第11話 人喰いの帳簿
【巻ノ一・残頁拾壹:戸部・庫房年次検査】
「国庫の重地、部外者立ち入りを禁ず。若し内に噛み砕く音を聞くとも、決して門を開くべからず。それは『赤字』が帳簿を食う音なり。
備考:今年また三匹、油を盗みに入った鼠が餓死した。奴らは中で米一粒すら見つけられなかったのだ」――『戸部・庫守りの絶筆』
【司天監内部メモ】
「龍脈の廃カス」――帝国の気運が燃え尽きた後に残る灰燼を指す。通常は国庫の隅に存在し、鉄サビのような色沢と、血のような生臭く甘い匂いを持つ。
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雑項科の夜。涼気がネバネバと肌に張り付き、洗い落とせない油膜のようだ。
謝必安は脚の欠けた机の前に座っている。小さな鑢で、出来上がったばかりの「火精」を慎重に研磨していた。
この代物は熱すぎる。半時辰も冷ましたというのに、依然として驚異的な熱を放ち、机をジリジリと焦がして青煙を上げさせている。
金猫の銜蝉が横に這いつくばり、火精が放つ熱気を陶酔した顔で吸い込んでいた。時折ゲップをし、金色の火の粉を吐き出す。
「五千両」
謝必安は鑢を動かしながら、顔も上げずに問う。「沈大人、府衙は何と言っていた? 銀票は取ってきたか?」
沈無は向かいに座っている。蝋燭の灯りを頼りに、窯場で刃こぼれした佩刀を丁寧に拭いていた。その言葉を聞き、刀を拭く手が空中で止まる。顔色が悪くなった。
「取れなかった」
沈無の声は乾いている。「府衙の師爺が言うには、五千両は巨額ゆえ、戸部尚書が署名し、さらに兵部と工部の核消プロセスを通す必要があると……。早くても三ヶ月はかかると」
「三ヶ月だと?」
謝必安の鑢の手がピタリと止まる。顔を上げ、「予想通り」と言わんばかりの嘲りの笑みを浮かべた。
「三ヶ月も待てば、料理もすっかり冷めちまう。その師爺、お前に『戻って知らせを待て』と言って、ついでにお茶でも淹れてくれたんじゃないか?」
沈無が頷く。
「実に使い勝手のいい『引き延ばしの術』だ。茶は客を追い払う茶。言葉は空手形」謝必安は冷笑し、鑢を机に投げ捨てる。「つまり、奴らはこの金を踏み倒す気だ」
立ち上がり、依然として微かに痛む瑠璃の右手をほぐす。
「行くぞ、沈大人。戸部だ」
「同じく、デブは留守番。阿奴は俺と来い!」
謝必安は火精を掴み、慎重に懐へねじ込む。「奴らが金を払わないなら、『利子』を少しもらいに行く。ちょうどいい、二つ目の材料『龍脈の廃カス』は、戸部の地下金庫にある」
†
戸部尚書省は、皇宮の東南の角に位置している。
理屈から言えば、ここは天下の金と食糧を掌る富裕の地。金碧輝煌であるはずだ。
だが二人がその朱色の門の前に立った時、感じたのは濃厚な死の気配だけだった。
「ひどいカビの匂いだ」謝必安は鼻をひそめる。嫌悪感たっぷりに袖で口と鼻を覆った。「この匂い……濡れた布団を壺に詰めて二十年発酵させたみたいだ」
門の漆は大きく剥がれ落ち、下層の腐った木肌が露出している。門口の石獅子は爪が一本折れ、欠け目には青苔がびっしりと生え、皮膚病に罹っているように見える。
最も不気味なのは、ここが静かすぎることだ。風が軒下の破れた提灯を吹き抜けるバタバサという音だけがする。無形の招魂幡が揺れているかのようだ。
「ここに……まだ仕事をしている人間はいるのか?」沈無が眉をひそめ、刀の柄を押さえる。
