振り返ってみれば、20世紀音楽って、みんな「考えて作ってきました」ばっかりなんだよね。
それなら「馬鹿丸出しなーんも考えてない」ってのは国際的な潮流なのかも、とおもうせみころーんさんですどーもー(とてとてとてどて)。
よく考えてみれば、クラシック音楽だろうが、ポピュラー音楽だろうが、たいていの音楽は「考えて作ってきました」です。典型例は12音技法ですよね。ここ見てる高校生は、12音技法ってのググって調べといてね。
それが1979年にヒップホップのレコードがプレスされて、楽器がレコードですって状況になりましたが、DJ連中は「自分がどう組み合わせてきたか」「自分がどう考えてきたか」っていう名人芸に結局走ることになり、なーんも考えてませんって状況には至りませんでした。
なーんも考えてませんって状況は、不可能だという見解だったのです。
難解なエロゲーが1990-2000年代にはやりつくしたのもこれです。日本文学の最先端がエロゲーだともいわれました。ここでも「考えつくされたシナリオ」という側面は放棄できませんでした。これも2010年代に多くのエロゲ―ブランドが倒産して終わりを迎えました。
馬鹿丸出しなーんも考えてない様式が、いよいよ達成可能になる、そういう動きがあると思っているんです。
「あー心がぴょんぴょんする―」とかいうのも、考えて言ってるわけじゃなくて、感じて言ってるわけですよね。
こういう「単に感じてました。なんも考えてません。」って音楽はあるのか?これがひじょーに難しい。
ノイズの非常階段さんやJOJO広重さんも、本人の証言はともかく、あれは完全に計算されたコンポジションだとせみころーんさんの元バンド仲間は言ってました。
単に「感じてただけです」ってノリの初期のモートン・フェルドマンさんは、年をとればとるほど小ユニットの繰り返しを何時間もやらかす、それが6時間超える後期様式、これも考えてやってるわけですよね。
鈴木昭男さんの「ひなたぼっこの空間(1988)」だって、コンセプトがないと実行できない、ただし、「一日自然の音に耳を澄ましてるだけ」ってのは感じてるだけの音楽に極めて近い。ただ、これが馬鹿丸出しだったなんてことはない。
どーーーーーーしても「俺はこれだけ考えたんだ!どや!すごいやろ!」ってのが20世紀音楽を全力で縛ってるんですよ。あらゆるジャンルで。
「どや!すごいやろ!」に暗雲が立ち込めたのは、いつかははっきり言えませんが、2000年代末期であることは確実です。1970年代生まれの男性が、妻子を伴って独立してる時期と綺麗に一致。
全世界的には容認できない日本の児童ポルノ関係に、国際司法のメスが入ってきた2009年前後なんじゃないかと思ってます。児童ポルノ流通防止協議会が発足するのが2009年の6月、いまから10年以上前です。
「うっわー!日本ってこんなに非常識なんやな!」ってのが提起されて、それは非常識どころかどこの国にも大なり小なりあるのに、日本だけが槍玉に挙げられた、そして規制の手が入ってきたってあの時期です。
たいていの音楽の結果はネットで検索出来てしまうので、典型的なサンプルを完成させることは小学生でもできてしまう。それと児童ポルノとは何の関係もない、と思いたいですが、児童ポルノ摘発に日本政府が本腰を入れた時期と「俺ここまで考えたドヤすごいやろ」というフカシが消える時期が、奇遇にも2009年前後になるのです。
「俺ここまで考えたドヤすごいやろ」というフカシが現代音楽から消えたらどうなるのでしょうか?その答えは「保守へ真っ逆さま」に滑り出した日本の諸芸術を見ればわかることです。
しかし
「馬鹿丸出しなーんも考えてない」音楽は、意外にも保守とは断定されないような気もするんですよね。かといって、前衛でもない。
この「俺すげえ」ってのがあまり効かなくなってきた(それでもそこそこ効いてた)前衛の停滞期に、コーネリアス・カーデューさんの「大学」がございます。
これ、もう勘のいい高校生以下の人は全員知ってるはずですが、全編図形楽譜です。だから誰もが勝手に弾いてます。参考音源なんてありません。でも、スクラッチ・オーケストラさん以外のをなるべく聴いてみてください。
どうですこれ?
カーデューは前衛もアングラも全部破壊して、馬鹿丸出しなーんも考えてない、の先駆者になりたかったのではないのか?と思うことがあります。
最終的には彼は共産主義者の活動家になって右翼団体にひき逃げされて死んでしまったのですが、人生の最後になっても「活動家になって人類の未来のために考える」ってヴィジョンは手放していませんでした。
でも、
音楽においてはそうではなかったのではないか?彼は「誰もが弾ける」「誰もが聞ける」「誰もが笑える」空間が欲しかったのではないだろうか?音楽の真のコミュニティーとは、馬鹿丸出し素人合戦だったのでは?と思うことがあります。
彼があのような亡くなり方をしてしまったため、真意はわからずじまいですが、師匠に向かって「こいつサイテー!超帝国主義者め!」とかやってるのは、なろう系の主人公そっくりに思えてならないのです。




