第27話 水滴る人皮の拝帖
【巻ノ一・残頁廿柒:『大魏建康府志・外八行録』残巻】
「秦淮河の底、陰陽の交界。水上の青楼には千金の笑いあり、水下の鬼市には万骨枯る。市に明主なく、ただ『提灯叟』を尊しとす。凡そ界を過ぐる生人、提灯を見ざる者は、皆牲畜の血食とならん。」――『司天監・暗档』
【司天監内部メモ】
「角頭老大と客訴処理」――現代社会の黒道の教父でさえ、一応はスーツにネクタイを締め、いくらかの基本法は語るものである。だが大魏の地下社会の話事人(顔役)は、人間の姿を偽装することすら屑しとしない。他人の縄張りで相手のシマを荒らしたなら、待っているのは決して裁判所の出頭命令などではなく、直接生化兵器を携えて扉を叩きにくる催命符(死の宣告)に決まっているのだ。
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灰色の粗布の長着に着替えた謝必安と沈無は、劣悪な皂角の気味が蔓延する底層の洗濯場を通り抜け、忘憂閣の後堂(奥座敷)にある紫檀の透かし彫りの丸扉の前に立ち止まった。
この扉こそが、人間の極楽と底層の泥濘を隔てる物理的な分界線である。
丸扉を押し開くと、西域の反魂香の甘ったるい気息が、地下で稼働する煮えたぎる地龍に焙られてほとんど沸騰しかけており、実質を伴う粉色の香瘴と化して顔に吹き付けてきた。隠約と糸竹管弦の靡靡たる音色と、女たちの嬌柔な酒を勧める声が伝わってくる。この大魏の達官貴人専用の脂粉の陣の中では、床に敷かれたペルシャ絨毯でさえ、百年の沈香木で反復して薫蒸されている。黒靴で踏みしめれば軟糯として音もなく、まるで生きた人間の骨血と理智をことごとく吸い尽くしてしまいそうだった。
謝必安のあの高温の反発を受けたばかりの右腕は、今も詭異な暗紅色を呈していた。皮下の血管が湧動し、絶え間なく驚くべき熱量を放っている。粗雑な灰布の袖が煮えたぎる肌に張り付き、粗砂で擦られるような陣を打つ刺痛を生じさせていた。
彼はこの骨髄の奥深くにまで達する虚弱さと灼焼感を強引に堪え、眼を上げて望み見た。
二階の天字号房へと通じる紅木の階段の口は、腰回りが膨らみ、こめかみが高々と隆起した絶技を身に秘める八名の護院によって死に物狂いで封鎖されていた。彼らは青皮の坊主頭に剃り上げ、露出した虬結する前腕には邪祟を防ぐ暗青色の呪文が刺青されている。彼らはまるで感情を持たない八尊の怒目金剛の如く、粗雑な手掌を腰間の精鋼の短斧の上に置き、呼吸の頻度すら行伍(軍隊)出身の粛殺さを透かしていた。
花媽媽は顔つきを変えた。この老鴇の手にある交頸の鴛鴦の絹のハンカチが軽く揮舞され、鼻を刺す廉価な薔薇の露の気味を巻き起こし、二人の身体から漂う、風呂に入っても完全に祛除しきれない下水道の陰寒の匂いを掩蓋しようと試みた。
「お二人の旦那様、この老婆が人情を解さぬわけではございませんよ」花媽媽は皮だけ笑って肉は笑わぬ表情で第一段の階段の前に立ち塞がり、分厚い鉛の白粉を塗った顔に市儈の精光を絞り出した。「蘇女将は只今天字号房にて、極めて貴き御身分のお方を接待中でございます。此処花街の掟では、これを『封閣』と申します。今夜はたとえ天が落ちてこようとも、この階段は一歩たりとも踏み入ることは適わぬのでございます」
所謂封閣の意味を、謝必安は心の内で誰よりも熟知していた。
それは建康城の頂級の花魁が、皇室の宗親や門閥の士族を接待する際、私兵を動員して青楼全体を死に物狂いで封鎮する特権である。大魏の律法によれば、この期間に強引に闖入する者は強盗と同等と見なされ、格殺勿論となる。
彼は心の中で冷笑した。この「貴客」とやらは、よりによって国師の極陰の大陣が起動しようとしており、忘憂閣という身代わりの陣眼がいつでも煞気を暴走させかねないこの節骨眼(正念場)に貸し切りにしやがったのだ。これが現代の職場なら、高危険廃棄物処理工場を視察しにきた本社派遣の無知な上級管理職そのものである。
彼は強引に闖入しようとはせず、完好な左手で腰間を探った。
そこには干からびて色褪せた酒瓢箪がぶら下がっていた。
