第15話 上限は、上限じゃない
天井の三本目が、落ちた。
ガウス爺が転んだ。七十二歳の脚だ。彼の筋力はCで、転ぶと起きるのに四秒かかる。四秒はない。
俺は左手で爺の帯を掴んで、肩に担いだ。
右手でミィルの襟を掴んで、脇に抱えた。彼女は体型的には十歳の体で、二十キロない小柄な身体だ。
「フィーネ! 背中に乗れ!」
「えっ、背中ですかっ!?」
「俺の両手がもう塞がってる! 飛べっ!」
フィーネが俺の背中に飛びついた。
四百九十キロの魔鋼は捨てた。だが、人は捨てられない。
七十二歳が八十キロ。十歳が二十キロ。十九歳が五十キロ。
合計百五十キロ。
俺は走った。走るしかなかった。
坑道の天井が、後ろから順に落ちてくる。落ちる速さは一定だ。岩は同じ速さで落ちる。走る速さだけが変えられる。
敏捷四百二十。四つの中で一番低い数字。それでも、岩よりは速く走れた。
そのうち、入り口の光が大きくなって、俺たちは一斉に転がり出た。
同時に、背中で土煙が吹き抜けた。
四人で地面に転がって、しばらく誰も喋らなかった。
「……オサムさん。あのぉ......」
フィーネが先に起きた。膝も肘も擦っている。
「わたし、飛べって言われて、考える前に飛んじゃってました」
「飛んだな。いい判断だぞ」
「判断してません。……あの、普通、人を三人担いで走りませんよね」
「だが走った」
「走りましたね。走り切りましたね」
「爺が八十、ミィルが二十、お前が五十だ。合計百五十キロだ。背負えば歩ける重さだ」
「歩いてませんでしたけど。全力で走ってましたけど!?」
ガウス爺が咳をしながら座り直した。土を吐いて、それからもう一度咳をした。
「……四十年前に、わしが立てた柱だ。あれが、わしとお前たちを殺しかけたのか」
「柱は悪くない。松は湿気の中では保つ。乾かしたのが悪い」
「乾かしたのは?」
「俺だ。水を抜けと言ったのは俺だからな」
「……お前さん、それをそのまま言うのか」
「言う。原因を言わんと、次も同じことが起きる、すまん」
俺は坑道の口を見た。七メートル下の脈が、土の下に戻っている。
「明日、支柱を持ってくる。今度は鉄製だ。――乾いても縮まん」
「鉄の柱なんぞ、どこにあるんだ?」
「ベヘモスの脚だ。いまんところ使わないから油布かけて置いてある。あれを切れば、三十本は取れる」
「……六十八トンの英雄機を、坑道の柱にしてしまうのか?」
「立つのが仕事だ。立ってる場所が変わるだけだ」
「……わしの頃には、そういう言い方をする男はおらんかったのう」
「よし、掘り直すぞ。注文が一件、残ってる」
ミィルが俺の袖を引いていた。決して離さなかった。
「ねえ整備屋ぁ」
「なんだ」
「わたし、落ちてくるところ、ずっと見えてたんだよ?」
「そうか。襟を掴んで横向きに抱えてたな」
「そう。横向きだったから、ずっと天井しか見えなかった。岩が、後ろから順番に落ちてくるの」
彼女は少し黙って、俺の顔を見上げた。
「あれ、どう見ても死ぬやつだったよね」
「ああ、死ぬやつだ。あと二秒遅れたら、三人とも埋まってただろう」
「……うん」
「悪かった。水を抜かせたのは俺だからな」
「ううん。そこは怒ってないけど」
「じゃあ何に怒ってる?」
「怒ってない。……びっくりしてるだけだよ」
ミィルは袖を離さなかった。
「百二十年生きてるけど、担がれたのなんて、はじめてだし!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
町に戻ると、工房の前に三人の人間が立っていた。
年齢はおそらく若い。十七か十八くらいの男二人と、女が一人。服が土で汚れている。馬でも荷車でもなく、歩いてきた汚れ方だ。冒険者だろうか?
