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第十一話 まぶしい

「あなたが一条《いちじょう》さんの友達?」


「友達じゃない」


「うわ、ほんとに丸山《まるやま》さんだ!」


 行く手を塞いだ女の子が、その場で小さく跳ねた。


「髪がぼさぼさで、友達かって訊いたら否定する人を探せって言われてたの」


 癪なくらい、あの王女はわたしのことを分かっている。


 というか、本人はどこにいるんだ。


 今朝、華《はな》姫《き》がわたしのところへ来て、いきなりお昼に誘ってきた。また人目のあるところでだ。だから昼休みはこっそり屋上へ逃げるつもりだったのに、その前に華姫の友達に捕まってしまった。


 それなのに、当の華姫はどこにもいない。


「ああ、あんたが……」


「大村《おおむら》瑠々(るる)っていうの!」


「丸山(まるやま)馨(きょう)」


「よろしくね、丸山さん」


 鬱陶しかった。苗字で呼ばれるのは気に食わない。が、わけを話す気にはならない。あまりに個人的なことだ。呼ばれるたびに、聞かなかったことにすればいい。


 華姫にさえ苗字で呼ばれなければ、それでいい。


「あ、そうだ」


 瑠々がぱんと手を叩いた。


「一条さん、先生の手伝いがあるんだって。だから先に丸山さんを探してきてって頼まれたの」


「じゃあ、今は二人だけ?」


「うん、今はね。そのうち来ると思うよ」


 ほっと息を吐いて、はじめて息を止めていたことに気づいた。初対面の相手と話すのは、いつだって面倒だ。唯一それが苦にならないのはライブのときだけ。ステージの上なら怖いものはない。自分じゃないみたいに、何でもできる気がする。ステージを降りた途端、そういうものは全部どこかへ消えて、空っぽのわたしだけが残る。


 ステージの上と下で、どうしてそこまで違うのか。自分でも分からない。




 瑠々はわたしの向かいに座っている。


 結局、購買に寄ってから教室へ戻ってきた。普段はお昼を食べないので、瑠々に勧められるまま買った。ダイエットとかじゃない。この時間はお腹が空かないだけだ。


 わたしのクラスを見てみたいと言い出したのは、瑠々だった。二人で教室に入ると、お弁当の匂いが漂っていた。机はいくつかの島に寄せられている。自分の机がクラスメイトたちに使われていてうんざりしたが、瑠々が話しかけてくれて机は返ってきた。


 ついでに椅子まで一脚せしめている。


「焼きそばパン、おいしい?」


「悪くない。重たくないし」


「でしょ? しかも安――あ、一条さんにパンの感想を教えるの忘れてた!」


 王女に聞かせるつもりだった焼きそばパンの感想を、瑠々がとめどなく語り出した。わたしはその顔をじっと見ていた。食べ物に興味があるからじゃない。この子が去年のロックフェスで、トリを務めたバンドのメンバーだとようやく分かったからだ。


