第4話 鬼市《きいち》
【巻ノ一・残頁肆:鬼市・交易鉄律】
「陰司の当鋪には昼夜なく、売買は縁由を問う。ここでは、人皮が反物、記憶が貨幣、寿命が手札となる。唯一の禁忌。それは、どうしても買わねばならないと売り手に悟らせないことだ」――『建康地下経済指南・黒市篇』
【司天監内部メモ】
「臓物売り」――公の厄介事を、個人の利潤に変えること。前提として、鏡妖司の狂犬どもに噛み付かれないことだ。
†
白馬寺の虫の音が消え、死のような静寂が取って代わった。
謝必安は広場の石獅子にもたれかかっている。左手で苦労して酒瓢箪を持ち上げ、最後の一滴で気を鎮めようとしたが、とうに空だった。
「チッ、貧乏くさい」
毒づいた。自分へか、この空っぽの寺へかは分からない。
「見事だ」
冷たく、起伏のない声が大殿の入り口の影から突如として響いた。チャキッと刃がわずかに鞘から滑り出て護封にぶつかる微音。警告であり、殺気を帯びている。
謝必安は振り返りもせず、気怠く息を吐いた。「半晩もタダ見して、やっと切符を買う気になったか?」
影が散る。玄色の雲紋服を着て、腰に環首直刀を帯びた若い男が歩み出た。松のように真っ直ぐな立ち姿。冷峻な顔つき。眉間には生者必滅の煞気が漂っている。
鏡妖司の制服。大魏朝廷の最も狂った犬。人が処理できない事を専門に扱い、先斬後奏の権限を持つ。
沈無は謝必安を睨み、殿内の水晶のように透き通る瑠璃の大仏を見た。眼底の奥底に深い震駭を隠している。
彼は白馬寺を「清掃」する命を受けて来た。あの肉仏が暴走すれば、寺ごと焼き払い、知る者を皆殺しにするのが任務だった。
だが、司天監の廃品回収屋である「拾遺」が、彼の理解を超えた手段で、あの怪物を……神跡に変えてしまうとは。
「司天監、謝必安」沈無はその名を口にした。値踏みする口調だ。「貴様の手法は、あまりに邪門すぎる。穢物を瑠璃に封じるなど、朝廷の許可目録にはない」
「なら、俺を捕まえるか?」
謝必安は振り返り、完全に瑠璃化して寒気を放つ右手を挙げて振った。「ちょうどいい、この手はもう使い物にならない。鏡妖司の牢屋は飯が美味いと聞くが、三食付きか?」
沈無は眉をひそめた。これほど無頼な官僚は見たことがない。
常人なら鏡妖司の千戸を見ればとうに腰を抜かしている。この男は恐れないどころか、タダ飯を狙っている。
彼は謝必安の前に歩み寄り、視線を瑠璃の手に落とした。数歩離れていても、その骨を刺す寒気が伝わってくる。天道の穢気に直接触れた代償。この男は、命と引き換えに怪物を封印している。
沈無の刀を押さえる手が、わずかに緩んだ。
「鏡妖司は飯など出さん」沈無は冷たく言った。「だが、その仏像の原理を明確に説明できるなら、殺さずにおいてやる」
「説明だと、ふざけるな」
謝必安は歯を剥いた。冷や汗がもみあげを伝い落ちる。「手が凍りついているんだ。これ以上無駄口を叩けば、本当にこの手が死ぬ。そうなった時、この街に満ちる穢気は誰が掃く? お前か?」
彼は、沈無が「掟を守る」人間であることに賭けた。鏡妖司の責務が建康城を守ることであるなら、問題を真に解決できる専門家を殺しはしない。
沈無は沈黙した。青白い顔に嘲りの笑みを浮かべたままの謝必安を見て、決断を下す。
「どこへ行く?」沈無が問う。
「忘憂閣だ」謝必安は遠慮なく身体の重量を石獅子に預けた。「蘇小小を探す。彼女はこの街で最高のお針子だ。それと……」
謝必安は懐の、石のように重い銜蝉を沈無の懐へ強引に押し付けた。彼を完全に下働きとして扱う、理にかなった動作だ。
「猫を抱いてろ。このデブは食ったばかりで、死ぬほど重い」
沈無はその金色の肥えた猫を抱いたまま、その場で硬直した。堂々たる鏡妖司の千戸、人を殺して麻の如き冷面閻羅に向かって……猫を抱けだと?