「はじめまして。僕たちは隣町のミルトから来ました。朝から歩いて、六時間くらいでした」
「六時間か。で、何の用だお前ら?」
「……あの。整備士に、なりたいんですけど」
「三人ともか??」
「三人ともです」
背の高い方の男が、金属の札を胸から出した。
鑑定の札だ。VGO内の鑑定士に金を払って、自分の天職を見てもらった者が持つ札だ。
「それで、身の証のために鑑定を受けてきました。これが出ました」
彼は鑑定札を台に置いた。刻まれていた。
【ミルト村 ヨナ 人 十七歳】
【天職 鍛冶 Lv.6 上限48と推定】
【筋力 D 器用 C 敏捷 D 体力 D】
上限四十八。
この世界の現地人は、自分の天職の上限を知らない。知るには鑑定士に金を払う。一回で職人の十日分の日当はかかる。三人は、それを払って、これを見せられたそうだ。
「上限が、四十八って言われました」
「なるほどな」
「それで、騎兵を直せるようになるには、レベルが八十は要るって聞きました。ほんとですか」
「要る。八十は要るなあ」
「……じゃあ、届かないんですか――、一生」
女の子が、札をもう一度見た。
見ている時間が、他の二人より長かった。
「だから、聞きに来ました。無駄かどうか」
「無駄かどうかを、俺に聞くのか?」
「他に、聞ける人がいませんから」
俺は札を手に取った。 指で触って、刻みの深さを確かめた。〇・三ミリ。浅い。この札を打ったやつは、手が速いな。
「ヨナ、だったな」
「はい」
「上限は、上限じゃないかもしれない」
「……え。でも、上限って書いてあります」
「書いてある。書いてあるだけだ。――使った分だけ、外れる」
「外れるんですか。そんな話、鑑定士さんは一言も言ってなかったんですが」
「鑑定士は外れた人間を見たことがないんだろう。俺はもともと上限九十九だった。だが、十二年使って、百になった。まだ上がるかもしれん」
「百!? 九十九が上限なのに、百!?」
「上限が外れると、そうなるみたいだな、俺も初体験でわからないことばかりだが」
「……そんなの、聞いたことないです」
「だから言ってる。数字は飾りだ。問題はそこじゃない。わかるか?」
三人は、顔を見合わせた。
信じていない顔だった。それでいい。俺も自分で見るまで信じなかった。
別の女の子が一歩前へ出た。その女の子は、三人のうち一番小さかった。
背が低いのではなく、縮めている。肩が上がっていて、首が前に出ている。人の顔を正面から見ない癖がついた体の形だ。髪は赤茶で、短い。自分で切った長さだ。
右の手首に、擦り切れた革の紐を巻いていた。
指先だけが、冷たい白の色をしていた。歩いてきて汗をかいているのに、触れた指だけが冷たく凍えそうな手だ。人に触る仕事をしている手だった。
「私ミナと言います……あの。失礼を承知で、言いますね」
「いいぞ、言ってみろ」
「それ、嘘だと思います」
ヨナがその子の袖を引いた。引かれても、彼女は下がらなかった。
「わたし、鑑定士の見習いなんです。Lv.4で、まだ鑑定札は打てません。でも、人を読むのはできます」
「読めるのか?」
「十人までなら。……読んでいいですか?」
「読んでみろ」
彼女は両手を、俺の手の甲に置いた。
冷たい手だった。歩いてきて汗をかいているのに、指先だけ冷たい。
彼女が目を閉じて、三秒。
それから、目を開けた。開けたまま、何も言わなかった。
「どうした?」
「……欄が、おかしいんですよ」
「言ってみろ」
【鑑定】
【オサム 人 年齢――】
【天職 整備長 Lv.100 上限――】
【天職 ―― 未設定】
【天職 ―― 未解放】
【筋力 S 器用 S 敏捷 B 体力 A】
【備考 測定範囲の記載なし】
「天職の欄が、三行あります」
「ああ、あるみたいだな」
「人の天職は、一つのはずです。師匠は四百人読んで、二つあった人を一人も見ていないとおっしゃってました」
「俺は三つある。だが、まだ二つは空だ」
「空でも、欄があります。欄があるということは、入るということでしょう?」
彼女の指が、俺の手から離れなかった。離すのを忘れている指だった。
「それに、年齢が出ません。Lv.100と出ているのに、上限が出ません。筋力がSです。……Sは、師匠の記録ですと、過去二人しかいません。どちらも、三百年前の人です」
「それで?」
「もともと、嘘だと思いました。でも、読んだら、嘘じゃありませんでした、かなり嘘っぽい数値ですが、信じるしかないようです」
彼女は手を離して、一歩下がって、頭を下げた。
「すいません、とても失礼を言いました」
「いい、気にするな。読んだ方が速いしな」
ヨナが口を開けたまま、彼女と俺を交互に見ていた。
「ミナ。……お前、何を見たんだ」
「上限が、出なかったわ」
「出ないって、どういうアレなんだ?」
「わたしたちが見てもらった鑑定札には、出てた。でも、スキルで見たこの人には、出なかった」
三人が黙った。上限が書かれていない人間を、はじめて見た顔だった。
俺は札を、ヨナの手に戻した。
「ここまで、四千日かかった」
「……四千日。十年以上じゃないですか?」
「十二年だ。俺が到達するのにかかった年数だ。だが、環境も違う、お前らはもっと早いかもしれん」
「早くなるんですかね?」
「なる。俺は一人でやって、誰にも教わらなかったしな。お前らには教える側がいる」
「教えて、もらえるんですか。本当に――?」
「教える。ただし、先に断っておくことがある」
三人が姿勢を直した。
「この仕事は、直ってるあいだ、誰も褒めちゃくれない。何も起きないのが仕事の成果だからだ。壊れてから初めて、お前の名前が出る」
「……褒められないんですか」
「褒められない。十二年やって、礼を言われたのは三回くらいだ」
「三回!? 年に一回もないじゃないですか」
「ないな。それでもやるなら、明日から来い。朝は六時集合だぞ」
ヨナが手を挙げた。
「あの。……礼を言われた三回って、誰にですか」
俺は少し考えた。三回とも、すぐには顔が出てこなかった。
一人は十二年前の工場の後輩だ。だが、パッと名前が出てこない。
一人は、三日前に機体から降りた獣人のアイツ。
もう一人は、十二年埋まっていた機体の管制AIだった。
「そのうち人間は、一人だ」
三人は顔を見合わせた。
それから、三人とも「明日来ます」と言った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その夜、格納庫でノイズが言った。
「整備長」
「なんだ」
「弟子が、三名、増えましたね」
「まだ弟子ってわけじゃない」
「記録しました。――整備班、初回登録、三名」
「勝手に変な欄を作るなよお前」
「欄は、元から、ありました。十二年、空でしたケドネ」
整備画面の下に、見たことのない行が出ていた。十二年、そこは何も表示していなかった場所だ。
【整備班 3/定員――】
定員の欄が、――だった。数字でも、ゼロでもない。
「ノイズ。この定員、いくつだ??」
「表示が、ありません」
「無制限ってことか」
「……または、設計した人が、埋め忘れたのだと、思います」
どちらでも、同じだった。空いているなら、埋めるか増やすだけだ。
【ザルツ 住人263/稼働騎兵4/整備士3(+見習い3)/井戸2/備蓄24日】




