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祝福のあとで


朝の広場は、判定が終わっても、すぐにはほどけなかった。


《王域》

《天断》


意味は誰にも分からない。

なのに、分からないままで流していい空気でもなかった。


結界灯の青白い光が、さっきまでより冷たく見える。

風は弱い。鶏も鳴いている。朝そのものは変わっていない。


変わったのは、人の方だった。


トーマがアシュを見上げる。


「……すごいの、出たんだよな?」


アシュは少し間を置いてから答えた。


「知らねえよ」


本当に分からなかった。


王って字はついていた。

天って字もついていた。

強そうではある。

でも、それだけだった。


イーナは判定台を見たまま動かなかった。

顔色が悪い。


判定官が記録札へ急いで書き込む音だけが、やけに耳につく。


広場の後ろで、ひそひそ声が動いた。


「聞いたことあるか?」

「ない」

「王ってついてたな」

「二つって何だ」

「普通じゃないんじゃないか」


普通じゃない。


その言葉だけが、先に村へ広がっていく。


マラ・レヴァンがアシュの肩へ手を置いた。


「帰るよ」


それだけ言って、半歩前へ出る。

庇うみたいな立ち方だった。


その時、イーナが小さく言った。


「……私、やらない」


広場が、また止まった。


イーナの母が「イーナ」と呼ぶ。

でもイーナは首を振った。


「怖い」


「何がだい」


「見たでしょ」


イーナの声は震えていた。

アシュではなく、判定台の方を見ている。


「シジルなんていらない。結界灯の光がなければ、まだ目覚めないんでしょう」


判定官の手が止まる。


広場の何人かが、そこで初めて顔を上げた。

知らなかった者も多い話だった。


判定官は渋い顔で答える。


「十五になっただけで、必ずその場で発現するわけではありません」


「じゃあ」


「結界灯の安定光と判定台で導路を起こして、初めて明らかになる者が多い。遅れて自然に出る者もいますが、普通は判定で起こします」


イーナはすぐに言い返した。


「じゃあ、今日はやらない」


「本来は」


「本来なんて知らない。怖いから嫌」


イーナは、そこで初めてアシュの方を見た。

ほんの一瞬だった。


怖がっている目。

でも、その怖さはアシュに向いていなかった。

正確には、アシュに向けるのが怖い目だった。


「ごめん」


イーナは小さく言った。


「あんたじゃない。あんたが怖いんじゃない」


言いながら、自分でも整理がついていないみたいだった。


「ああいうのに、私も巻き込まれるのが怖い。それだけ」


それだけ、と言い切った。

だが、声は震えたままだった。


アシュは何も返せなかった。


怒るのは違う。

悲しむのも違う。

ただ、幼なじみが自分の隣で「巻き込まれたくない」と言った、その事実が胸の真ん中へ落ちた。


広場のざわめきが、今度は別の形で広がった。


「そんなことできるのか」

「先延ばしってことか」

「いや、でも嫌がってる子を今やらせるのか」


村長が低く言った。


「今日はもう終わりだ」


その一声で、ようやく人が動き始めた。


だが、いつもの朝へ戻る動きではない。

みんな、帰る前に一度はアシュを見る。

露骨ではない。

でも、どう見ればいいか決めかねている目だった。


それが一番きつかった。


トーマだけが、帰る前に小さく手を振った。

けれどその顔には、いつもの明るさが半分しかなかった。


イーナは母親に肩を抱かれて広場を離れた。

途中で一度だけ振り返る。


責める目ではない。

ただ、距離を置く目だった。


アシュはその視線を真正面から受けた。

受けた場所だけ、胸の奥が冷たかった。


---


帰り道は、朝と同じ坂のはずだった。


なのに、少し長い。


薪の家の前を通る。

さっき林檎を投げてきた老人は、戸口からこちらを見ていた。

目が合うと、すぐに奥へ引っ込んだ。


アシュは黙ったまま歩いた。


家へ着くと、マラはすぐ扉を閉めた。

昼前なのに、内側から閂まで落とす。


その音が少し重い。


「大げさじゃないか」


アシュが言うと、マラは振り返らずに答えた。


「大げさで済むなら、その方がいい」


家の中はいつもの匂いだった。

木の床。洗った布。炉の灰。煮かけのスープ。


見慣れた狭さなのに、今日は外より少しだけ安全に思える。


マラは卓に黒パンを置きながら言った。


