第42話 沸血は金を溶かす
【巻ノ一・残頁肆拾弐:『大魏風水考・聚陽陣』残巻】
「凡そ大陣の枢紐は、必ず極楽闤闠の地に設くべし。極楽は極慾を生じ、極慾は極陽と化す。陣起つ時、鼎炉倒転し、金玉泥と化し、血肉薪と作す。楼に満ちる紅袖、皆陣紋の膏脂と成らん」――『司天監・風水档』
【司天監内部メモ】
無数の民間資金を吸収した巨大な金貸しが夜逃げを決めた時。彼らは事前の公告など出さない。全ての出入り口を封鎖し、金庫の現金と、大広間で行列を作る顧客をまとめて粉砕機へ放り込む。幕後の最高権力者に最後の一枚の銅銭を搾り出すためだ。
†
平康坊、忘憂閣。
逢魔の刻の鐘が鳴り響く前。この建康城最大の銷金窟は、依然として骨までとろけるような病的な繁華の中に浸っていた。
平日の散座大堂は人声が沸き立っている。
粗布の作業着や生皮の鎧を纏った数十人の護衛や用心棒たちが、偏庁の長テーブルを囲んでいる。テーブルの上には汗と青銅の臭いが染み付いた銅銭が山積みだ。数名の帳簿係が算盤を弾き、この青楼の半時辰の流水を清算している。
護衛たちは劣悪な焼刀子を大口で流し込み、給仕をする底辺の老婆の身体を粗い手で好き放題に弄り、粗卑な狂笑を陣々と上げている。
金糸楠木の階段を上り、銷金廻廊へ足を踏み入れると。匂いが瞬時に変わった。
ここでは汗の臭いも安酒の気配も半点嗅ぎ取れない。空気に、西域から献上された返魂香と名貴な脂粉が混ざり合った甘ったるい匂いが瀰漫している。回廊の両側の暖閣には、烏孫国から届いた三寸の厚みがある孔雀絨毯が敷き詰められている。
精緻な雅間の暖閣内。濃密すぎる薫香のせいで空気は粘りついている。
江南最大のシルク皇商、金老爺が。紫檀の彫花軟榻に気怠げに斜めにもたれかかっている。価値のつけられない蜀錦の単衣は肥満した腹に張り詰め、雲紋が横に歪み、荒い呼吸に合わせて上下に起伏し、荒唐にして突兀だ。
軟榻の上では。滝の如き墨色の長髪が這いつくばっている。随意に消費される器物の如し。
その女の細い指先が紫檀木の縁を死に物狂いで掴み、節が力みで白く浮き上がる。時折漏れる破碎した呼吸音は、屏風の外の胡琴の急促な弦の音に瞬時に掻き消された。金老爺は目を細め、翡翠の親指輪を嵌めた太い手で、その青絲を揉み解す。卑俗な充足感に満ちた神情だ。
軟榻の前方。胡人の舞姫が胡琴の急節に合わせて狂い舞う。
身に纏うのは透明に近い南海の鮫綃。織物は無物の如く軽いが、燭影の下で波紋のような冷気を放ち。赤裸の双足と玲瓏な肢体を若隠若現に勾勒している。
その南海の鮫綃は煙嵐の如く、クリームの如き滑らかな背に張り付く。回転に合わせて、腰の窪みの誘人を隠しきれずに透かせる。白梅が雪地に落ちるが如く、赤足が厚い孔雀絨毯を踏みしめ、一歩ごとに深く沈み込んでは素早く跳ね上がる。
舞姫は人を勾引く媚笑を浮かべて無瑕の孔雀絨毯を踏む。回転するたびに足先が細密な絨毛に沈み込み、再び軽やかに跳ね上がる。足首の羊脂白玉の鈴が震えるたびに、潤んだ澄んだ叮噹という音を鳴らす。
起伏する波瀾の身段の揺れの中で、その響きは勾魂索と化し、堂内の粘りつく空気を撩撥する。彼女が振り向くたび、微熱を帯びた胡旋風が郁烈な香気を伴って顔を打ち、人を眩暈させ心神を蕩漾させる。
金老爺は目を半ば閉じ、翡翠の指輪だらけの太い手を伸ばす。
傍らで伺候する亜魁の紅娘子が即座に心得て。細い玉の指で皮を剥いた氷鎮の紫葡萄を一粒つまみ、琥珀色の陳年花雕酒に浸し。金老爺のよだれを垂らした厚い唇へと温順に運んだ。
