第16話 荷物の半分は、飯だ
砂を連れた使者が、朝一番に町の入口へ着いた。
最初に気づいたのは、門番代わりに丸太へ腰かけていたガウス爺だった。爺が咥えていた煙管を落とした音で、俺は格納庫から顔を出した。
町の入口に、人影が一つ立っている。背が高い。百九十はある。細身の体に、擦り切れた砂色の外套を羽織って、その裾が風でゆっくり揺れていた。
外套の下は、人ではなかった。
艶のない砂色の外装が、関節の継ぎ目ごとに薄く削れている。長い間、風に磨かれ続けた金属の色だ。顔は一枚の板で、表情の代わりに、細い横長のスリットが二本だけ入っている。額には蛇腹の封印帯が巻かれていて、胸の真ん中に丸い真鍮の札が嵌っていた。
札には、使者を示す刻印があった。
「こやつ、機人だな」
ガウス爺が、煙管を拾うのも忘れて呟いた。
「南の砂漠の下の連中だ。百年前に一度、商隊の護衛で見たきりだ。こんな北まで、あいつらが出てくるとは」
「爺さん、あんたの腕が震えてるぞ?」
「震えとるのは腕じゃない、膝だ」
機人は一歩ずつ、同じ歩幅で近づいてきた。足音が妙に軽い。体の重さは相当あるはずなのに、砂の上でも沈まない歩き方だった。
三歩手前で止まって、胸の札に手を当てて、深く一礼した。
「ご無礼を、お許しください。機都より参りました、十二号にございます。整備長のオサム殿に、お目通りを願いたく」
声は低く、平坦で、一音ずつ丁寧に置いていくような喋り方だった。
整備長、という呼び名が、知らない口から出てくるのが落ち着かない。町の外にまで、その名前が回っているということだからな。
「それなら俺のことだ」
「あなた様が――」
十二号のスリットが、わずかに細くなった。測る目だった。俺の顔ではなく、両手と、作業着の袖の油染みを見ている。
「大変、失礼を申し上げます。想像より、お若うございました」
「実年齢は三十五だ。若くはない。それより、お前、足が削れてるぞ?」
外套の裾の下で、左足の踵の板が、薄くなっていた。
右が三ミリ残っているとすれば、左は一ミリあるかどうかだ。踵で体重を受け止める部位が、その厚みで九日も歩いたなら、いつ割れてもおかしくない。
「九日、歩いて参りましたゆえ」
九日。原作では、暗転一枚で済んでいた道のりだ。
王都の酒場で機人の使者に話しかけると、画面が黒くなり、三秒のロードのあとに機都の門前に立っている。道中の砂も、渇きも、一行も書かれていなかった。それを、こいつは足で歩いてきた。
「飯はいるか?」
「必要ございません」
「水は」
「それも、必要ございません」
「そうか。だが足は必要だな。とりあえず、そこに座れ」
十二号は、座らなかった。
座ってよいのかどうかを測るように、スリットを俺と、足元の地面とに交互に向けた。
「機人は、他者に体を触らせないのが、礼にございます。整備は、同じ号の者にしか許されておりません」
「だったら、礼は後で払え。その踵が割れたら、お前は一号の前に着く前に止まるだろ」
彼は、三秒ほど動かなかった。
それから、ゆっくりと外套の裾を持ち上げて、座った。
踵の板は、四本の沈めネジで留まっていた。一本が緩んで、軽く浮いている。
打音点検を当てる。カン、と鳴ったのは緩んだ箇所だけで、他の三本は鈍く響いた。締まっている音だ。浮いた一本のせいで、板全体が揺れて、削れ方が偏ったらしい。
ネジ穴にグリスを一滴、落とす。
予備の板に交換して、四本を規定の力で締めた。ラチェットの目盛りが、キュッと言う手前で止まる。
「修理完全完了、もうどこも壊れていない」
十二号が、スリットをこちらへ向けた。
「……ただいまのお言葉は、儀式にございますか」
「口癖だ」
「癖にございますか」
「やらないと、手が止まらないんだよ。終わったと決めておかないと、次を探しつづけちまうからな」
彼は、新しい踵で地面を二度、踏んだ。
金属が砂を噛む音が、さっきよりはっきり聞こえた。
「……百と四年、使者を務めて参りましたが」
十二号は、少しだけ首を傾げた。
「踵が、軽うございます。このような感覚は、はじめてにございます」
「だろうな。九日分、歪んで歩いてたんだ、そりゃそういう感想にもなるさ」
十二号は、胸の札の下から、細い金属の帯を取り出した。
帯には、細かい刻みがびっしりと並んでいる。機人の記録帯だ。両手で恭しく掲げて、俺に差し出した。
「改めまして、我らが長、一号よりの依頼状にございます。口上を申し上げます」
ガウス爺と、いつの間にか集まっていたフィーネとミィルとが、後ろで静かに聞いていた。三人の見習いは、離れた柱の影から顔だけ出している。
