グワァァァァァッ!!」
極致の氷寒と狂暴な業火が、最も凄惨な衝突を起こした。
李泌が引き裂かれるような悲鳴を上げる。体の太歳の肉糸が、低温で瞬時に硬直し、砕け散る。
阿奴は離れた場所から浄化の霊気を操る。精密なメスのように、金赤色の仏門の業火と太歳肉芝を強引に引き剥がした。彼女はわずかに首を傾げ、顔に狡猾で冷たい光を閃かせる。
業火を完全に引き抜いた瞬間。音もなく、極陰の寒気の一筋を肉眼では見えない氷の針に凝結させ、李泌の心脈の最深部の血管壁へしっかりと打ち込んだ。
決して癒えることのない、寒毒の暗器だ。
ブォォン!
激しい霊圧の共鳴音。狂暴な金赤色の業火が、強引に体外へ引きずり出された。阿奴の浄化の霊気の狂ったような圧縮の下、炎は空中で急速に温度を下げ、固化していく。
数呼吸の後。龍眼の大きさの、全体に金赤色のマグマの紋理が流れる業火の瑠璃が、空中に浮かび上がった。魅惑的で暴戻な気を放ち、周囲の空気が瞬時に歪む。
瑠璃が成形された瞬間。
『ニャオォ!! 最高のサプリ!!』
熱いのを嫌がって後ろに隠れていた銜蝉の目に、餓狼のような緑の光が爆発した。太った体が猛然と跳ね上がり、金色の残像と化す。血盆の口を開け、空中の業火の瑠璃へ向かって噛みつこうとした。こいつにとって、これほど高エネルギーに満ちた凶物は、最上級の十全大補丸だ。
同時に、空中に立つ阿奴も優雅に前足を伸ばした。この透き通った戦利品を自分の懐に収め、食後の毛づくろい用のおもちゃにするつもりだ。
金と銀、二つの猫の影が、空中でぶつかりそうになる。
パシッ!
血汚れにまみれた掌が、信じられない角度と速度で荒々しく割り込んできた。熱く煮えたぎる業火の瑠璃を、掌の中に死に物狂いで握りしめる。
「ジューッ」
熱い瑠璃が危うく手から飛んでいきそうになった。謝必安は目にも止まらぬ速さで叫んだ。「逃がすか! 流光瑠璃鎖!」
宝物を死に物狂いで握りしめ、逆手で漆皮の革袋の最も奥底へねじ込む。そのまま留め具を固く閉めた。一連の動作は熟練し、無駄がない。とても怪我人の動きとは思えない。
「こんな代物、大市へ持っていけば通りの半分の権利と交換できる。鬼市なら奇珍異宝にも化けるんだぞ。猫の餌にするだと? ふざけるな」
謝必安は顔を強張らせ、空振りした二匹の猫に向かって、生粋の市井の罵り言葉を吐き捨てた。
阿奴は空振りし、嫌そうに謝必安を睨みつけた。すぐに軽やかに彼の肩へ舞い戻る。雪のように白い前足を伸ばし、浄化の霊気で肩についた微かな霜を、遠慮なく叩き落とした。戦利品を奪われた腹いせのようだ。
銜蝉は白大理石の床板に重く落ち、委屈そうに哀号を漏らした。爪で謝必安のズボンの裾を絶え間なく引っ掻き、脳内で狂ったように抗議する。
『親父! 理不尽だぞ! あれは俺様が先に見つけたんだ! お前が家と交換したって食えねえだろ! 一口かじらせろ! そうじゃなきゃ、舐めるだけでもいいから!』
謝必安は食い意地の張った太猫を蹴り飛ばし、前方を見据えた。
大殿内の空気は、この短い茶番によって和らぐことはなかった。
パキッ……パキパキパキ……
青銅の祭壇から、骨の摩擦音が響く。
李泌がゆっくりと立ち上がった。仏門の業火の抑圧を失い、体内の太歳肉芝は枷を外された狂獣のごとく、目に見える恐ろしい速度で狂ったように成長する。暗赤色の肉芽が急速に半身の白骨を覆い尽くし、紫袍をはち切れんばかりに膨張させた。
左眼が、業火を懐に収めた謝必安を死に物狂いで睨みつける。実体を持つかのような天を衝く殺意が、息の詰まる血肉の腐臭を伴い、津波のごとく数人を押し潰そうと迫る。
「棘が抜けたのなら」
国師の声はもはや嗄れていない。奇妙な雄渾さと充満を透かせていた。ゆっくりと両腕を広げる。十指から半尺ほどの長さの鋭い骨の刺が生え出す。太歳の粘液が骨の刺を伝って滴り落ち、白大理石に深い穴を腐食していく。
「貴様らも、安心して黄泉へ旅立てるというものだ」