『ニャオ』銜蝉は彼の懐で快適な姿勢を探り、そのガチガチの玄色の服を嫌そうにこすり、脳内で毒づいた。『硬すぎる。低評価だ』
沈無は深呼吸をした。こめかみの青筋が跳ねたが、結局刀は抜かなかった。
「行くぞ」
歯を食いしばり、一言だけ吐き出した。
†
忘憂閣は地上にはない。
秦淮河の影の中にある。
馬車が秦淮河畔の古い柳の木の下に止まった。謝必安は懐から一枚の銅銭を探り出す。銅銭には緑色の銅錆がびっしりと生え、海の生臭さを放っている。
無造作に銅銭を河へ投げ入れた。ポチャンと澄んだ音がする。
銅銭が沈んだ瞬間、謝必安の胸の奥が激しく引き攣った。爪で心臓の肉を軽くつままれたような感覚。ごく軽く、だが正確で、何かを持ち去られたような虚無感を伴う。
これが通行料だ。鬼市は死物を受け取らない。活気のみを収める。
水面に波紋が広がる。奇妙なことに、波紋は散らずに中央へ集まり、最後には水面に発光する扉を形成した。
「行くぞ、沈大人」謝必安は馬車の扉に寄りかかり、青白い顔に専門家特有の気怠さを貼り付けたまま言った。「紙酔金迷とは何か、見せてやる」
水門を抜けると、目の前の世界が瞬時に逆転した。
漆黒だった河底が、明るく照らされている。無数の赤い提灯が水中に浮かび、精巧な水中の楼閣を照らし出す。ここに水圧はない。ただ白粉と沈香が混ざった、淡く奇妙な甘い香りが漂っている。
通りを徘徊しているのも、普通の人間ではない。
沈無は見た。下半身のない書生が、自分の脚の骨を筆代わりにし、壁に詩を書いて酒と交換している。顔中魚の鱗だらけの老婆が、まだ動いている眼球の入った籠を提げ、「新鮮な電球」と大声で売り歩いている。
行き交う車や馬。謝必安は古本屋の屋台の前で一瞬立ち止まり、無造作に袖を引いて、再び前へ歩みを進めた。
これが鬼市だ。混乱はしているが、売り声は当番表があるかのように、それぞれが踏むべき位置を正確に踏んでいる。
「謝七爺、珍しいお客さんね」
気怠く、嗄れた、釣り針のような磁性を帯びた女の声が響いた。
赤い紗の帳が暖かく、香風が顔を打つ。
大紅の牡丹の煙羅裙を着た女が、裸足で、虚空の蓮の花びらを踏みながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。極めて美しい。不気味なほどに美しい。肌は最高級の羊脂玉のように白く、目尻や眉間に天然の媚態を透かせている。
蘇小小。忘憂閣の花魁であり、この鬼市最大の情報屋。
沈無は無意識に身体を強張らせ、刀の柄に手を当てた。背中の産毛が逆立つ。
鏡妖司の人間として、彼は一目でこの女の異常さを見抜いた。完璧すぎるのだ。
彼女の肌には毛穴がない。笑顔に小皺がない。首筋の線は、絵師が最も細い狼毫の筆で輪郭を描いたかのように滑らかだ。完璧すぎて、活人が持つべき瑕疵が一寸たりとも存在しない。
この完璧さは、醜悪さよりも人を恐れさせる。
「緊張しないで、お兄さん」蘇小小は軽く笑い、視線を流して沈無の刀を握る手を見た。「私の所で刀を抜くなら、追加料金をもらうわよ」彼女は笑みを深める。「あんたに……払えるかしら?」
彼女は謝必安の前に歩み寄り、視線をその瑠璃化した右手に落とした。
その瞬間、彼女の目の媚態が消え去り、絶世の珍宝を見た鑑定家の貪欲さに取って代わられた。その手を取り外し、自分の宝物庫に収めようとするかのような目つきだ。
「あらまぁ……」