「一号は、右半身が、止まっております。三百十二年のあいだ、我らの魔導炉と体とを直し続けた者にございます。しかし、その魔導炉が、いま、自らの体に電を回せず、ゆえに自分を直せませぬ。一号は、機人の中で最も整備に長けた者。その一号が、自らを直せぬのであれば、残る我らには、どうすることもできませぬ」
十二号は、そこで一度、言葉を切った。
「一号の魔導炉の出力は、日に日に落ちております。四十日で止まるであろう、と、六号が計算いたしました。そこで、噂の整備長に、お縋りしたく」
「噂は誰が運んだ」
「墓所を巡る商隊と、行き倒れた旅人たちにございます。北の廃棄場に、三十秒で騎兵を立たせる男がいる、と」
そこまで聞いて、俺は後ろを振り向いた。
ガウス爺は、静かに頷いた。
ミィルは耳をぴくりと立てた。
フィーネは、唇を結んで、俺の顔ではなく、格納庫の方を見ていた。継接が立っている方だ。
「行くのか」
そう聞いたのは、ガウス爺だった。
「行く。魔導炉が原因だと言ってるなら、関節の話じゃない。現物を見ないと分からん」
「町はどうするんじゃ?」
「三人の見習いと、お前と、RX-07Hと、PL-21Gが残ればいい。井戸の水位は毎朝長老か町の誰かが見て、食料や在庫の管理も含めて、爺さんが手帳に書け。ノイズの代わりにな」
「お前、ノイズを連れて行く気か?」
「連れて行く。あいつは機体の一部だ」
格納庫の奥で、整備画面のランプが一つ、つんと澄ました速さで点滅した。
「整備長」
「なんだ」
「自分を、機体の一部と呼ばれる件につきましては、今夜、記録の訂正を申請します」
「却下だ」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
出発は翌朝に決まった。
その夜、俺は格納庫の床に麻袋を並べて、食料を数えていた。
乾パン、干し肉、干した果物。
三人分を九日分だ。袋は、思ったより小さい。町の備蓄から割いた分を、爺さんがきちんと詰めてくれたから、数の間違いはないはずだった。
だが、袋を持ち上げた時に、軽すぎると思った。
ツギハギは十メートル、魔導炉は魔晶石を食う。四日歩けば、俺たちの食費の何倍かが燃料に消える。
騎兵に食料を積めば、その重さの分だけ魔導炉がきつくなる。だから騎兵は、荷物を積まない。積むのは、乗り手と、せいぜい手に持てる程度の弾薬だけだ。
食う側の人間は、自分の足で運ぶか、肩に背負うしかない。
そこへフィーネが顔を出した。
「私の分は、これで足ります。騎乗者は少食ですから」
「お前、朝、見習いに何を食わせた?」
彼女の手が、一瞬だけ止まった。
手袋の指先に、また油が黒く光っていた。
「……パンを一つずつ、渡しただけです。六時に来て、昼まで何も食べていなかったので」
「そのパンは、お前の朝の分じゃなかったのか」
「違います。たまたま、余っていたので――」
「言い訳するなよ、余ってる食い物が、この町にあるのか?」
それを俺が言うと、フィーネは押し黙ってしまい、それ以上の返事はなかった。
俺は袋から乾パンを四つ出して、彼女の袋に移した。フィーネは何か言いかけて、結局、袋の口を紐で縛るだけにした。
「乗り手の飯は、整備項目のうちだぞ」
「……はい」
「給油口のない騎兵はない。乗り手にも、給油口がある。入れなきゃ、いつかは止まるんだ。それを忘れるな」
「オサムさん……ありがとうございます」
言ってから、自分が上申書でも書いているような声になっているのに気づいた。
三年前、あの紙に書いたのも、同じ内容だった気がする。止まる前に入れろ、と。
奥で、ミィルの寝息が聞こえた。
外套を頭まで引っ張り上げて、藁の上で丸くなっている。水を呼べる彼女は、砂漠の旅で一番の貴重品だ。
寝息を聞きながら、俺は荷袋の上に、ガウス爺が四十年前に使っていたという羊皮紙の街道図を広げた。機都までの道は、一本の線でしか描かれていない。その線の上に、炭で小さな丸を三つ書き足した。原作の砂漠街道で、青く光っていた回復地点の位置だ。プレイヤーが立ち寄れば体力と燃料が戻るだけの演出だったが、演出の下には、地図を作った誰かが置いた水場の設定があったはずだと、俺は思っている。光らなくなっても、水は湧いているかもしれない。三つのうち一つでも当たれば、ミィルに水を呼ばせずに済む日が、一日できる。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
旅に出た後、街道は三日目から、白い様相を呈していた。