「いる」
謝必安が目の前の鍵の掛かっていない扉を押し開ける。ギィィという鋭い長鳴りが二人の鼓膜を削った。「ただし、奴らは死人と何ら変わりはないがな」
大広間は薄暗い。
数十の机の背後に、官服を着た数十名の戸部の役人が座っている。
沈無はその一人に歩み寄った。声をかけようとしたが、相手の顔をはっきりと見た瞬間、寒気が脊椎から後頭部へと突き抜けた。
役人の眼球には分厚い白い翳りが掛かっている。手は機械的に筆を握り、帳簿の上に無意識に丸を描き続けている。
沈無が周囲を見渡すと、大広間の数十の役人すべてがそうだった。彼らは執務の姿勢を保ちながら、胸に一筋の起伏もない。
「奴らは『帳簿』に食われたんだ」
謝必安は無造作に一冊の帳簿を手に取り、めくる。赤い数字がびっしりと書き込まれている。一筆一筆が血を流しているかのようだ。
「大魏の国庫は二十年の赤字だ。これらの数字はあまりに大きく、重すぎた。息もできないほど圧迫され、魂はとうの昔にこの赤い文字の下に押し潰されている」
帳簿を投げ返す。「こんな歩く屍のことは気にするな。俺たちの行き先は地下だ」
二人は大広間を抜け、裏庭の築山へ向かう。謝必安が熟練の手つきで機関を回す。築山はガガガという機関の音とともに轟然と裂け、地下へ通じる漆黒の通路を現した。
寒気が鉄サビの匂いを混じらせ、二人へ吹きつける。
数息待ってから、通路を下る。下へ行くほど鉄サビの匂いが強くなり、言い知れぬ酸っぱい悪臭が混ざり始めた。
巨大な青銅の扉の前に着く。謝必安が扉を押し開ける。ドォンという重い鈍音が、地下空間に幾重にも反響した。
沈無が火打ち石を掲げ、前方を照らす。
だが、火の光が灯った瞬間。彼は呆然とした。
巨大な地下空間は、空っぽだった。
銀の山はない。金の海もない。
床には厚い灰の層と、無数の白い紙切れが散乱している。すべて借用書だ。
「これは……」沈無の声が震える。「銀は?」
「食われた」
謝必安が部屋の隅を指差す。
そこには、牛ほどもある巨大で白々とした鼠の骸骨があった。
隅にうずくまっている。その腹の部分には、白い借用書がぎっしりと詰め込まれていた。
「前任の『庫守りの獣』だ」謝必安は淡々と言う。「元々は銀の上の油を舐めて生きていた。銀がなくなって、借用書を食うしかなかった。最後は……この金の山銀の海の夢の中で餓死したのさ」
「じゃあ、お前が探している『龍脈の廃カス』は……」
「あそこだ」
謝必安は丸天井を支える巨大な鉄柱を指差す。
本来は漆黒のはずの鉄柱。その底部は厚い暗赤色のサビに覆われている。極めて吐き気を催す見た目だ。凝固した血の瘡蓋のように見え、微かに蠢いてさえいる。
「国庫は空になり、国運も散った。残されたこのわずかな残骸が、すべてこの柱に張り付いている」謝必安は小さなシャベルを取り出し、目を輝かせた。「これはいいモノだ。助燃剤としては極上品だ」
歩み寄り、そのサビの層を削り取ろうとした。
突然。地下金庫全体の空気が激しく停滞した。
風はないのに、無数の紙切れが擦れてカサカサ……カサカサ……という音を立て始めた。床の厚い灰も突然沸騰し、無数の白い借用書が風もないのに動き出す。
『金を返せ……』
『この帳尻を……どう合わせる……』
『赤字が……埋まらない……』
無数の細々とした、絶望的な低い囁き声が沈無の耳に潜り込む。何千人もの債権者が頭皮に張り付いて命を要求しているようだ。