コルク栓を抜き、謝必安は頭を仰いで口の中に注ぎ込んだ。ただ二、三滴の残酒が下水道の酸腐な匂いと混ざって舌先に滴り落ちただけで、右腕の骨髄を焼き尽くさんばかりの「窯温」の反発を圧し下げるには到底足りなかった。
彼はため息をつき、左手で無造作に放り投げ、空の瓢箪を階段の口に立ち塞がる花媽媽に向かって投げ渡した。
「既然(既然)蘇女将がお忙しいなら、この楼には上がらねえよ」謝必安は右腕の灼痛を強引に堪え、蒼白な顔に借金漬けの無頼の悪党の笑みを絞り出した。「花媽媽、手数だが、まずはこの瓢箪を一杯にしてくれ。一番烈しい塞北の焼刀子だ、水で割った米酒なんかで誤魔化すんじゃねえぞ」
花媽媽は手忙足乱でその酸臭を放つボロ瓢箪を受け取り、怒りで全身をブルブルと震わせ、朝描いたばかりの細長い柳葉の眉をもう少しで歪めそうになった。
「謝大人! あなた様は我ら忘憂閣を、城隍廟の外の施粥棚(炊き出しの小屋)だとでも思っていらっしゃるのですか!」
「ツケだ、あの『一万四千両』の中に記しておけ」謝必安は上の階を指差し、語気は理直気壮たるものだった。「どうせ借金漬けだ。忘憂閣だって下手すりゃすぐ無くなっちまうかもしれねえんだ、俺のこのちっぽけな酒代の利子ぐらいどうってことねえだろう」
花媽媽はこの大逆不道な呪詛に怒りのあまり気絶しそうになった。だが、この旦那が本当に地下で玉心の煞火を引爆させかねない狂人であることを忌憚し、彼女はただ銀の歯を噛み砕くようにして、嫌悪感たっぷりに二本の指で瓢箪を摘まみ、背後の小丫頭に手渡した。
「行きな! この催命鬼(命を急かす鬼)に満杯にしておやり! 裏厨房の火起こしに使う焼刀子でね!」
小丫頭が戦戦兢兢と瓢箪を受け取り、身を翻して酒を打とうと準備したその瞬間。
沈無が動いた。
この鏡妖司の千戸の左手の親指が、無声無息に環首直刀の黄銅の護手に当てられた。彼の身体の、熱湯と皂莢で粗暴に洗刷された刀傷からは、今まさに淡紅色の血水が外へと滲み出し、灰布の長着を赤く染めていた。
微かにしか聞こえない金属の摩擦する脆鳴が響き、半寸の凄冷たる秋水の如き刀の鋒が鞘から滑り出た。森寒たる殺気が瞬時に花媽媽の咽喉をロックオンした。沈無の眼差しは、まるで屍斑がびっしりと生えた死屍を見つめているかのようだった。
この血の海の中を転げ回って鍛え上げられた実質的な煞気に驚愕し、花媽媽は立て続けに三歩退き、あわや自身の湘妃色の裙の裾を踏みつけそうになった。
八名の護院が一斉に腰間の精鋼の短斧を抜き放った。利刃が鞘から出る摩擦音が、奢華な長廊の中に木霊した。
雰囲気は氷点下まで降下した。
まさにこの剣抜弩張の、一壺の酒すらまだ打たれていない刹那。
長廊の尽き当たりの、紅紗の提灯の光芒が届かない死角の陰影から、極めて粘稠で、緩慢な「ポタッ、ポタッ」という水滴の音が伝わってきた。
すべての者が同時に頭を巡らせた。先ほどまで凶神悪煞の如く、鏡妖司の千戸と刀を交える度胸のあったあの八人の護院たちは、この水滴の音を聞いた瞬間、顔色が紙のように惨白になった。短斧を握る彼らの手は制御不能なほど劇烈に震え始め、あまつさえ歯の根が合わなくなり、「ガチガチ」と恐怖の衝突音を発する者までいた。
身長四尺(約一メートル二〇センチ)に満たない男の童子が、硬直した足取りを引きずり、緩慢に陰影の中から歩み出てきた。
男童は全身ずぶ濡れであった。身体には一件の惨白な孝服(喪服)を纏い、粗雑な麻布が浮腫んで青ざめた皮肉にぴったりと張り付いている。秦淮河の底の陰冷で刺骨な黒い河水が、彼のズボンの裾と袖口に沿って、乾燥して温かい青磚の上に「ピチャッ、ピチャッ」と叩きつけられ、粘稠な水音を発していた。彼の歩んだ路線には、濃烈な河底の淤泥の腥臭を放つ湿潤な足跡が一串残されていた。
最も人を胆寒させたのは、男童の顔であった。彼には白目がなく、二つの混濁した純黒の眼球が死気沈沈として眼窩に嵌め込まれている。数筋の腐爛した緑色の水草が、彼の血の気のない首筋に死に物狂いで絡みついていた。
水鬼の盲者。
この明らかに人間に属さない陰寒な邪祟は、忘憂閣の護院たちの手にある震える兵刃を完全に無視し、真っ直ぐに謝必安の眼前三尺(約九十センチ)の所で立ち止まった。周囲の元々は煮えたぎるようだった空気が、この浮腫んだ死体の到来によって驟然と降温し、紅紗の提灯の中の燭火すらも萎縮して幽緑色に変わった。