ツギハギの左肩に、俺とミィルは並んで乗っていた。鉄の肩装甲に、荷縄で腰を結んで、座る場所だけを平らに削ってある。座り心地は最悪だったが、落ちはしない。
目の下で、十二号が歩いていた。ツギハギの歩幅に合わせて、一歩ごとに踵を砂に沈めている。踵の音は、小気味いいほど揃っていた。
昼の鉄は焼け、夜の鉄は冷える。
頭に巻いた布の下で、耳の奥まで砂が入った。
「オサム、見て」
ミィルが、前方を指した。
街道の左端に、石が四つ、積まれていた。人の背丈の半分もない。大きさのそろわない石が、ていねいに重ねてある。その根元に、刃の欠けた剣が一本、地面に突き立てられていた。
風が吹くたびに、剣の柄に結んだ布が、乾いた音を立てる。
原作にも墓標はあった。死んだ位置に十秒だけ出る演出で、リスポーンが走ると消える。消える前提で作られたオブジェクトだ。今は、積んだ石が消えない。
「誰のかな?」
「分からん。近くに、もう一人いる」
俺は、解析眼を向けた。
石積みの先、百メートルほど。道の脇の岩陰に、人の形があった。
ツギハギを止める。フィーネが操縦席の窓から顔を出した。
「行き倒れです。……まだ、動いています」
岩陰に座っていたのは、二十歳くらいの青年だった。
青い髪が脂と砂で固まっていて、銀の胸当てに家紋めいた紋章が入っている。傷だらけで、肩のマントは半分焼け落ちていた。唇が白く割れて、舌が口の中で動いていない。
剣を杖のように抱えていたが、握る手に、力がなかった。
【対象:転移者 筋力D/器用E/敏捷D/体力E/魔力C】
解析眼が、そこまでしか読めない。いつものことだ。
俺は肩から降りて、水筒を差し出した。
彼は、受け取ってから、飲み方を忘れたように、しばらく口元に当てていた。それから、一気に傾けた。
「ゆっくり飲めよ。腹が先にびっくりしちまうからな」
「……あ、ありがとう、ございます」
彼の声はまだ若かった。
「宿屋は――?」
彼は、水を一口飲むごとに、そう聞いた。
「宿屋は、近くに、ありませんか。街に着けば、とか、宿屋に泊まれば、とか、思って、歩いてたんですけど」
「ないな。そもそも、そういう仕様じゃない」
「仕様……ですよね。分かってるんです。聞いたし、見たし、やってみたので。でも、足が、動かなくなると、やっぱり、宿屋があるはずだって思っちゃうものですね」
青年は、言葉の途中で、石積みの方を振り返った。
「パーティの、ヒーラーが、いたんです。八日前に。蘇生薬を使って、三回、使ったんですけど。反応が、なくて」
誰も、言葉の続きを待たなかった。
待つ必要がなかった。石は四つ積まれているのに、墓は一つだ。残りの三つは、石を置いた人間の数だった。
「お前の名前は?」
「ライトです。ハンドルネームですけど」
「ライトか。俺は、オサムだ。腹が減ったら、まず食え。それ以上の話は後でいい」
俺は、袋から乾パンを出そうとした。
その手が、横から止められた。フィーネだった。いつの間にか肩から降りて、自分の袋の紐を解いていた。
彼女は、乾パンを六つ、青年の手に載せた。
それから、干し肉の包みを、二つ重ねて渡した。
「お、おいフィーネ」
「大丈夫ですよ」
「お前の分だぞ、それは」
「大丈夫です。私は、騎乗者ですから……」
その言い方に、少しだけ棘があった。
俺は何も言わず、自分の袋から、さらに乾パンを三つ出した。ミィルが、手のひらに水を溜めて、青年の水筒に呼び込んだ。
「この道を北へ、四日だ。俺たちの廃棄場の町がある。門の脇の丸太に、爺さんが座ってる。そいつにこれを見せろ」
俺は腰の工具袋から、ワッシャーを一枚出した。
釘で、刻みを入れた。【整備長の客】とだけ書いて、青年の手に握らせた。
「……いいんですか、俺なんかに」
「いいも悪いもない。腹が減った奴を、道に置いていく整備士はいない」
青年は、泣いた。
声は出さず、乾パンを噛みながら、涙だけが顎を――つ、と伝った。ミィルが、その膝に自分の水筒をそっと置いてあげていた。
俺がツギハギに戻ろうとして、肩の梯子に手をかけた時だった。
視界の端に、見慣れない欄が灯った。
【満腹度 71/100】
十二年、こいつはいつでも満タンで、一度も減らせなかった欄だ。1ヴァルで食える飯が、いつでも無限にあったからだ。
仕様としては、最初からあった。料理バフの飾りで、ゼロになっても攻撃力が五%落ちるだけだった。運営は、腹が減って死ぬ世界を作るつもりでは、なかったはずだ。
だが――今は、減っている。
減る欄を、はじめて見た。数字が一つ動くたびに、腹の底で何かが、ゆっくり軽くなっていく。
この数字が、俺より先にゼロへ近づきそうな人間を、俺は一人知っていた。




