第12話 濡れそぼつ貴妃
【巻ノ一・残頁拾弐:大内・白粉調達票】
「南海の鮫珠(次品)。粉に挽き、顔に敷けば、屍斑を遮るべし。
深海の鮫の涙(極品)。生で飲むか、眼窩に滴らせば、眼球に『水潤』を保たせ、干からびて脱落するを防ぐべし。
備考:あの魚はもう涙を流し切れなくなっている。本日の涙の採取、零滴。担当太監の三ヶ月の俸禄を控除す」――『尚衣局・貴妃専供帳簿』
【司天監内部メモ】
「スキンケア」――すでに腐乱した皮袋の上に、狂ったようにパテを塗り、白粉を分厚く塗りたくる行為。
†
戸部を出た時、空は白み始めていた。
空気に一晩放置されて酸えた生ゴミの匂いが充満している。この都市の消化不良の口臭だ。
謝必安は死ぬほど重い「龍脈の廃カス」の袋を抱えているが、足取りは異常に軽い。『エリーゼのために』の音痴な鼻歌まで歌い始めた。その調子外れのメロディに、沈無はこめかみを引き攣らせ、耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。
「謝拾遺」沈無は刀を押さえ、声を落とす。「次はどこへ行く? 雑項科へ戻るのか?」
「帰ってどうする。家の猫の餌が切れかけてるんだ」謝必安は欠伸をし、右手で無造作に皇宮の奥を指差した。最も高く、碧緑の瑠璃瓦が敷かれた宮殿だ。「鉄は熱いうちに打て。『仕入れ』に行くぞ」
「あそこは……華清宮か?」沈無の顔色が変わる。「貴妃娘娘の寝宮だぞ?」
「そうだ」謝必安は面白がる目をした。粗悪な化粧品を売りつけに行く悪徳商人の顔だ。「あの娘娘、最近肌の『水漏れ』が酷くて、穴埋めを急いでいるらしいからな。温もりを届けに行ってやろう」
†
宮殿だと言われなければ、巨大な蒸籠だと勘違いするだろう。
近づく前から、湿って熱く、ネトネトした水蒸気が顔を打つ。強烈で鼻を刺す白粉の香りが混ざり、燻されて頭が痛くなる。あまりに香りが強すぎる。腐敗の悪臭を隠すための匂いだ。
門を守る禁衛はいない。
顔色の悪い青白い小太監が数人、隅にしゃがみ込んでいるだけだ。水蒸気でふやけた帳簿を手に、震えながら何かを書き留めている。
「……本日、涙の採取、零滴」
「……娘娘怒りを発し、鞭打ち三十」
「……魚の皮が潰瘍。防腐のため塩を撒く必要あり」
沈無は頭皮が痺れるのを感じた。来る場所を間違えたのかと思った。ここは緻密に管理された拷問部屋に他ならない。
階段を踏んだ途端、足元が滑るのを感じた。見下ろすと、白大理石の床が粘りつく青苔に覆われ、隙間から塩辛く生臭い海水が滲み出している。
「気をつけろ」謝必安は袖で鼻を覆う。「ここの湿気はキノコが生えるレベルだ。あの娘娘は鮮度を保つために、ここを海底に変えちまったのさ」
二人は太監の目を避け、偏殿の窓から忍び込んだ。
殿内の光線は薄暗い。幾重にも重なるピンクの紗の帳が掛かっている。水蒸気が帳に水滴となって結露し、ポタッ、ポタッと大理石の床に落ちる。人を苛立たせるリズムを刻んでいた。
「あっちだ」
謝必安が大殿の中央を指差す。
そこに寝台はない。白玉の一枚岩を彫り抜いた巨大な水池があるだけだ。
池の中にあるのは温泉ではない。不気味な青い光沢を放つ……海水だ。
そして池の縁に、一人の女が座っている。
背を向けている。長い髪は滝のよう。蝉の羽のように薄い鮫人の紗を羽織っている。巨大な銅鏡に向かい、鋭利な銀の小刀を手に、自分の顔を……削っている?
