前衛(1945-)も終わり、アングラ(1970-)も終わり、ヲタ(1995-)も終わり、、、次の時代は!!!!!
2020年に「馬鹿丸出しなーんも考えてない文化」が到来するに違いないと考えているせみころーんさんです。どーもー(とてとてとてとてとて)。
馬鹿丸出しなーんも考えてない、という形容とは微妙にそれますが、すべての表現が同等になることを指して「スーパーフラット様式」という定義をされた方がいらっしゃいました。美術家・美術史家の中ザワヒデキさんです。(該当のURLを見てください。ここでは引用はできませんし、せみころーんさんがやりたいのは現代美術の話ではありません。)
前衛とは、上級国民の文化でした。
アングラは、下級国民の文化でした。
ヲタは、言い方がよくありませんが中級国民の文化であったと考えております。中級国民というのは、いわゆる労働者ではあっても子供を大学へ行かせられる層をさします。労働業にはついているが、それなりにお金がある。そのお金から生まれたものが、ヲタ文化、であったと考えています。
その全てがもう、出がらしになったのです。
「なんでこうなったんだ!?」とお怒りの方は多いと思います。これは、文化には鮮度があり干からびたら即ごみにされるという事なのです。
前衛、アングラ、ヲタ。この3点セットが屑籠行きになると、何が生まれるのでしょうか?「もう何も生まれない」という可能性が高くなっているのです。
「馬鹿丸出しなーんも考えてない」に該当する単語を考えていました。Super Groundってのがよさそうな訳だと思ってますが、定着しそうにありません。やはり「馬鹿丸出しなーんも考えてない」という形容がぴったりだと思ってまーす(とてててとててて)。
「馬鹿丸出しなーんも考えてない」文化が2020年から到来する、これが避けられない未来であると考えていますっっっ!
(「チェロが8でコントラバスが6なのはなんでやろ」というころーんさんに対して「こまけえことはいいんだよ!」と威張り散らすせみころーんさんでした。せみころーんさんのオーケストラの技術は相変わらず上達しません。正解はチェロは10でコントラバスは8。)
今ではこのような形容は無意味ですが、東大生だったらこれを聴くだろう、京大生だったらこれを聴くだろう、というのがかつてはございました。
つまり。
前衛へアクセスできるか否かは学校の勉強が得意かどうかに加えて親の財力があるかないか、と同等であったことがばれました。今は東大生でもピエール・ブーレーズさんのスコアは買って読むものではなくなっているようです。
ところがですね、このまんまだと当然ですが、情報の寡占を必然的に産みます。「こいつらだけが前衛にアクセスするのは許せねえ!」という怒りに発展するのは当たり前でしょう。
日本や中国も、オリヴィエ・メシアンさんやアルノルト・シェーンベルクさんは生演奏で聴けるネタではなく、「教科書に載ってるネタ」なのです。公教育の質がちっとも上がらないので、彼らの作品を生演奏で聴くのは日本と中国では難しくなっております。
「こいつらだけがメシアンとシェーンベルクにアクセスしているのがおもいっきり腹が立つ!」という怒りは、日本では表面化しませんでしたが、中国では文化大革命という形をとって犠牲者まで出ました。「学校の図書館にはシェーンベルクの浄められた夜以降の楽譜がなかった」という証言を残したのは、日本にも知られている作曲家のジュリアン・ユーさんです。
中国のクラシック音楽のオーケストラだって日本と同じように現代音楽には消極的です。だから、生演奏で未成年のうちに知った、なんてことはほとんどないです。せみころーんさんも、最初は録音で知りました。生演奏じゃありません。
なので、
「馬鹿丸出しなーんも考えてない」文化は、日本国民に平等に開け放たれるため、前衛・アングラ・ヲタが見せたような世代間対立というのもなくなり、大きな潮流になると思っていますー(とてとてどて)。
(とてとてとて、はロードランナーの主人公の走りのピッチだと思ってください)。
事実、「馬鹿丸出しなーんも考えてない」という潮流はすでにピアノやヴァイオリン業界にあります。大して上手くなくても、適当にメジャーデビューしてる人が1980年代以降はことさらに目立つようになりました。1970年代まではそうでもなかったんですよ。LPのプレスが面倒だったからかな?これがCD時代になると簡単に焼けるので、誰でもデビューさせられるようになったという説が有力です。
演奏業界だって「うまい人をデビューさせよう」なんてことは、もうはなっから思ってないわけです。これも「馬鹿丸出しなーんも考えてない様式の先駆」と、せみころーんさんの横でポテイトゥチップスをバリバリ食ってるころーんさんも考えています。
前衛の時代、ジョン・ケージさんがいくら「啓示微笑」ってやっても、馬鹿丸出しにはなりきれなかったのではないかと考えています。まだまだあの時代は日本もアメリカも男社会で、女性の入る余地は完全にありませんでした。ピアノ演奏だけは余地があったらしく、アルノルト・シェーンベルクさんやピエール・ブーレーズさんのピアノ作品の世界初演者には女性がいます。
それでも作曲世界に入れたヘルマン・シェルヘンさんの実子トナ・シェルヘンさんやベッツィ・ジョラスさん、ガリーナ・ウストヴォルスカヤさんのような例外が存在しますが、これはほんとに貴重な例で、女性の作曲家が目立ってくるのはポスト前衛以降です。
「『馬鹿丸出しなーんも考えてない』という潮流を女性が支持することはないと考えていますが、男性は率先して主導するはず」とせみころーんさんは横でポテイトゥチップスをバリッバリッ食ってるころーんさんを眺めながら思うのでした。ころーんさんはコーラが好きのようで、これから冷蔵庫まで行って取ってきます。




