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テレビをつけたら三善晃だが、コンサートホールに行ったらドボルザークだった。

これが昭和の田舎の常識だったことにあきれてものが言えないせみころーんさんですどーもーとてとてとてとてとてとて。


平成になりますと「テレビをつけたらフィリップ・グラスだが、コンサートホールに行ったらドミトリー・ショスタコーヴィチだった」に変わります。


30年たつと、それなりに変わりました。


2日前から引っ張ってますけど、令和になりますとどうなるんでしょうか?


これ、程度の差はありますけど、ヨーロッパでこういうことはないですよ。ちょっと近現代の一曲でも入れるかとか、バランスをとるわけですよ。ドイツが一番取れてるかな。


ところが、ヨーロッパから離れれば離れるほど、オーケストラが役人仕事になり、レパートリーが膠着するんですよね。


これ、ピアノやヴァイオリンのコンクールもそうで、ヨーロッパから離れれば離れるほど、曲目がテンプレ化するんですよね。


なんでこうなるんでしょうか?


そもそも、西洋楽器オーケストラは誰のためか、ということです。


それが何のためだったのか、ヨーロッパ人は全員知っています。当たり前です。ところが、西洋オーケストラを輸入して育った後進国は、誰のためにそれを作ったかなんてことは記憶に全くないわけです。


誰のために存在しているのかがわからずに、「ほらヨーロッパはこうなんだからお前らもやれ」みたいな植民地主義でオーケストラが入ってくるとどうなるのか?その典型例がソ連でした。


そのソ連ですら、自国の作曲家の演奏は手放しませんでした。特に前衛時代のヨーロッパではほぼ絶えてしまった作曲家本人によるピアノ協奏曲の自作自演はソ連邦崩壊まで残りました。


日本はどうだったか?日本も自国の作曲家の演奏はある、いや、あったと主張される方は多いでしょう。ところが、1970年代末に開始された「オーケストラ・プロジェクト」が開始される頃には、自国の作曲家のオーケストラ作品を自発的に演奏する風習は途絶えつつあったのです。そもそも、田舎にはそんな風習が最初からない。


となると、なんでドボルザークどまりのオーケストラが存在するのか、聴衆はその意味すら知らずにホールに来るわけです。こういうおかしなことが昭和の末まで続いていました。


意外にも表現の自由を謳歌する国家ほど、オーケストラの定期演奏会の曲目は膠着しているのです。これは、サボりの自由です。


伝統音楽に表現の自由は存在したでしょうか?そうです、勘のいい高校生はわかるでしょう。あるわけないんですよね最初からね。


部活で吹奏楽や合唱をやってる経験があれば、よっぽどの馬鹿じゃない限り「テンプレ化表現」に気が付くはずです。しかし、そのテンプレ化表現に異を唱えて独創的にふるまえる人物は非常に少ない。


「せみころーんさんは文句ばっか言ってないで処方箋を出せ」っていう方もいるでしょう。ちゃんとありますよ。だからころーんさんは今日も昼からズッコーン(わさび醤油味)をパリッパリッと食らいついておりますが、たいして気にしていないのです。


それはね、、、、


普通に、小学生や中学生や高校生の音楽の教科書に、正確な事実を書けということです。


対位法の規則を覚えるのに、何千円も払ってまで本を買う風習をやめろということです。対位法の初歩的な規則なんで30ページで済む。クリスチャン・マノンの本はちょっと多くて56ページですが、その程度なら教科書に書いて最初から教えろってことです。


信じられない話ですが、日本の中学校や高校の音楽の教科書には和声や対位法の基礎的なルールどころか、オーケストラの発展の歴史すら書いていない。ハイドンの交響曲も、13人ほどで演奏していたことすら書いていない。ハイドンの交響曲を13人で原曲の指示通りにホルンの替え管を使って演奏する現場を、誰も見たことがない。


ハイドンがホルンの替え管のための支払い書を残していたとか、そんなことまで書く必要はないので、基本的なことを記載すればいいだけです。


楽譜はもうほとんどがパブリックドメインですので、教科書に楽譜を刷る必要はないんですよ。それなら空いたスペースで、基本的なことを書く、それがなぜできないのか非常に奇妙です。


おそらく、ヨーロッパから離れた国家のオーケストラがテンプレ曲目オンリーになるというのも、この種の情報格差が原因ではないかと睨んでいます。


アメリカ合衆国の現代音楽も、「ヨーロッパ輸入型アカデミズム」「トラディショナル東海岸アカデミズム」「実験主義」の三つの派閥とその周辺に別れましたが、これは日本より格差が大きい故の問題と思います。シカゴ楽派のように、この三つの派閥のどれにも加えることが難しいのが出てきている。これも、格差是正を目論んだゆえの折衷案であったと考えてます。


つまり、「ヨーロッパ輸入型アカデミズム」に接することのできるアメリカ人は、少ない、というかええとこのお子さんなんですよね。博士号まで取っちゃうような人の。ヨーロッパ輸入型アカデミズムは、ええとこのお子さんしか知らない。日本もこれに近いですが、アメリカほどではない。

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