『地震』
昼過ぎ。東京都世田谷区南烏山某所。ランドハイム102号室。一時二十分頃。
部屋は1DKとなっていてまるで新築のようにリフォームされて二年が経つ。上京した時に偶然にもこの物件を見に来た時は即決した。京王線の駅である芦花公園駅から徒歩で十分前後の場所に位置し、西城大学までバスや自転車での通学も可能な距離だった。隣に住んでいる大家の老夫婦には極まれに食事のおすそ分けをもらうことがある。一人暮らしで大変でしょうと言われるのは常套句だ。そしてご厚意に甘えている。
今年二十一歳になる新藤司は銀髪のような白髪のような髪と無表情で敬遠されがちであり、第一印象は決して良い物とは言えない。それでも彼を知ればそんな第一印象は遠い過去の物となり、好青年というカテゴリーに部類されるようになる。西城大学の文化部に通っている二年生であるが、将来の展望を見ているかと言えばそうではない。文化部の主な就職先は公務員が多く人気であるが、一般企業のサラリーマンもほどなく多い現状である。一年後の自分がどういった状況になっているか解らないということが彼を悩ませているというのもあるのだった。
日々はただ過ぎ去っていくだけで何も解決していない。本当に自分は何がしたいのだろうと試行錯誤しても結局は何も答えを得ることができなかった。普段は大学生でありながらも、不思議な力を持っているとはまるでどこかのスーパーヒーローのようだと思うことがある。事実ではあるものの、それで自分が特別な存在であるという実感が湧いてなかった。目の前の事に精一杯で、突きつけられる現実に右往左往している自分がいるだけだ。
「じゃあバイトに行ってくるから」
「行ってらっしゃい」
フェアリーは司が借りてきた映画のDVDを見ながら返事をした。夕方のニュースの時間まではいつもDVD鑑賞をしているのが彼女の日課になっていた。司が昔見た懐かしの映画が基本であるが、フェアリー自身が選んで借りることも最近ではよくある事だった。フェアリーにとってテレビとは情報収集が容易くできる便利な物であると同時に最高の娯楽だった。司が部屋にいない時間にテレビを付けていることで電気代は確かに一人暮らしとしてはかなり高額になっていると感じるが、必要経費だと思えば苦でもないと思えるようになった。
部屋を出て鍵を閉めて自転車置き場に向かった。リュックを籠に入れて意気揚々と『アイリス千歳烏山店』へと向かった。バイト先までの十五分ほどの道のりはいつも同じ道を通っている。いつもと変わることがない日常をここで噛みしめているのかもしれない。バイト先に着いてから従業員出入り口である裏手から店に入った。従業員休憩室に入ると誰もおらず、そのまま一人男子更衣室へと入った。自分のロッカーで着替えをして休憩所へと戻ると店長の小林里美が座っていた。ショートボブの黒髪に三白眼で少し威圧的に見えてしまう彼女ではあるが、それでも従業員の信頼は厚く一緒に働いて解ったことだがとても優しい一面を持っている。
「おはよう新藤」
「おはようございます店長」
「悪いな。電話でも言ったけど佐瀬さんが熱出して途中で帰ったからさ」
「別に良いですよ」
「悪いけどすぐにフォローに入ってくれ。多分夜の分の仕込みがまだ終わってないから」
「はい」
司が休憩室から出ようとした時に身体が微かに揺れているのが分かった。
「また地震か」
里美の言葉の後に司は休憩室のテーブルに置いてあるペン入れや里美の前にある水が入ったコップが揺れているのを見た。立っていられなくなるほどの大きなものではないが、少し強くなったと思ったらいつの間にか止まったようだった。
「ここ二か月くらい多いですね」
「テレビじゃ東京大震災がもうじき来るとか言ってるけど実感が湧かないよな。テレビはすぐに煽るからさ」
「そうですね。じゃあ行ってきます」
「おう。よろしくな新藤」
東京都千代田区霞が関二―一―一。警視庁。地下二階。警視庁公安部特殊公安第一課、異態特別事件対策係室。三時頃。
本庁に戻ってから陽菜は過去の捜査一課など別の部署や所轄の事故や事件のデータファイルに目を通していた。東京二十三区で起きた事故や事件を虱潰しに見ていた。ふと目には止まるのだが、未解決の事件はどれもやるせない気持ちにさせる。遺族は未だに事件の解決を望んでいることだろうが、進展は未だにないのが現状である。捜査の継続はされているが大規模なものではない。データをさらに過去に遡った時に約一年前八か月前の井の頭公園の事件を目にした。男性四名、女性二名が変死していた。
「……この事件……井の頭公園か……」