ジィーー、ジィーー。銀の刀が皮膚を削る音が鋭く耳を刺す。魚の鱗を削り落としているような、硬い物がこすれ合う生硬な音がした。
「あれが貴妃か?」沈無は息を止め、手心に冷や汗を握る。
「そうだ」謝必安は目を細めた。「彼女は『ピーリング』の最中だ。ただ彼女の死んだ皮は少し厚すぎて、すでに殻になっているがな」
貴妃の動作に合わせて、灰白色の干からびた皮膚の破片がバラバラと床に落ちる。かつては絶世の美しさだった顔が、今はまだらな壁の皮のようだ。下から暗赤色の、干からびてひび割れた筋理が露出している。
「水……」
貴妃が嗄れた呻きを漏らす。喉に砂を含んでいるような声だ。「水を持て……この皮がまた裂ける……」
猛然と振り返った。まだらな顔が蝋燭の火の下で凄まじく恐ろしい。手を伸ばし、池の中央へ掴みかかる。
ここで初めて、沈無は池の中に何が鎖で繋がれているのかをはっきりと見た。
一匹の鮫人だ。
だが、伝説にある「泣いて涙を真珠に変える」美しい生物とは似ても似つかない。
四本の太い鉄の鎖で四肢を縛られ、池の中央に吊るし上げられている。魚の尾はすでに潰瘍し、身体の鱗は綺麗にむしり取られ、青白い肉を晒している。長い髪は干からびて絡まり、乱れた麻のようだ。
最も恐ろしいのは、その目だ。
本来なら深い紺碧であるはずの目は、今は干からびて落ち窪み、目尻には刀で切られた傷痕がびっしりと走っている。強引に涙を採取するために残された痕跡だ。
とうに泣き枯れていた。
血すら泣き尽くして出ないのだ。
「泣け! この死に損ないの魚め!」
貴妃が咆哮する。一掴みの粗塩を掴み取り、鮫人の潰瘍した傷口へ容赦なくすり込んだ。
ジュッという音がし、塩粒が傷口に触れて白煙が上がる。鮫人は激しく痙攣し、喉の奥から砕けたような低い嘶きを漏らした。だがその眼窩は依然として乾ききっており、一滴の涙もこぼれない。
痛みすらとうに麻痺していた。
隅の記録係の小太監は顔も上げず、機械的に帳簿に書き込む。『辰の三刻。塩二両を散布。涙なし』
「役立たずめ!」
貴妃は気急敗壊し、傍らの鞭を掴んで打ち下ろそうとした。
「チッチッチ、娘娘」
気怠い声が突如として紗の帳の後ろから響いた。「そんな乱暴な手つきじゃ、『原材料』が壊れてしまいますよ。それは涙を採取しているんじゃありません。型枠をぶち壊しているんです」
貴妃が猛然と振り返る。血肉が混ざり合った顔が、歩み出た二人を死に物狂いで見据えた。
「何者だ?!」
「司天監、謝必安」謝必安は扇子を揺らす。視線が貴妃の爛れた顔を舐め回す。微塵の恐怖もなく、老練な職人が不良品を見るような惋惜を浮かべている。「娘娘、最近お顔の皮の『水漏れ』が酷いと伺いました。微臣が……処方箋をお持ちしました」
「処方箋だと?」
貴妃は一瞬呆然としたが、すぐに目が貪欲に染まる。「薬があるのか? 本宮の顔を治せるのか?」
「勿論です」謝必安は懐から、戸部で奪ってきたばかりの「火精」を取り出した。
火精が温潤な赤い光を放つ。陰冷で湿ったこの宮殿において、それは格別に魅惑的に見えた。
「これは薬ではありません。雑項科が新しく仕入れた『火加減の薬引』です」謝必安は出まかせを並べ立てるが、いかにももっともらしく聞こえる。「娘娘のお顔がひび割れるのは、水気が留まってくれないからです。これがあれば『定形』を手助けし、水気を皮肉の中に完全に溶接できます。ただ……」
口調を急転させ、池の中で奄奄一息の鮫人を指差す。「この薬引は火の気が強すぎます。単独で使えば下地を焼き焦がしてしまう。もう一つ、『接着剤』となるモノが必要なのです」
「何の接着剤だ?」貴妃が待ちきれずに問う。まだらな顔が興奮で微かに引き攣り、粉が数切れ剥がれ落ちた。
「新鮮で、希望に満ちた鮫人の涙です」
謝必安は池の縁へ歩み寄り、鮫人を見る。「娘娘が塩を撒き、鞭で打って出させたのは『苦涙』です。苦涙は渋く、薬に入れれば顔が黒ずみます。お顔を治したくば、流させねばなりません……『甘涙』を」
「甘涙?」貴妃は呆気に取られた。「この畜生が甘涙を流すというのか?」
「当然です。万物には皆霊がありますから」
謝必安はしゃがみ込み、視線を干からびた鮫人と同じ高さに合わせる。氷のように冷たい瑠璃の右手を伸ばし、水面に軽く当てた。
極めて微弱だが純浄な霊気が一筋、指先を伝って濁った池の水へ注入される。
死寂だった鮫人の身体が微かに震えた。干からびた両目が、ゆっくりと謝必安へ向けられる。
『家に帰りたいか?』
