「ピピピピ!」
きょうはころーんさんが「勤務先から電車の事故で約束の時間に間に合わなくなった五重唱の歌手がいるから、あわせは中止」とかいうので、早く帰ってきました。歌手にけががなくてよかったです。
どうも、せみころーんさんです。(とてとてはきょうはなし)
待ち合わせ中に、携帯アラームが急にいつもの「ぴろんぴろん!」ではなく、めったにならない災害用の「ピピピピ!」だったので、悪い予感がする、これ人身事故かなんか?と周りの人は騒然としていたそうです。
「ビビビビ!じゃなくてほんとよかった、あれが鳴るともう助からないからねー」って会話も飛んでいたそうです。
オペラやバレエの練習はいつまでたってもコレペティトゥアが必要で、どうしてもAIでは置換できないので、ころーんさんの出番なんだそうです。
「コレペティトゥアは、ちゃんと練習にならなきゃダメ。バッティングピッチャー?と言われることもあるけど、そういう局面もなくはない。合唱のピアニストみたく舞台でお礼する人じゃない」んだそうです。
こういう仕事って、すらあっーしゅには向いてないよね。
昔19世紀までは自然災害や人災を話題にした音楽作品も普通にあったんですよ。「火事」とか。「大雨」とか。
でもこれも前衛の時代になると、ないんですよ。
なんでかわかるでしょ?第二次世界大戦で孤児がたくさんいるからです。家族が自分以外全部いない、ってのもいます。
振り返ってみれば前衛の時代は、何をするにも自重しなければならない時代なんですよね。ちょっとでも標題音楽だとすぐ不謹慎とか言われちゃうわけでしょ。
現代音楽の世界でも比較的ルーズな表題で笑いをとってくるのは1960年代ですよね。50年代はまだまだそんなことはできなかった。「この時代(1950年代)の音楽が、ほんとつまらなかった」といったのはフランスの巨匠リュク・フェラーリです。その文面だけを読めば、作曲家に問題があったというよりは、音楽を取り囲む環境全体のような気がいたしました。
コルンゴルトのオペラに「死の都」なんてのがありますけど、こんなの1950年代にできないでしょ。題名からして不謹慎ネタになっちゃうじゃないの。
日本だけじゃないんですよねー。何処の世界でも不謹慎ネタってのは起こりうるんですよね。
バロックの作曲家はいっつも「Sonata」か「Concerto」でしたが、題名に突っ込まれないための一つの策だったのかもしれません。絶対音楽なら題名に突っ込みようがないですから。
最近国際コンクールの審査員が、若い人に無駄に手を差し伸べやがって、って批判がありますけど、これって平和な証拠ですよね。
それだけ差し伸べるだけの金銭的な余裕があるんでしょう。余裕がなければこんなことしませんし、できませんからね。
「平和真理教ってのも考えものなんだよねー。ピアノ業界の連中は、19世紀のピアノ音楽が戦争と隣り合わせでできてるってことしらんのとちがうか?」と、ころーんさんの目は笑っていません。
21世紀になるともう「戦争ソナタ」とか「戦争レクイエム」とか誰も書かないでしょ。これもびっくりですよね。
「911への哀歌」とか911にちなんだ作品ってのはありますけどね。でも、テロは戦争じゃないですから。
ヨーロッパが民度に関する限り日本の江戸時代化している、というのはちょっと辛辣過ぎか?
「そんなことはない。そのとおり」だってさ。
爆弾が飛んでこないもんね。これは大きい。いつかどっか飛んでくる死の危険があるかないかってのは大きいでしょ。
19世紀のピアノ音楽は死の危険と隣り合わせで作ってるんですよね。
そんなばかなとおもうでしょ?
セザール・フランクは馬車のてっぺんに頭をぶつけたのが元で死にました。今なら開頭手術で助かってたでしょう。
グラナドスも海難事故で死去。事故死している音楽家も19世紀生まれは珍しくありません。
現代の医者も「19世紀のヨーロッパは植民地主義で平和だと思うでしょう?実は違うんですよ。今だったら問題ない病気で死んでるのが多い」って話です。
スクリアビンやタネーエフも、あの程度なら助かってたはずですからねえ。
江戸時代に「馬車のてっぺんに頭をぶつけて死亡」なんてのはなくて「お侍さんが落馬事故で死亡」でしょう。ありえるというのなら。
お侍さんだけですから、そういうの。普通の人は馬にすら乗れない。
平和すぎる環境ってのが人間の質を下げてるのかなー、これではオペラやバレエは現代日本で流行りようがないと思うんですよね。
こんなに平和だと、だれも歯向かってこないわけじゃないですか。
わたしがなろう文学を否定しないのはこれなんですよね。ころーんさんやララモエラーもラノベは否定していません。なぜならそれは「平和の産物」だと。平和なら、文体も変わる、と。