続いて、舞い飛ぶ借用書が猛然と一つに集まり、借用書で構成された巨大な輪郭を形成した。目は二つの空洞の黒い穴で、中から貪欲な緑色の光が漏れ、謝必安の懐の「火精」を死に物狂いで見つめている。
腹を空かせている。奴は「価値」の匂いを嗅ぎ取ったのだ。
「『赤字鬼』だ!」謝必安の顔色が変わる。一歩下がる。「こいつは国庫の赤字の怨気が化けたモノだ。武器の攻撃は効かない! 沈無、斬るな!」
だが沈無の刀はすでに鞘から出ている。清越な金属音とともに、刀光が白い怪獣を真っ二つに斬り裂いた。
当然、無駄だ。
切断された借用書は止まることすらなく、バサバサという音の中で瞬時に再びくっつき、斬っても切れない白い膠の塊となって、沈無へ直接飛びかかってきた。
「阿奴!」
謝必安が大喝する。「こいつは火を恐れる! だが普通の火じゃダメだ。『富貴の気』で燃やすんだ!」
「富貴の気?」沈無は狼狽して躱しながら、崩壊したように叫んだ。「俺のどこに富貴の気がある? 安月給だぞ!」
「馬鹿!」
謝必安は歯を食いしばり、懐から鏡妖司と司天監の協力を象徴する「白紙の小切手」を取り出した。あのリストが書かれた、元々戸部に精算させるつもりだった紙だ。
右の指先を噛み破り、その上に素早く数字を書き殴る。「一万両」。
「阿奴、これを奴の額に貼り付けろ! それが奴の最も食いたがっている『予算』だ!」
銀猫の阿奴は意図を汲み取った。迅速な銀光と化し、紙をくわえ、目の前を舞う借用書の上を軽やかに踏み越え、その「一万両」の小切手を赤字鬼の額へ正確に叩きつけた。
ドォンという巨響。巨大な赤字鬼は瞬時に攻撃を停止し、身体を内側へ崩壊させた。飢えた犬が餌に飛びつくように、すべての借用書がその「一万両」に向かって狂ったように群がる。
「今だ!」
謝必安は鉄柱へ突進し、手の中のシャベルを高速で動かす。ジリジリという耳障りな摩擦音が響く。
あの暗赤色の「龍脈の廃カス」が削り落とされ、黒い袋に詰め込まれた。ずしりと重い。一グラム一グラムが、血をたっぷりと吸い込んだ鉄砂のようだ。
「十分だ! 撤退!」
謝必安は袋を掴み、振り返って走る。
背後では、赤字鬼がすでにあの空手形を呑み込んでいた。偽物だと気づき、さらに怒りに満ちた咆哮を上げる。
無数の借用書が白い激流と化し、荒れ狂って押し寄せてきた。
「走れ!」
二人と一匹の猫が、地下通路を猛然と走る。築山を飛び出した瞬間、謝必安は逆手で呪符を一枚投げ、機関に貼り付けた。
築山はドゴォォンという巨響とともに猛然と閉じ、その白い激流を地下に死に物狂いで封じ込めた。
「ハァ……ハァ……」
沈無は地面にへたり込み、大口で喘いでいる。背中の服はすでに汗でびっしょりだ。
「これが……戸部か?」
実体を斬っていないのに刃こぼれした長刀を見て、目が虚ろになる。「妖の巣窟より恐ろしい」
「妖の巣窟は人を食えば骨くらいは吐き出す」
謝必安は手の中の黒い袋を叩く。中には大魏朝の最後の「気運」の残骸が詰まっている。
「ここは人を食っても……カスすら残さない」
立ち上がり、東の空が白み始めているのを見る。目に深い疲労が透けていた。
「二つ揃った。あと二つだ」
謝必安は沈無を見て、口角に苦笑を浮かべる。
「沈大人、次はもっと厄介だ。俺たちは『鮫人の涙』を探しに行く。そしてこの代物は……最も寵愛されているあの貴妃娘娘が、真珠の粉にして顔に塗っているという噂だ」