謝必安の声は極めて軽い。口は動かさず、直接脳内に響かせた。
鮫人の唇が動いたが、声は出ない。ただその魂が、極めて微弱な共鳴を発した。
帰りたい……。
『俺が家に連れて帰ってやる』謝必安はその目を見る。詐欺師のように輝く誠実な目をしている。『だが、俺に涙を一粒くれ。最後の一個だ』
これは取引だ。
謝必安の右手が、水面下でこっそりと一本の鉄の鎖を握る。パキッという微かな音。鮫人を十年縛り付けていた玄鉄の鎖が、瑠璃の手に生身のまま握り潰された。
鮫人が全身を震わせる。
束縛が緩んだのを感じたのだ。
この男をじっと見つめる。しばらくして、干からびた眼窩から、本当に一滴の湿気が湧き出た。滲み出たのは水ではない。一筋の不気味な青い光華だ。
信じたのだ。いや、他に選択肢はなく、この最後の藁にすがるしかなかった。
晶瑩に透き通り、大海の息吹を放つ青い涙の珠が一つ、ゆっくりと凝結する。そしてポタッという音とともに、謝必安の掌に落ちた。
「それだ!」
貴妃が悲鳴を上げ、飛びかかってきた。「本宮によこせ! それは本宮のモノだ!」
「沈大人、仕事だ」謝必安は振り返らずに叫んだ。
チャキッという刀鳴りとともに、沈無が貴妃の前に立ち塞がる。刀の鞘が貴妃の腹に重く激突し、ドスッという音を立てた。
貴妃は弾き飛ばされ、銅鏡に激突する。巨大な銅鏡が轟然と倒れ、彼女を下敷きにした。
「無礼者! 本宮は貴妃だぞ! 本宮を打つとは何事だ?!」貴妃は鏡の下で狂ったようにもがく。彼女の身体が変形し始め、皮膚が完全に剥がれ落ち、崩壊しつつある血色の躯殻へと変わっていく。
「申し訳ありません、娘娘」
謝必安はその鮫人の涙を収め、冷淡に言った。「貴女の顔はとうに骨の髄まで干からびていた。すべてこの鮫人の水気に頼っていただけだ。水源が断たれた今、貴女のその『壁の皮』も……崩れる潮時でしょう」
謝必安の言う通りだった。
鮫人の支えを失い、躯殻は急速に光沢を失う。干からびて硬化し始め、雨水に濡れた後で烈日に晒された泥人形のように、耳障りなバキバキという音を立てて、一瞬にして一面の灰白色の粉末へと砕け散った。
彼女が纏っていた湿気は彼女自身のものではない。失えば、壁の皮が糊を失ったように、即座に粉化する。
沈無は不意に悟った。この宮殿には、最初から真に生きている人間など一人もいなかったのだ。
謝必安はその粉の山に二度と目を向けなかった。
振り返って池へ歩み寄り、阿奴に残りの三本の鉄の鎖を一つ一つ切断させる。
鮫人の身体はすでに虚化し始め、無数の細かな泡に変わっていた。
謝必安は手を伸ばし、それらの泡を池の下の排水口へ導く。
「ここを辿っていけ」
低く囁く。「この暗渠は秦淮河へ直通し、長江へ繋がり、最後は海へ出る。振り返るな」
泡が回転し、ゴボゴボと音を立て、義無反顧に暗黒の排水口へと潜り込んでいった。
「塵は塵に。土は土に」
謝必安は空っぽの池を見て、眼底に疲労を閃かせた。
†
馬車に戻る。
沈無は、謝必安の手の水晶の瓶に封じられた青い涙の珠を見て、複雑な心境になった。
「騙したな」
沈無は低く言った。「あれは死んだ。泡になった。もう帰れない」
「帰れないと誰が言った?」
謝必安は瓶をもてあそび、窓の外を幽々と見る。「鮫人にとって、肉身は囚人牢だ。泡こそが魂の翼なんだ。あんな死ぬほど汚い風呂場で死なせるのは流刑だ。だが、泡となって海へ流れ込むのは、帰郷と呼ぶ」
「そしてこの涙は……」
謝必安は瓶を掲げ、中の不気味な青い光を見る。「俺たちが欲しいのは量じゃない。『成分』だ。この一滴の甘涙こそが、奴の魂の最後の『導火線』だ。これだけが、皇帝のあの氷のように冷たい玉の心臓を点火できる」
懐の『大荒異聞録』に触れる。
本はまた少し熱くなっている。この「希望と絶望」が混ざった味の涙に、非常に興味を持っているようだ。
「あと一つだ」
謝必安は背伸びをしたが、眼差しはかつてないほど凝重になった。
「『高僧の舎利』」
「白馬寺のあの肉仏の骨灰でも代用はできるが、純度が足りない。皇帝のあの玉の心臓の邪気を抑え込むには、本物の、大徳高僧の舎利が一つ必要だ」
「どこで探す?」沈無が問う。
謝必安は振り返り、建康城外の荒山へ視線を向けた。
「墓を掘る」
謝必安は口をニタリと裂き、二本の白い八重歯を見せた。「かつて国師を殺しかけた……狂った和尚の墓だ」
沈無は返事をせず、ただ刀の柄を固く握りしめた。
本作は週に三度(月・水・金)、静かに更新されます。