蘇小小は謝必安の手をすくい上げ、氷のように冷たい指先でその硬い瑠璃の皮膚を優しく撫でた。声が陶酔に沈む。「七爺、この手……ますます色合いが良くなっているわ。この金糸、この透光度……切り落として灯立てにすれば、奴家は黄金万両を出してもいいわ」
「売らん」
謝必安は手を引っ込めた。動きは硬直しているが、口調は斬釘截鉄だ。「これは飯を食うための商売道具だ」
「ケチね」
蘇小小は唇を尖らせ、風情たっぷりに白眼を剥いた。「中へ入って。今回は……『紅粉髑髏』の出汁で漬け込まないと。そうじゃないと瑠璃の毒が心臓を攻めて、あんた本当に彫像になっちゃうわよ」
†
雅座の中。
巨大な木桶にピンク色の熱湯が張られ、水面には正体不明の花びらと……白々とした骨が数本浮かんでいる。それらの骨は熱湯の中で転がり、奇妙な香りを放つ。花の香りのようでもあり、骨髄を煮詰めた甘い匂いのようでもある。
謝必安は右手を水に浸した。
ジューッという音が耳畔に響き、沸騰する水面から青白い煙が大量に吐き出される。
「ウッ……」謝必安は低い呻きを漏らし、額に青筋を暴起させた。
この水は美人骨で煮出したスープで、瑠璃のような死物を軟化させるための専用液だ。無数の蟻が骨をかじり、硬化した部分を少しずつ噛み砕いていくような感覚が襲う。
蘇小小は桶の縁に座り、細長い銀の針を手に持ち、水中の骨をかき回している。骨髄の精華を謝必安の瑠璃の手に浸透させるためだ。
「今回の仕事はデカかったわね」蘇小小は作業をしながら、漫不経心に言った。「白馬寺の肉仏を封じたんでしょ。今、外では持ちきりよ。司天監にゴミを宝物に変える神人が現れたって」
「虚名だ」謝必安は目を閉じ、劇痛を強引に堪える。「飯を食うためさ」
「飯?」蘇小小は軽く笑い、突然謝必安の耳元へ顔を寄せた。蘭のような息を吐く。「七爺、あんたのその飯……血が滴ってるわよ。国師がその瑠璃の仏像にとても興味を持っているそうね。あれは……『長生』の新たな道筋だと考えているみたい」
謝必安は猛然と目を見開く。眼底に寒光が閃いた。
「奴は製法が欲しいのか?」
「違うわ」蘇小小は鮮紅の舌先を出し、唇を舐めた。目に危険な光が閃く。「奴が欲しいのは原料。つまり……あんたよ。あんたをお招きして、その両手がどうやって生えてきたのか、じっくり研究したいそうよ」
「だから、今回の治療費は、値上げさせてもらうわ」
蘇小小はついに本性を現し、ニコニコと笑いながら三本の指を突き出した。
「三千両?」謝必安は眉をひそめた。
蘇小小はさらに甘く笑う。「私が金に困ってるとでも?」
「違うわ」蘇小小は首を振る。指先で謝必安の胸元を突いた。ちょうど心臓が鼓動する位置だ。「あんたの心臓の、一滴の『心頭血』が欲しいの」
「それを何に使う?」沈無がたまらず口を挟む。氷のように冷たい声。「心頭血は人の精気と精神だ。抜かれれば寿命が縮む」
蘇小小は沈無を無視し、ただ深く謝必安を見つめ、目を潤ませて、背筋の凍るような情話を吐いた。
「今すぐ欲しいんじゃないわ。将来、欲しいの」
「いつかあんたが本当に砕け散った時……」彼女の指先が謝必安の胸板をなぞる。「この一滴の血が、私が修復してあげるための手付金よ。こんな綺麗な瑠璃が、粉々に散らばってしまったらもったいないもの。誰かが拾い集めてあげなくちゃ」
雅座が死寂に沈んだ。