「美味い酒だ……美味い肉だ」金老爺は葡萄を咀嚼する。濁った瞳の底に貪婪な慾火が満ちる。「大魏の江山は、斯く快活であるべきよ」
だが。その快楽は、次の息の間に唐突に断ち切られた。
低く沈んだ地底の奥深くからの震鳴が。忘憂閣の厚い地基を突兀に貫通した。
最も早く異変に気づいたのは、暖閣の隅で奏楽を担当する楽師たちだ。
錚々という鋭い音と共に。数本の名貴な胡琴と琵琶の弦が、なんと同時刻に一斉に崩断した。断裂した蚕糸の琴弦が鋭利な刃と化し、楽師たちの頬と指を瞬時に切り裂き、鮮血が横流する。
楽師たちが驚呼する間もなく。
尋常の地龍ではない恐怖の高温が。活人の肺葉を焼き尽くすほどの温度を帯び、足元の木板の深処から前触れもなく狂い噴き出した。
大堂で場を鎮めるために置かれていた数個の巨大な氷像が。瞬きする間に沸水へと融化する。
掐糸琺瑯の火鉢の中で本来温和だった銀骨炭が、目を刺す幽藍色の邪火を瞬時に爆発させ。火苗が半人の高さまで立ち昇り、周囲の名貴な字画を即座に点火した。
「どうした! この地龍は燃えすぎだ!」金老爺は煩躁に、本来開いていた蜀錦の単衣を引き裂き、放熱を試みる。
彼は傍らの亜魁紅娘子を揉むのをやめ、強引に突き飛ばす。卓上の純金の酒樽に盛られた氷鎮花雕を掴み、首を仰け反り、心頭の燥熱を抑えるべく一口で飲み干そうとした。
酒液が喉を通る刹那。
金老爺の肥満した顔面が、猛然と極度に駭人な形状へと歪んだ。両目が瞬時に充血して暴突し、目尻が崩裂する。
本来は氷鎮の美酒であったはずだが。口に注ぎ込まれたその一瞬に、酒水は大陣の無形の高温によってすでに沸騰の頂点まで加熱されていたのだ。
滾々と煮え立つ沸酒が食道に沿って下り、沿途の脆弱な粘膜と気管を焼き熟し、最終的に胃袋へと容赦なく叩き込まれた。
喉の奥からくぐもった破裂音を漏らし。金老爺は惨叫の一声すら発せなかった。彼の胃袋は極致の高温とアルコール蒸気の膨張の下、轟然と爆裂した。
内臓の砕肉と沸騰した酒液が混ざった暗赤色の血泉が。大きく開いた口と鼻孔から噴射状に狂い湧き出し、傍らの紅娘子の顔一面に飛び散った。
金老爺の巨大な身躯が二度劇しく痙攣し、紫檀の軟榻へ重く激突する。腹の皮が空気を抜いた鞠のように内側へ陥没し、七竅から白い蒸気が裊々と立ち昇った。
「人殺しだァァ――!」
紅娘子が凄惨な尖叫を発し、門の外へ逃げようと試みる。
だが彼女が一歩踏み出したばかりの時。足首を何かの氷のように冷たく粘りつくモノに死に物狂いで絡みつかれた。
彼女が頭を下げると、肝胆が倶に裂けるような一幕が目に入った。
暖閣の地面のあの価値千金の孔雀絨毯が。今や生命を宿したかのようだ。
本来金糸と絨毛で編まれていた精美な花紋が、高温と煞気の催化の下で狂ったように扭曲、蠕動し。子供の腕ほどの太さの暗赤色の血管陣紋へと化していた。
あの旋転していた西域の舞姫は、すでにこれらの陣紋血管に徹底的に包み込まれていた。
「助けて……お姉様……お母様助けて……」
舞姫が絶望の哀号を発する。陣紋の血管が無数の貪婪な水蛭の如く、彼女の白皙の肌に死に物狂いで吸着する。
脳を麻痺させるような引き裂く音の後。舞姫の背部の皮膚が陣紋によって生身のまま剥離された。
鮮血が瀑布のように噴湧するが、一滴も床には落ちない。すべて陣紋に貪婪に吸食され尽くした。皮膚を失い、鮮紅の筋肉繊維を露出させた舞姫の躯体が。まだ陣紋の纏繞の下で不由自主に痙攣し、殻を剥かれた血肉の傀儡と化している。
雅間だけではない。
最も人の多い散座大堂も。今や純粋な肉挽き機と淪落していた。
