「おまえの中身が知りたくて――。」
中日が放出したモヤさんのホームランを期待していたら、もう第一号が出たことに驚愕のせみころーんさんですどーもーとてとてとてとてとてとって。
今日は、「なぜ馬鹿丸出しなーんも考えてない様式が、こうも音楽業界で人気がないのか」についてです。身も蓋もない理由は「大学で教えられないから」なんだそうです。
大学で教えることが困難だった人は自前のアカデミーをホラチウ・ラドゥレスクさんのように持つケースがございますが、よっぽどの財力がないと継続できません。
意外にも戦中派前衛世代は国際マスタークラスが好きでした。作曲だけに限った話ではないようで、指揮、演奏含め、けっこういろいろございました。「俺が教えてやるぜい!」というコースほど人気が出ており、中にはマスタークラスを全額タダにするなんていうセルジウ・チェリビダッケさんのようなすごい人もいました。彼はリハーサル風景は全額無料で誰にでも見せていたため、「チェリビダッケに師事」という横着な人間が多かったようです。
その国際マスタークラスで、一番幅を利かせていたのがフライブルク楽派です。
今このフライブルク楽派という言葉すらあまり聞かれなくなりましたが、日本では1990年代、ほか後進諸国では2000年代に爆発的な人気を誇りました。マーケティングを成功させてやろう、とかそんな魂胆のようなものもありませんでしたが、とにかく流行りました。
つまり、講義録・インタビュー録が本になってWolke社から出る、というおつりまで来ていたくらいです。これも実は元祖は本を作って売るオリヴィエ・メシアンさんやカールハインツ・シュトックハウゼンさんらの活動と大して変わりはないのですが、講師陣自らが書き下ろすため販促も上々でした。
このフライブルク楽派も、前衛ネタと一緒で、世界に散らばるとお約束のように変種が出てきます。
Yiğit KolatさんのMessenger of Sorrowsもクラウス・K・ヒュプラーさんかなんかかと思わせるほど、一小節目から特殊奏法ダイアグラムの連発です。音声ファイルだけを聴いて、実はこんな譜面でしたと言われても即答できる人はほとんどいないでしょう。せみころーんさんも、フライブルク楽派から離れていたため、音だけで譜面を想像できていませんでした。
どこもかしこもばっちり書き込まれていてすっげーな、と思いますよね。これがフライブルク楽派です。しかし、本家よりはパターン化されているのが気になります。
Evan JohnsonさんのL'art de toucher le clavecin, 3も一緒です。やたらめったにくどすぎる特殊奏法の事前予告。で、ほっとんど聴こえない空間。これもネタ切れしてくるとフェルマータと繰り返し記号が目立ってくる。
分家のほうがネタの引き出しが少なさそうで、心配になってきました。
本家はクラウス・K・ヒュプラーさんのFeuerzauberみたいなのが代表作です。これは日本でも一回上演されたそうです。CDになってましたので聴いた人も多いでしょう。当時はインターネットがなく、手書きでこの密度まで追い込むのは大変だったでしょう。事実彼はちょっとしてから病気で寝込んでしまいました。
フライブルク楽派がひと段落してから、作曲の講習会のようなものは日に日に減るようになってきました。
インターネットで何でも回収できちゃうのが大きいんだろうかなあ?でも音楽の勉強はネットだけでは絶対できません。答案を書いて、人に見せて、ちゃんとアドヴァイスをもらって、その次、という旧式修練法はどこの伝統音楽でも一緒で、これを否定できる環境は電子音楽くらいです。でも、最近は、電子音楽も人に倣ったのを見せてる状態だからねえ。
「お前の中身が知りたくて――。」福島和夫さんが通っていたダルムシュタットから三善晃さんが選出されたロワイヨーモン(当時は国際マスタークラス制度ではなかったが、研修制度が既に存在していた)に至るまで、「西洋の中身が知りたくて」日本人は必死に勉強していた時代がありました。
今そういう、だれだれに倣おうなんて時代は、もう来ません。老舗の国際講習会がなくなるなんてことは後進諸国が存在する限りはなさそうです。が、もう先進諸国の在住の皆様方は、人に追い付け追い越せってのに、飽きているのです。
をたくの時代が終わったのと一致しているのかもしれない。
ただし
「委嘱作を抜いてコンクールやろうぜ」っていうをたくとは正反対のヤンキーイズムが最近通用しはじめた国際ピアノコンクールが存在する限りは、老舗作曲講習会にも価値が当分は残るのではないかと思っています。
ピアノの世界はヤンキー派とをたく派が、半々になってまいりましたが、ヤンキー派が幅を利かすってことはなさそうです。ヴァイオリンの世界のほうがヤンキー派がやや多いかな?
木管楽器は実はヤンキー派が少ない!これは20世紀音楽がないと試験では息のできないジャンルなので、しぶしぶ20世紀音楽のカタログを眺めるなんて作業がまだ続いているためです。ヴァレンチーノ・ブッキ国際演奏コンクールはご丁寧にも毎年カタログを作成していたことがありました。今でもどこの音大でも誰でもこの作業をやってるはずです。




