表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
185/215

周りも結構寒くなってきた。

はい。遅くなっちゃったけどせみころーんさんですーどーもーととととて。


結構この連載も長く続いてますね。毎日数人の読者に支えられてます。ありがとうございます。この数人ってのがいいね。これもかつての文学では達成できなかったことですよ。


この間のドナウエッシンゲン音楽祭だって、ステン=アナーセンみたいなのはやはり例外で、ほとんどはふっつーの現代音楽ですよ。


ふっつーの。ほんとに。ピアノソロの演奏会だってありました。


でもお、なんですね、トータルセリーの基礎が取れてしまうと、クラシックのリズムとテンポしか残ってないって音楽がほとんどなんですよねえ。


なら現代音楽でなくてもいいだろってことなんですよ。


だからララモエラーは拒否反応を示してたわけでしょう。


つまりですね、、


ちょっとショッキングな話なんですよね。そう、文化は終わるかってことです。


誰もが小説を書くようになると、こう、みんなに似通った異世界を書くってのがあるわけじゃないですか。


これとおなじで誰もが作曲をするようになると、ほとんど上にメロディーがあって、あと適当に埋めてるだけ、でしょう。


もう、だれがやっても同じだろって批判が起きることなんですよね。


まだ新興国のタイやインドネシアはいいですよ。まだやる人が全然いなくて、これから国民的巨匠が出るってタイミングですから。


中国も真の意味ではまだ出ていないと思う。まぁどうせ21世紀にでますけどねえ。


ところがね、日本みたくもうISCMにじゃんじゃんとーっちゃって、これから少子高齢化を迎えてる国は、だれでも発信できるわけですよ。


もう、だれでも作曲できちゃう。


となると、ほんとに誰もが同じことしかやらなくなるんですよね。


いまなろうの文学を批判する人も、スペース設置当初にくらべて徐々に減ってるでしょう。それは一大勢力になったからというのもありますが、、、


だれでも異世界てやつですね。これも一応異世界なんだけどね。一応は。


ほんでも、その、異世界ってのが急に本が落っこちてきたら違うとこだったとか、急に歩いてたらさらわれて後宮だったとか、


こういうのはかつての文章読本で厳しく否定されてたことでしょう?


その禁止されたことのオンパレードになるってのがねえ、個人的には面白いと思ってるんだけど、どうしてこうも同じことをするのかってやつです。


今日は久しぶりに戦前の歌謡曲の復刻CDを聴いてましたが、横でもうお菓子を食べ終わったころーんさんがねえ、


「これ、和声付け間違ってるやろ?」だって。


そうです。戦前はほんとに楽器すらないって家もたくさんありましたから、和声の禁則いっぱいしらずしらず破ってます。


で、禁則ってのは何かというと「連続5度」なんですよ。


5度連続したらいけませんとか言うの。なろうの読者で合唱の作曲をやったことはわかると思います。


でーそういう禁則破りってのがまだ戦前の歌謡曲にあるんですよ。


でね、禁止されてるのに、、、


平然と入れちゃうんですよ。


これが、かつての文章読本で厳しく否定されてたなんとやら、とそっくりなんですよね。誰もが同じことをすると、誰もが同じ声部進行を好むんですよね。


だからあ、連続5度禁止になったんですよねえ。誰もがやるから。


誰もが同じことをすると、だれもが同じ線の張り方をする、、、これがわからないんですよねえ。


でも、創作全般が中世時代に帰りつつあるとは言われてます。


中世時代はオリジナリティは全く要求されず、ただ作品が生産されることが前提でした。人類の文化が1000年かけてこの時代のルールに帰りつつあるんですよね。


だから、21世紀の小説、とくになろうは貧困でしょうか?


私はちがうとおもってるんですよね。そもそも、だれもが創作に携わることのできない時代のほうが、不利で卑怯だったと思ってます。


ほれ、文学だって、文學界新人賞やオール讀物新人賞は公募をかけてるじゃないですか。


音楽の場合、これがね、なかったんですよ。


あったと強弁する人もいるか知らんが、声をかける絶対数が違うわけです。大体ソ連は郵便規制で応募できない。


音楽の世界で公募と呼べるものが始まったのはガウデアムスが旧ルール(1984-2013)になってからでしょう。


1984年でしょ。


それまでは公募と言えるかどうか疑わしかったですよ。大体コンクールの要綱は紙ですから、講習会にいって其の紙を拾ってこないといけません。


拾う自由すらないんですよ。1980年代はね。


ところがだれでも要綱がネットで見られると、だれでも優勝できる、つまり、だれもが同じ水準には到達できるんですよ。ロシアとアメリカ合衆国の応募が驚異的に増えましたし受賞者も出ました。


なんでこの2大国が今まで来てなかったんだってことです。すごいことですけど、それは文化の終わりってことなんでしょうかね。


ころーんさんは「それはそれで難儀なことだが仕方ない」っていってます。


すらあっーしゅさんは「あほでものりこんできやがる」って怒ってますけど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