井の頭公園で死亡した男女の氏名、年齢、顔写真が出てくる。みんな普通の若者だった。死因は頭がい骨陥没、腹部損傷による出血死などだった。目撃証言は無し。被害者の共通点は一切なし。現場での指紋も検出されず捜査は難航。捜査本部は未だにこの事件を追っているが手がかりすら掴めていない。
「捜査一課で未解決か……井の頭公園の事件……何かある気がする……」
陽菜は日向に連絡を入れるためにスマホを取り出した。呼び出し音が数回鳴っただけで彼は電話に出た。
「もしもし日向君?」
『またか? 今度は何だ?』
「二年前の井の頭公園での男女六名の変死事件が関連してる可能性があるわ」
『二年前? 井の頭公園? それと銀髪に何の関係が?』
「正確には一年と八か月前の事件。これは刑事の勘よ」
日向は電話でも分かる溜息が聞こえた。
『はぁー……分かった。とりあえず、こっちでもその線も調べてみる』
「よろしく」
電話を切って陽菜はデータを見ながら呟いた。
「一連の事故や事件は関連性がどこかにあるはず……男女が死亡……能力者……妖精……」
扉が開いて後藤達が戻ってきて、陽菜が第一声を掛けた。
「お疲れ様です」
龍が背を伸ばしながら自分のデスクに向かって歩いた。
「お疲れ陽菜ちゃん、ホシは素直に自白したよ。渋谷での一連の放火事件は何かも自分でやりましたって」
「そうですか。意外とすんなり自供したんですね」
哲夫も中に入って自分のデスクに向かった。
「そうですよ。あと銀髪の男に関しては能力者であることを自白しました。力を解放し過ぎて後半は記憶が曖昧らしいですけどね。男に倒されてから妖精みたいなモノに治癒されたって変なこと言ってましたね」
「妖精!? それは本当なの哲夫君!?」
哲夫はデスクに座りながら陽菜の驚いた顔に面食らった。
「あ、は、はい。でも、妖精だなんて信じられませんよ。銀髪の男の肩にいたって話してましたけどね」
後藤はデスクに座って両手を口の前で組んだ。
「話では銀髪の男とはあそこで初めて会って名前も知らんそうだ。吐かせてみようとしたが、どうやら嘘ではない。木村警部、探偵は引き受けたか?」
「は、はい! 正式に依頼を受けてくれました」
「あとは待つしかないか……ところで木村警部、過去の事故や事件を調べると言っていたが成果はあったのか?」
陽菜は今ここで言うべきか悩んだ。
「あの、明日までに資料にしてまとめます」
「分かった。では各自事務作業だ」
「了解」
三人は声を合わせて後藤に応えた。陽菜は資料をまとめ始める。ホシの証言に昼間のサイコメトリーでのことを踏まえることにした――皐月さんも妖精って言ってた――。
銀髪の男に妖精。妖精の目撃証言は得られたがこれが何になるのか? 陽菜はとりあえず一連の事故と事件を自分なりにまとめ始めようとした。だが、妖精というキーワードが陽菜の思考を苦しめる――。
「……どういうことなんだろう……」
小声で言ったその言葉を三人は聞き取ることができなかった――。
同時刻。東京都中野区上高田某所。遠海探偵事務所。二階建て雑居ビル。二階。
日向は陽菜に言われた井の頭公園で何か手がかりが掴めるのではないかと感じた。
「これは何か重要な情報が手に入るかもしれないな」
瑞穂は丹念に爪のお手入れをしていた。
「日向君、二年前って何? 井の頭公園で何かあるの?」
「そこに行くのさ。皐月さんのサイコメトリーの限界、三年以前ではないから見れるはずだ」
皐月はデスクに座って湯呑みでお茶を飲んでいたが、日向の言葉に明らかに不満な顔をした。
「また私ですか?」
日向は合掌して皐月を拝んだ。
「それしかないですもん。お願いします! 臨時手当て奮発しますからー」
大和は蚊帳の外であることに憤慨していた。
「俺、何も今回役に立てない感じですか? そりゃないですよ日向さん!」
「大和も瑞穂も何か役に立つさ。今は大人しく別件の浮気調査を頼んだぞ」
「ふふん。私達なら簡単だから安心して日向君」
大和は立ち上がって正面に座って爪の手入れをしている瑞穂に声を上げる。
「それで良いんですか瑞穂さん? こんなデカい山なかなかないですよ?」
「ふふん。良いの! 危なそうだし、今は二人に頑張ってもらおうよ。カリカリしないで大和君」
「そんなぁー」
日向はタバコに火を付け深く吸い込んだ。
「ふぅー。まぁ明日から本格的に動くとしよう。急ぐこたぁない」
全員がタバコの煙に怪訝な顔をして皐月が煙を手で振り払う。
「分かりました。所長」
日向はこの件を追うことに不安も感じていた。大和も言っていたが確かにこれはデカい山だ。それでもリスクが無い依頼などない。
日向は興味本位ではあるが銀髪の男の心を覗きたいと思った。彼は今、何を考え恐れているのかを――。