男童は、浮腫み、暗緑色の屍斑が生えた右腕を緩慢に持ち上げた。
彼の手には、黒水が滴る暗紅色の帖子が握られていた。
「我が主子が申しております」男童の唇は動いていないのに、まるで爪で腐った木を引っ掻くような嗄れた声が、直接衆人の鼓膜の奥深くで炸裂し、人を眩暈させた。「蘇女将に暇がござらぬのなら、いっそお二方に足を運んでいただき、粗茶でも如何かと」
謝必安は目を細めた。視線は水鬼の盲者を通り抜け、あの暗紅色の帖子を見た。
帖子は紙張ではなく、一枚の極めて粗雑に硝製された人皮であった。人皮の表面には、濃稠な朱砂を用いて、数文字のねじ曲がった隷書体が書かれている。
大魏の方士が最も愛用する朱砂は、本質的には劇毒の硫化水銀である。このような重金属が基準値を越えた毒物を用いて人皮の上に文字を書くとは、この鬼市の教父の品味は、実打実人倫と工安法規を無視した封建的な悪趣味を透かしていた。
『オヤジ! この小鬼、漬け込みすぎた死んだ鯉みたいな匂いがするぞ、泥んこの土臭え匂いばっかりだ! 肉もふやけきってて、噛み付いたら絶対に餿水の汁が口いっぱいに広がるぜ、クミンをぶっかけたって救いようがねえ!』
謝必安の足元に隠れていた銜蝉が、桜色の鼻先を水鬼の盲者に向けて狂ったように嗅ぎ探った。この貪欲な金色の太った猫は脳内で嫌悪感たっぷりの思念を送信しながらも、堪えきれずに舌を出して唇を舐め、まるでこの浮腫んだ死体の食用価値と調理方法を真剣に評価しているかのようだった。
一方半空では、銀猫の阿奴が四つの爪で虚無の霊気の波紋を踏みしめていた。瞳孔の中には無尽の氷のような冷たさと厭悪が閃いている。
阿奴の周身の霊気は瞬時に一道の無形の屏障を張った。男童の身体から滴り落ちる陰冷な水滴と拡散する屍臭は、謝必安の三尺の範囲に近づいた時、「ピキッ、パキッ」という細微な凍結音を発し、細小な氷塵と化してパラパラと墜落した。彼女は高慢に頭顱を昂らせ、このような至極骯髒な穢物が自分専属の人間肉座布団を汚染することを決して許さなかった。
「貴様の主子とは誰だ?」沈無が冷ややかに問い、親指は相変わらず刀の柄を死に物狂いで押さえていた。
男童のあの純黒の眼球が、焦点を結ばぬまま微かに転動した。
「主子は、お二方が先ほど下水道で起こされた『動静』に……甚だ興味を持たれております。玉心の煞火を引爆させ、あまつさえ五体満足で生きて這い出てきた生人など、この数百年の秦淮河の底において、お二方が初めてでございますゆえ」
男童はあの水滴る人皮の拝帖を前方へ半寸(約一・五センチ)差し出した。
「どうぞ。主子を急かせてはなりませぬぞ」
謝必安は沈無の刀を抜こうと準備していた手首を押さえた。
彼は心の中でよく分かっていた。今の彼らの状態を以てすれば、強引に忘憂閣に闖入すれば命懸けで重囲を突破できるかもしれないが、必然的に国師府が楼内に布置(配置)した全面的な包囲殲滅を招くことになる。この鬼市全体の秩序を掌握する地下の覇主は、あろうことか彼らが風呂から上がった第一時間に精準に拝帖を差し出すことができたのだ。
この碾圧(圧倒)レベルの特務情報網は、彼らが暗渠に落ちたその一刻から、すでに相手の将棋盤の上の獲物となっていたことを意味していた。
「案内しろ」
謝必安は左手を伸ばし、二本の指で精準に、あの濃烈な硫化水銀の毒気と血生臭さを放つ人皮の拝帖を挟み取った。彼は頭を巡らせ、護院に死に物狂いで守られ、依然として靡靡たる音色が伝わってくる紅木の階段を一瞥し、蒼白な口角に一抹の冷酷な弧度を引きつらせた。
「どうやら蘇女将のこの一杯の茶は、後でまた飲みに来るしかなさそうだな」
小丫頭が劣悪な焼刀子をなみなみと満たした酒瓢箪を提げ、ブルブルと震えながら駆け戻ってきた。謝必安は順手に瓢箪を受け取り、再び腰間に掛け直した。
水鬼の盲者は硬直して身を翻した。
身の毛のよだつ「ピチャッ、ピチャッ」という水滴の音を伴いながら、この邪祟は浮腫んだ身躯を引きずり、二人と二匹の猫を領し、緩慢に忘憂閣の裏門の外の、あの終年日の目を見ない無尽の陰影の中へと歩み去っていった。