 つまり、負けられない相手がもう一組増えた。


 わたしたちのバンドとジャンルが近い。次のバンドコンテストにも出てくる可能性がある。


「なに、そんなに気合い入っちゃって」


 瑠々がもう一口かじりながら言った。


 そんなに顔に出てたのか。


 返事をしようと口を開いたところで、教室のざわめきが大きくなった。誰が近づいてくるのかを見て、納得した。


「ごめんなさい、遅くなって」


 華姫がわたしの机まで来て、包みのままの焼きそばパンを置いた。さっき瑠々が勧めてきたのと同じものだ。


 この子、焼きそばパンの回し者なんじゃないか。


「あ、椅子持ってくるね」


 瑠々が立ち上がって、椅子を借りに行った。


 クラス中の視線が、わたしに刺さる。


 瑠々と二人のときは、別に気にならなかった。ここで浴びる注目は、どうにも落ち着かない。ライブのときとは正反対だ。


「次からは生徒会室で食べましょう」


 考えを読んだかのように、華姫が小声で言った。


「次はないから」


 わたしも小声で返す。毎回こんなことになるなら、王女とは距離を置いたほうがいい。


 一瞬、華姫がむっとしたように見えた。気のせいかもしれないが。


「ふう、今日はやけに見られてるね」


 瑠々が椅子を持って戻り、机の空いている側に置いた。


「今日は生徒会室が使えないの。我慢してちょうだい」


 わたしの隣に座った華姫が、ため息交じりにそう言った。


「まあ、普段はこんなに見られないんだけどね……」


 瑠々がこっちをちらりと見る。


 はいはい、わたしのせいでしょ。


「二人でゆっくり食べなよ。わたしは行くから」


「待って」


 立ち上がったわたしの手を、瑠々が机越しに掴んだ。思わず体が跳ねる。華姫も目を丸くしていて、これは予想していなかったらしい。引かれるがままに、わたしは椅子に座り直した。


「丸山さんって、LAKESIDE FLOWERSのボーカルだよね?」


 そう言いながら、瑠々はなぜか王女と目配せを交わしていた。華姫が小さく首を振る。


 この二人、何を企んでるんだ?


「……去年のトリ、よかったよ」


 そう返すと、手を握る力がわずかに強くなった。


「ほんと? 嬉しい! わたし、軽音部なんだ」


「部活でバンドをやってるってこと?」


「そう。学校から予算が出るから、いい機材が使えるの」


 ちっ。


 貴族はすぐに金で解決する。


「でもさ、丸山さんのギター、すごかったの覚えてる。曲もすごく耳に残ってるよ!」


 ……分かってるじゃん。


 不思議と、周りのざわめきが小さくなった気がした。


 瑠々の言葉が、ひとつひとつ胸に染みていく。


「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」


 華姫が、ありえないものでも見るような顔でこっちを見ていた。正確には、わたしの手に重なった瑠々の手を見ている。理由は分からないが、落ち着かなさがじわりと胸に広がった。