あまりにも非情な言葉だ。彼女が賭けているのは謝必安が生き残ることではない。彼が必ず砕け散ることに賭けているのだ。そして彼女は、その唯一の収集家になろうとしている。
沈無の刀を握る手の甲に青筋が浮き出る。これが治療なものか。魂の売身契への署名に他ならない。
蘇小小は気怠げに長椅子にもたれかかった。大紅の寝巻きの襟元がわずかに開き、驚くほど真っ白な肌が大きく覗く。貧乏くさい謝必安を上下に値踏みし、眼底に計算高さを透かせた。「謝拾遺、ここの掟は掛け売りなしよ。そうじゃないと……あんた、何を手付金にするつもり?」
謝必安は少しも避けることなく、その真っ白な肌に二秒ほど視線を這わせた。チッチッと舌を鳴らして感嘆し、口角に悪党のような笑みを浮かべる。
「蘇老闆の算盤は本当に正確だな。だが俺たち司天監の貧乏公務員の懐は、顔よりもスッカラカンだ。いっそこうしないか……この忘憂閣に『男娼』は足りてるか?」謝必安は痩せているが筋肉質の胸を叩いた。「俺のこの皮袋、少し妖気は染み付いているが、仕事は司天監公式認定済みのタフさだぜ。どんなに厄介な深浅でも、俺なら底まで探り当てられる。蘇老闆、まずは自分で品定めして、俺に肉体労働で払わせてみないか?」
蘇小小は、あまりに露骨で下品でありながら、奇妙な自信を透かせたからかいにわずかに呆気にとられた。すぐにコロコロと嬌艶な笑い声を上げ、笑い罵る。
「ペッ、いつでも吸い尽くされそうな虚弱な姿のくせに。私の長椅子で死なれて、ペルシャ絨毯に縁起でもない染みをつけられたらたまらないわ」
だが、謝必安は笑っていた。
目の前の美しく危険な画皮の女鬼を見る彼の目に、恐怖はない。専門家同士の暗黙の了解だけがある。
「交渉成立だ」
謝必安は淡々と言った。「だが今はダメだ。今渡したら、俺はこの忘憂閣を生きて出られない気がするからな」
「七爺は本当に話が早い」
蘇小小は満足げに手を引っ込め、銀の針で水をかき回す。
水面の沸騰が止まった。
だが桶の水は澄むことなく、胭脂のような暗紅色の混濁した泥に変わった。桶の壁には白い霜の層がへばりついている。骨が煮詰められて粉になったものだ。
謝必安が手を上げる。瑠璃化が退き、皮膚が肉色を取り戻した。まだ青白く冷たいが、少なくとも……知覚は戻った。
「沈大人、支払いを」謝必安は手についた胭脂の泥を振り払い、堂々と沈無を見た。
「何の支払いだ? お前、たった今自分を売り飛ばしたばかりだろうが?」沈無は唖然とした。
「あれは診察券代だ」謝必安は卓の上の酒と料理を指差す。「この酒席、それにさっきの紅粉髑髏スープの材料費は別会計だ。鏡妖司は金持ちなんだろ? まさか踏み倒す気か?」
沈無「……」
†
忘憂閣を出る頃には、空が白み始めていた。
謝必安は馬車の中に座っている。右手の知覚は戻ったが、氷水から引き上げられたように冷え切っている。
うつむいて掌を開く。
皮膚の下で、極細の金糸がゆっくりと泳いでいる。苛立つ魚のように、血管に沿って手首の骨の奥深くへと潜り込んでいく。
左手でそれを押さえようとしたが、指に触れたのは薄く硬い感触だけだ。磁器の釉薬のような。
「……マーキングか」低く呟く。
その時、脳内で、あの馴染みのメロディが再び鳴り響いた。
今回は、旋律の隙間に、とても軽い、とても微かなため息が混じっている。
地底の奥深くから、五百年の塵越しに、彼の骨に張り付いて囁きかけてくるかのようだ。
――見つけたぞ。