忘憂閣の厚い銅張りの大門とすべての窓は。陣法が起動した瞬間に、無形の巨力によって死に物狂いで封鎖された。門の隙間からは暗赤色の肉膜すら生え出し、青楼全体を完全に密閉された高圧鍋へと変えた。
「門が開かねえ! 早く窓を壊せ!」
護衛たちが驚恐のあまり手中の長刀と鉄尺を振り回し、狂ったように門窓を劈砍する。だが刀の峰がそれらの肉膜に切り込んでも、死に物狂いで噛み込まれるだけだ。
密閉空間の中で高温が急激に攀昇する。
底層の活人が大批大批と倒れ始めた。彼らの脂肪が高温で融化し、鮮血と混ざって毛孔から滲み出し、金糸楠木の床の上に半寸の厚さの暗赤色の粘稠な肉泥の層を匯聚させた。
護衛たちの手中の計数用の銅銭が、煞気の炙り焼きの下で滾々と煮え立つ銅水へと融化した。
銅水が指の隙間を沿って流淌し、彼らの手掌と生鉄の兵器を死に物狂いで鎔鋳して一体にする。大陣の煞気が虚に乗じて入り込み、陽気を失った枯渇の経脈へと強行灌入する。
骨が錯位する不気味な音が陣々と響く。
これらの死んだ護衛が人体構造に反する姿態で。ゆっくりと血肉の泥沼から立ち上がった。彼らの両目が高温で焼融され、暗赤色のマグマを流す空洞へと化し。大陣の最も忠実な防毒ソフトウェアへと淪落したのだ。
そして忘憂閣の最高処――摘星天台。
地底の深処に隠された太歳肉芝が徹底的に点火された。閣内の生霊の死の前の恐怖、怨恨、そして強行搾取された極致の陽気が。陣眼枢紐の狂ったような圧縮の下で、直径三丈に足る猩紅の光柱へと化していた。
轟隆という巨響と共に。光柱が破天の血色の巨剣の如く、忘憂閣の穹頂を粗暴に貫通した。
満天の秋雨を撃砕し、金を鎔かし骨を化すほどの恐怖の高温を帯びて。夜空を直衝し、皇宮太極殿の方向へ向かって狂飆していく。
五層の高さを持つ忘憂閣全体が、光柱の後座力の下で劇しく揺晃し、重圧に耐えかねた木材の崩裂の巨響を発する。
ここはもはや大魏の門閥が流連忘返する温柔郷ではない。
これは全速で運転している、人命を提煉するための血肉の大鍋だ。寸寸の名貴な絲綢、塊塊の雕花の木板のすべてが、粘稠な脂肪と黒血を滴らせている。
目下暴雨が傾盆し、忘憂閣の外囲の陣法に歪曲された琉璃瓦を叩き、劈啪という乱響を立てている。
三百名の重甲を被った鉄浮屠が。霊魂のない鉄塔の如く、青楼外囲のすべての街道を死に物狂いで封鎖している。
この窒息するような絶望と死寂の只中。
重く穏健な足音が、満地の積水を踏み破り、雨幕の尽頭から緩緩と伝わってきた。
沈無が両手で鉄鏈の纏われた百辟喪門刀を倒引きし、刀の峰が青石板の上に刺耳な火星を劃し出す。
謝必安はその身側を歩く。左手で氷霜の結んだ金泥の漆塗りの箱を托している。とうに汚穢に堪えない官靴が、積水の中の一片の落葉を精準に踏み砕いた。
二人と二匹の猫が、忘憂閣のあの血肉の薄膜に封死された大門の前に停まった。
門の内は、万鬼が哀号する沸血の煉獄。門の外は、三百の鉄浮屠の刀山鉄海。
謝必安は頭を上げ。あの雲霄を直衝する猩紅の光柱を見つめ、口角に極度に変冷な獰笑を勾起した。
寒食散に凍結された右腕が、僵硬しながら懐内にうずくまる銜蟬を恣意に搓揉している。忽大忽小なゴロゴロという声が伝わってくる。
「大魏の清算の時間だ」
彼は顔を横に向け、口の中で節奏の軽快な曲調をハミングし、不由自主に旋律に合わせて口を努めた。
此時此刻、謝必安の脳海に再び「エリーゼのために」のこの曲子が響き渡っていた。身側の鏡妖司千戸と肩の上の阿奴に向かって顎を揚げる。
「沈千戸、門を蹴り開けろ。阿奴、汚いモノを全部追い払え」
語気は隣近所に挨拶回りに行くように軽い。
「ゴミ収集車が来たぞ」




