星稜に勝ってほしかったんだけど
履正社が勝って残念な気分のころーんさんです。
隣でコーヒーの準備をしているせみころーんさんはどのような姿格好をしているのでしょうか?
二人で雪山に上ったとき、そんなに寒くないのにアイスクライマーのポポみたいな恰好をしていました。
これ以上の顔情報を出さないでくれって言ってるのでそうします。
きょうはファウスト・ザドラさんの話をしてみましょう。現在は専ら彼の名が付された国際ピアノコンクールで知られています。
イタリアといえばポリーニさんに代表されるように世界の檜舞台に上がった人もいるのですが、こんなにうまかったのに何でメジャーデビューできてないのかって人も山ほどいます。
ファウスト・ザドラさんはその典型例であったと申せましょう。
おそらく、この人は詐欺で捕まったカルロ・ゼッキの門下生であったため、余波が及んだのではないかと思っています。意外に多いんだよなあ。先生がつかまりましたとかいうの。
このザドラさんはアルゼンチンのピアノ奏者だということですが、南米からやってきたとかいうにおいはあんまり感じられないですよ。
ショパンのピアノ協奏曲第二番1973年テアトロコロン録音もところどころ怪しいけれど、ポリーニの正確無比に弾くマナーよりはこっちのほうが共感できる。全盛期が1970年代だったのは間違いがないでしょう。
1980年代になると、やはり、ところどころ甘く、切れ味も鈍り昔の世代だよなあって箇所は否めない。でも、このくらい弾ければ普通にメジャーレーベルでは囲ってくれたと思うんですよねえ。編集し放題だし。
彼ならではの味、が、「古い!」とかいう聴衆にかき消されてしまったのかもしれません。原曲に手を入れる楽派なんですよね。ちょこっと音を足すなどなど。
「ザドラはところどころ誤魔化すので、これではメジャーデビューは無理無理無理ー」
と、せみころーんさんは笑ってましたが、この誤魔化しがなければ、ポリーニよりはるかに面白いピアノ演奏なんだよねえ。
どうしても、面白く弾ける人はところどころどっかおっかしい人になるのは必然だと思いますが、つまらんノーミスの演奏はころーんさんはいやだなあ!
1960年代のリストのピアノソナタの演奏も非常にユニークである反面、どうしても完璧を期することが難しい気性の粗さが、災いしてしまったのでしょうか。
ザドラさんの演奏を聴いてますと、かつてのピアノ演奏マナーは非常に自由で、レパートリーの幅が広ければ多少のミスは多めに見てくれたんだろうなあ、とつい想像してしまいます。
今の若い人は、ひどくレパートリーが狭いが、AIのように正確に弾けるわけですよね。
Carl Vineのソナタも1番だけ知ってるが、あとの作品は何一つ知らなくてもプロデビューできてしまうってのを知った時には、驚倒してしまいましたが、これが今のピアニストなのです。
つまり仕事に必要なレパートリーだけ知っている、その他は全く素っ裸で、すかすか。これがいまの国際ピアノコンクールの現状です。
芸の幅を広げるのはやはりレパートリーで、世界観が狭ければなんも表現できないと思うんですよ。昔はですね「ラフマニノフはこう弾いていた」「ゼッキがこう弾いていた」そういう列伝があるじゃないですか。今のピアニストでそういう人いらっしゃいますかね?
たぶん、ゼロだと思うんですよね。この人はここのタイトルを取ったっちゃあ取った(盗った?)が、おまけだった、とかそういう列伝にとってかわられたんでしょうね。
ポリーニを含め、この世代はたしかに名を上げることが早期に可能ではあったものの、レパートリーは縮小を余儀なくされたと思いますね。
当時の聴衆のレヴェルが低すぎたというのもあるかもしれない。
あと50歳を過ぎて新しい分野に取り組めるのはほんとに少ないです。かつてですね、ダン・タイ・ソンが「ショパンの集成を終えたら、次はドビュッシーに取り組みたい」といってたのを忘れていませんが、結局彼は取り組めませんでした。
あれだけのタイトルが降ってきたピアニストでさえこれですからね。
ザドラのモーツァルトの演奏を聴いていると、ほんとにこの人は1934年生まれなのだろうかと思うほど、懐古的な瞬間に満ちていて、賛否が分かれてしまったんだろうなあと。
ザドラはおそらくピリオド楽器演奏の素晴らしさも熟知していたんでしょう。でもそれが理解されることはなかったんでしょうね。
モーツァルトの協奏曲の23でも、この演奏ならアンダ・ゲーザのよりはるかに面白い。どこが面白いのかというと、音の余韻がコントロールできてるんですよねえ。
アンダ・ゲーザは右のアタックが鋭いだけ、左が生きてないような気がいたします。