 居心地が悪くなって、手を引っ込めることにした。瑠々はあっさり離してくれた。王女のほうを見ると、彼女は手元の焼きそばパンに目を落としていた。


 昼休みは残り十分ほどだった。焼きそばパンを食べながら、課題や好きな食べ物の話をした。


 華姫がいつもどおり話しているのを見ているうちに、気持ちが落ち着いてきた。


 変な話だな。




 本番までの一週間は、あっという間だった。


 学校では、休み時間のたびに新曲のメロディを練り直した。


 放課後は、詩保理《しほり》が侑子《ゆうこ》と史恵《ふみえ》を乗せたバンで迎えに来る。そのままレンタルスタジオへ行き、セットリストを通しで演奏する。


 家に帰っても、自分の部屋でまたギターを弾く。指の感覚はとっくになくなっていて、鈍い痛みだけが残っていた。


 毎日毎日、その繰り返しだ。


 妙なことに、瑠々が昼休みに顔を出すようになった。歌詞の案をいくつか置いて、どこかへ行ってしまう。


 瑠々は自分のバンドのために、わたしから何か探ろうとしているんじゃないか。そんな疑いが、小さく芽生えていた。


 どうでもいい。考えるのはやめた。


 認めたくはないが、華姫が友達に選んだ相手なら信用できる。何かあったら、責任は全部あの王女に押しつければいい。


 決戦は明日だ。今日の昼休みも、わたしは教室で鉛筆を手に机に向かっていた。


 ただ、引っかかることがもう一つある。


 あの日から、華姫を見ていない。新入生のオリエンテーションの件で忙しいんだろう。瑠々に訊いたわけじゃないが、たぶんそうだ。


 どうして瑠々に訊かないのか……


 変な誤解をされたくないからだ。


 ……


 瑠々に手を握られたとき、妙な感じがした。妙だったのは手の感触じゃない。あのときの華姫の反応だ。


 華姫が顔を見せないのは、あれのせいなのか。


 いや、あのあと華姫はいつもどおりに戻っていた。


 やっぱり、ただ忙しいだけなんだろう。


 だが、廊下ですれ違いもしないほど忙しいものだろうか。


 ここ数日は、瑠々と一緒に来ることさえなかった。


 ……


 来ないのは当たり前だ。


 来る理由なんてないんだから。


 そもそも、会おうと約束しているわけでもない。華姫に会わなくたって、わたしの毎日は何も変わらない。


 今までどおりの毎日が過ぎていくだけだ。


 それなのに、気づけばあいつのことばかり考えている。そんな自分に腹が立った。屋上の次は、頭の中にまで入り込んでくる。


 集中。


 集中するんだ。


 ……


 あの喉に指を当てたことを思い出す。


 柔らかい皮膚の、心地よい感触。


 あの日の、あの目。


 ……


 机に肘をついて、両手を髪に差し込む。そのまま、ぐしゃりと握りしめた。




 今回は、自分たちの控室があった。鏡台が一つ置いてある。侑子と史恵がそこで化粧を直していた。詩保理は隣で、アンプにつながないままベースの運指をさらっている。


 出番までは十五分ほどあったので、ギターのチューニングをもう一度確認した。


 もうすでに三回は確認している。が、念を入れるに越したことはない。


 夕方の風が野外ステージを吹き抜けて、顔にかかる髪をさらっていった。


 わたしたちは楽器を抱えて袖に立ち、前のバンドの演奏を眺めていた。


 よりによって、瑠々のバンド――SECOND SUMMERだった。


 曲はちょうど中盤に差しかかっていた。メンバーの中で唯一知っている瑠々が、速弾きのギターソロを決めている。ステージの上でも、昼休みに見た瑠々とそう変わらない。


 演奏しているときも自然体でいられるのか。それとも、学校でのあれが作った顔なのか。


 観客は一緒になって盛り上がっている。週末とあって、客の入りもかなりのものだ。


 袖から客席を眺める。


 夜遅くまでの練習で疲れているせいか、見覚えのある顔がやけに多い気がする。……うちの学校の生徒か? 学校の行事でもないのに、校内ですれ違ったことのある顔ばかりに見える。


 観客には、年配の人や家族連れの姿もある。やっぱり疲れているだけだろう。


 ……


 最初に見渡したとき、何かが引っかかった。だが、無視することにした。


 学生のグループがいる。応援ボードとタオルを掲げて、SECOND SUMMERに声援を送っていた。


 無視することにした。


 その真ん中に、マスクと眼鏡の女の子がいた。周りと一緒になって、曲のリズムに合わせて飛び跳ねている。


 わたしは……無視することにした。


 モールで演奏したときに見た、あの――


「ありがとうございました! SECOND SUMMERに大きな拍手を! 続いては、LAKESIDE FLOWERSです!」


 司会の声がスピーカーから響いて、頭の中で鳴りやまない雑音をかき消した。


 メンバーに続いてステージに出る。体は動いているのに、自分の動きをどこか遠くから見ているようだった。


 あの眼鏡の女の子は、まだはしゃいでいるんだろうか。


 ギターをアンプにつないで、コードをいくつか鳴らす。客席から歓声が上がった。


 誰かがマイクの前に立つ。


 待って。ボーカルは、わたしのはずじゃ……


 よく見たら、それはわたしだった。


 なんだ……?


 侑子がスティックを打ち鳴らす。


「ワン、ツー、スリー、フォー!」


 必死で体に覚え込ませた動きを、体が勝手になぞっていく。


 わたしは今、何を歌っているんだろう。分からない。


 それでも、観客は楽しんでいるらしい。


 くらくらする。まぶしい。


 指先が弦で焼けつく。


 指の皮を削るたびに、メロディが流れていく。


 止める理由なんてない。


 弦が少し滑る感じがした。が、ついていけないほどじゃない。


 このために練習したはずだ。


 だが、客席の歓声が薄れて、低いざわめきに変わっていく。


 とうとう、コードを外してしまった。曲に遅れないように、弾き直す。


 また外した。


 あれだけ練習したんだ。報われてくれなきゃ困る。


 ギターを強く握って、もう一度弾き直そうとした。


 ドラムもピアノもベースも、とっくに演奏を止めていた。


 ……


 気づいたときには、すでに弦が血に染まっていた。


 指先同士を押しつけると、さらに血がにじみ出た。


 押しつけたのは、今度こそわたしの意思だった。

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