そういや堅い芸術ってもうないんでしょ、それならピアノだって
もう本格な組み方やってるピアニストって、いるの?って思っちゃったころーんさんです。
老舗のピッポジェイピーはもう20年弱くらいですか、東海3県とその周辺のコンサート情報を載せてますけど、中でも面白いなと思うのがピアノソロのリサイタルです。
かつては浜松国際のファイナリストが呼ばれ(今でも来てますけど)、それなりにベートーヴェンのソナタもあって、近代の難曲もあって、まぁ110分くらいあってってのがまだ効いてたような気がしますね。
でもね、そういうのがもう、なくなってきちゃってるんですよね。正味90分くらいで、作曲家も偏ってるし。
よく観察すると、稀にいますが、これがかつての巨匠か、ベテランさんかどっちか。世代的なものだったんだなと思います。
どーしてこーなるんでしょーか。(んごくごく、とダイエットコーラ)
これね、やっぱり日本やロシアによくみられる高偏差値教育の弊害だったんだと思うんですよ。プロピアニストはここまでやらないといけない、とか。それなりにあったんですよ。
かつてのピアニストはベートーヴェン弾きか、ショパン弾きか、のいずれかだった。それが1980年代ごろに亡くなっても、本格で組むピアニストはまだいた、で、それすらいなくなった。
今の人はどうやって組んでます?ジャン・チャクムルさんはシューベルト=リストのトランスクリプションでプログラムのほとんどを構成して、なおかつ協奏曲にはメンデルスゾーンの2番を選んでいる。
ピアニストごとに一人一人のプログラムの組み方に、こだわりが出てきたんじゃないかって思いますね。
どーやら、これはピアニストがプログラムを組んでも事務所が排除してたってことなんでしょうね。それは園田高弘さんも証言しておりました。それだけ当時の音楽事務所にロシア流の「堅さ」が求められてたんでしょう。アメリカ流の「軽妙さ」は全く求められていませんでした。
10人超えてまで、日本はかつてチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門に乗り込んできてたことと関係があるかもしれません。あれはどうしてもベートーヴェンさんとプロコフィエフさんが必修で、これを除いたプログラムは認められなかったんですよね。でも今はハイドンさんとメトネルさんでOK。低年齢化するよね。
ハイドンさんとメトネルさんでOKとかいうのなら、その次の世代だって出題しないと不公平でしょうが(黙れドン!)。
となると
ですね、
満18歳を迎えたピアニストにいったい何が求められるかという話なんでしょう。
何が必要だと思います?
かつてはベートーヴェンさんのソナタ全曲だったんじゃないかと思いますね。でも今はそうじゃないでしょ。
今は何でしょうね?これ、フランツ・リストさんの超絶技巧練習曲の全曲なんだろうなって思いますね。
やっぱ時代が下ってて、ピアノはだれでも弾ける、それなら誰もができないことをしないといけない。となると、こうなるんだろうなと。
満18歳でセルゲイ・ラフマニノフさんの絵画的練習曲はちょっときついと思いました。今年のチャイコフスキーコンクールでも、20歳ではピアノが深くならないんですよね。表面的に鳴ってる。音だけあってるから配信音源では気が付かない。
その辺、予選で落とされたが聴衆に大いに受けたアレクサンドル・マロフェーフさんの練習曲の演奏は、結構盛り上がっておりました。あのくらい音が出ないと、オーケストラに埋もれます。
やはり若い人は単に弾くだけなので、和声言語が高度になっても、それをくみ取って弾いてる連中はやはり少ないように感じます。その点1830年代くらいのピアノ曲は和声はほぼ単純ですので、18歳を切っていても普通に弾けますし、さほど影響がない。でも近現代になると、どうしても音だけあってる演奏は不愉快。単純に、理解してない。
つまりー、子供に和声を教えても、せいぜい理解できるのはデュボワレヴェルでしかないってことなんでしょうか?あー、でもこれはわからなくもないな。未成年ならあの程度まで。なるほどなるほろ。
子供にオリヴィエ・メシアンを弾かせたバカ教師がいましたが、やっぱりわかって弾いてないです。音があってるだけ。そのくせ子供だからFは1個くらいしかない。子供への拷問かと思いました。
この手の「高偏差値教育」の時代はようやく終わり、どこの国際コンクールも易しくなるのは結構ですが、だからってかつてなら予選で落ちたに違いないってのが本選に堂々と残るのだけはやめてほしく思います。
せみころーんさんは「少子化なんだからしゃーないやろ」とかいいながらわたしの作った味噌ラーメンを食ってます。




