きょうもまた雨。あーああ、雨ばっかりだと
ちょっと嫌な気分になっちゃうころーんさんです。
んぐんぐ、なんだかね、前回(今日のころーんさんはロールケーキをほおばってたので食べ終わってから話してます)。
ピアノの音のすばらしさに接さずに過ごした大人がモンゴロイドに多すぎるからだ、ってのをせみころーんさんが言ってたんですって?
ちょっと疑義を生じるなあ、、、例えばね、ピアノの音に聞きほれ「ぜひこれを作らせてくれ!」っていきなり作っちゃったのはヤマハ、カワイ、ゼンオン、ミキ、東洋さんなんですよ?
あとディアパソンさんもいらっしゃいました。日本が一番ピアノの音に群がったんです。どうしてこれだけピアノメーカーが日本に出てきたのかが不思議なくらいです。職人さんが多かったからかな?
でも、思い当たることもあって、、
そう、優秀な弾きての話。なかなか有力なピアニストが地方に来なくなってるんですよ!
かつて日本がお金を持ってた1980年代は、なんでそんなところにって公民館まで若手の新鋭ピアニストが来てました。それが1990年代になると来なくなります。
そうなると、典拠になっちゃうのはCDかLPしかない。CDになるような人はもう中堅になってしまったピアニストなので、新鋭の音ではない。若手の手の付けられない強い響きに出会うことなく、日本人は大学に入ってくるんです。
これどーすりゃいいんだ、ってのがありますけどぉ、、教育の問題だと思うんですよ。
若い人だったら、収入が多少低くても弾いてくれって言われたらやると思うんですよね。そういう草の根レヴェルで育てようってのが全くないでしょ。
そのくせ演奏の現在を知らないもんですから、CDで慣れた響き以外の響きがピアノに入ってくることを極端に嫌うんですよね。録音慣れするとピアノで表現できることは少なくなるよ、と多くの戦前世代は警告してたんですが、その通りになっちゃってます。
ピアノの音のすばらしさ、それはピアノで表現できる音そのもののヴァリエーションの深さなんですよね。
だから弦楽四重奏だろうが交響曲だろうがピアノ協奏曲だろうが、全部ピアノに翻訳できる。その翻訳された楽譜でホームコンサートもできちゃう。これはサックス四重奏ではできないでしょ?
でも、CDやLPだけでピアノ音楽を知っちゃうとですね、その深さはわからないまま時が流れる。日本人はお手本通りにひいてくるって海外審査員から40年前に言われたことだけど、なにもかわってないです。
なので、わたしは弦楽四重奏や交響曲のピアノ編曲を、もっと奨励するべきだと思ってるんですよね。日本の旧世代がオリジナル作品しかやろうとしなかったもんですから。
スクリアビンも自作が編曲されて出版されることは許可は出してたみたいです(出来栄えは感心しなかったとか)。
こういう「ピアノリダクション」で音楽を伝える作業ってのが、途絶えちゃうんですよね。第二次世界大戦でピアノメーカーもなくなり、ピアニストも戦死、残されたのはピアノ教師だけです。1945年当時の教師に創造性はなかったので、ピアニストの商売ノウハウはわかっていません。それで編曲物はほとんどレコードになってなかったんですよね。
編曲物がレコードになるのは、フランツ・リスト没後100年くらいからじゃないかなと思ってます。そのときね、春秋社がベートーヴェンの交響曲のピアノ編曲版を出したんです。この楽譜は懐かしいなあ。すごいエクリチュールだって、びっくりしながら見てましたねえ。
そしたら、それを練習している音楽の先生が小学校にいて、それがそのまま流れてたんですよ!あれ買ったんやろうか、そんなことも思い出しました。
ちなみにベートーヴェン=リストの交響曲の全曲を日本人で全クリして録音した人はまだ誰もいません。弾いただけの人なら、何人かいるんですけど、弾きこなしたっていう人は、ちょっとね。ぱくしゃくぱくしゃく。(ケーキ食ってる)
んぐんぐ。
話がそれたけど、ピアノでできることは多いんですよ。いろんなことに使える。これはシンセではできない。
雨ばっかりでいや。で、雨にまつわる作曲っていっぱいあるけどね。
マイケル・フィニッシーさんの「白い雨」はなかなか素敵な曲だなって思ってます。雨音とピアノを結びつける人は多いんだけど、大衆的なイメージにならずによい書き方になったのはこれだけ。
どうしても雨音って大衆的なイメージにあっさり結びついちゃうんですよねえ。