「聞きなさい」


「何を」


「分からないものを、人は勝手に怖がる」


アシュは黙る。


「でも、あんたは何も悪くない」


「まだ何もしてない」


「知ってるよ」


その言い方が、逆に嫌だった。

まだ何もしていない、とわざわざ言わなければならないこと自体が、もう変だった。


扉が叩かれた。


二度。

少し間を置いて、三度目。


マラが動く。

アシュも立ち上がりかけたが、手で止められた。


「座ってな」


扉の向こうにいたのは村長だった。


帽子を取った顔は、朝より老けて見える。


「町へ報せが行く」


いきなり本題だった。


マラの目が細くなる。


「早いね」


「巡回判定官が緊急扱いにした」


「王都まで?」


「町で止まればいいが、止まらんかもしれん」


家の空気が変わる。


王都。

その言葉は遠い。

遠いのに、紙一枚で村へ来る。


アシュが言う。


「なんでそこまで」


「普通じゃないからだ」


村長はそう言ってから、少しだけ言い直した。


「……普通じゃないと、向こうが判断するからだ」


言い直した形だけ整えて、結局同じことを言っていた。


「しばらく目立つな」


「もう十分目立ってるだろ」


「だから言っとる」


村長は帽子の縁を指でつまんだ。


「結界灯も今日は見張らせる。念のためだ」


「何で結界灯なんだよ」


「分からん。だが、二つも出た。念のためだ」


分からない。

知らない。

念のため。


朝からずっと、そればかりだ。


村長が帰ったあと、家の中は妙に静かになった。


---


昼を過ぎると、外を通る足音が少し増えた。


用があるふうに歩く足。

ついでに覗く足。

露骨ではないが、隠しきれてもいない足。


アシュは窓布の隙間から外を見た。


広場のそばで、大人たちが二人、三人で話している。

視線が時々、レヴァン家の方へ流れる。

目が合いそうになると、さっと逸れる。


そういう逸らし方が一番嫌だった。


トーマだけが、昼すぎに裏からこっそり来た。

干した芋を二つ持っている。


「母ちゃんが」


そう言うが、半分は自分で食べるつもりの顔だった。


アシュは一つ受け取る。


「イーナは?」


「家」


トーマは少し声を落とした。


「今日は受けないって」


「……聞いた」


「怖いって」


「聞いた」


トーマは芋をいじりながら続ける。


「なあ、十五でも、あの判定台に手を置かなきゃ出ないんだな」


「らしいな」


「じゃあ俺もやめようかな。変なのでたらちょっと嫌だ」


アシュは少しだけ笑いそうになったが、笑えなかった。


「お前は変なの出ねえよ」


「何それ」


「そういう顔してる」


「意味分かんない」


そこでトーマも笑いかけて、すぐやめた。


「なあ」


「何だよ」


「お前、どっか行くのか」


アシュは眉をひそめた。


「何で」


「珍しいのは外に持ってかれるって、うちの父ちゃんが」


またその話だ。


アシュは芋を噛んだ。

甘い。少し固い。いつもの味だ。

いつもの味なのに、妙に腹に重かった。


「知らねえよ」


「……うん」


トーマはそれ以上言わなかった。


---


夕方になる頃には、村は静かすぎた。


本当なら、もっと音がある時間だ。


家畜。

水くみ。

戸板。

鍋の蓋。

呼び声。


そのどれもが少し遠い。


みんな早めに戸を閉めているような静けさだった。


マラはいつも通り夕飯を作った。

スープと黒パン、それに干し肉を少し。


匂いも見た目も普通だ。

でも、食べている間じゅう、家の中には薄く張ったものがあった。


アシュがふと顔を上げる。


「……母さん」


マラも同じタイミングで気づいていた。


家の中へ差していた青白い光が、さっきから少し揺れている。


結界灯の光だ。


細くなる。

戻る。

また細くなる。


家の壁に落ちる影が、わずかにぶれる。


マラが立ち上がった。

アシュも同時に立つ。


「待ちな」


「待てるかよ」


扉を開けると、外気が冷たい。


村の中央の結界灯が、青白さを不安定にしていた。


戸が開く音があちこちでする。

誰かが名前を呼ぶ。

水路の向こうで、犬が低く唸った。


結界灯が、もう一度だけ大きく明滅した。


その瞬間、グレム村の空気が、ほんの少しだけ重くなった。


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