無駄のない世界ってのも面白くないよねー。
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彡/(。)(;)<あー県岐阜商ー、、、。
(。・_・。;)<ざんねんでした。
彡/(゜)(゜)<こーゆー展開やと、また物理でボコり勝ち。
(。・_・。;)<でもこれ毎回愛知勢盤石ってわけじゃないですよ。
彡/(゜)(゜)<それはええわな。どっかよりわ。
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なんですらあっーしゅさんはこんなローカルな大会まで聴いてるんだろう?あ、らじるらじるか、と思っちゃったせみころーんさんですーどーーーーーもーーーとととととととてててて。
ころーんさんはこんな地方大会まで聞いてません。当然ですが。中京大中京はおめでとうございます。
今日の展開、これ、金属バットで打ち合いってのなんとかならないのかなーって思っちゃうんですよねえ。もう高校生だと体は大人ですから、結局投手のほうが根負けして疲れちゃうんですよねー。
一昔前にあった延長でずっと000なんてのは、現行ルールではもうないといっていいでしょう。体格も30年前とは全然違いますからねー。アスリートみたくサプリメントまでやってるわけでしょ?
最近、その、「物理でボコり勝ち」という風潮を芸術の世界ですら嫌う人たちが出てきました。
1980年代に入ってデジタル処理するようになってからじゃないですか?それまでは何十段もオーケストラの楽譜を使ってよいしょよいしょとすっごい音符を書き込まなければならなかったんですよ。
ああいうの、せみころーんさんはなつかしいですね。ころーんさんはあの時代の楽譜を見ると「楽譜がでかいだけやん」と突き放しちゃいます。
たとえばフランコ・ドナトーニの70年代までのオーケストラ曲はめっちゃくちゃ大量の段数で、そんなことやってもたいして変わらんのと違うかと思うほどにびっしり書き込まれています。
ジェラール・グリゼー「デリーブ」もでかすぎ。あれはアンサンブルとオーケストラですから、どうやっても大きくなるのは当たり前でした。
ところが
1980年代になるとカジュアルでコンパクトにパリッと書けた楽譜が優勢になりました。物理でボコるのはやめよう、もっと聞きやすい音で聞きやすくかこう、と。
新しい複雑性だろうが、ミニマリズムだろうが、マキシマリズムだろうが、ヴァンデルヴァイザーだろうが強音も弱音も割れたりきしむこともなくお行儀良く鳴る。1980年代以降はそういうのばっかりです。
クセナキスですら、かつてはいつも60段の楽譜しか使っていなかったのが、ROAI (1991)では30段になってしまいました。しかも、その30段の楽譜を徹底的に最適化しているんですよ。でも「リズムはこう」というガイダンスを入れてくれています。この、ガイダンスを入れるってのはラッヘンマンにもみられるけど前衛節だねえ。今の人は何にもしてくれませんので。
わたしやすらあっーしゅさん(この人作曲家ってわけじゃないんだけどなあ。)もガイダンスってのはやりませんね。もうその必要がない時代です。
すらあっーしゅさんは「60段が30段になってしもた。モントリオールのポリトープのあの巨大楽譜が懐かしい。なんやあの迎合主義っ!!」と過激だったころのクセナキスしか認めない人です。
Xさんは「最適化してくれるのはうれしいんだけど、やりすぎるとかえって困る」という意見です。
朝日作曲賞の課題曲吹奏楽スコアは、一切の最適化を行っていません。しかし、合唱になると最適化される妙な折衷案を取っています。
最適化したらいいのか悪いのかは、一概には何とも言えないのです。
例えば室内楽で6人編成だと2-3人になると途端に最適化する人がいますが、指揮者は一瞬おやって思っちゃうんですよねえ。
ほら、二台ピアノなんてのは、一台になったって最適化なんてのはやらないでしょ?
そこらへん、単に伝統的に作曲する人もそうでない人も、結局分解してみたらレイヤー5本程度なんですよねえ。西洋音楽ってのは。それ以上になると耳が追い付かないばかりか、「音同士がくっついちゃうんです」よね。
クセナキスは音同士がくっつこうが何とも思わなかったらしく、初期はそんなに音同士がくっつく弊害はあまり感じられなかったのですが、後期は海苔の佃煮みたいにぐっちゃーとくっつきます。これはオーケストラの管楽器が離れて座ってないからです。
音同士がどんな場合でもくっつかないのは、やはり二管編成までなんだそうです。それ以上はもう音の混濁は避けられない。
それに反旗を翻している、というか、Jorge E. Lopezとシルヴィア・フォミナはいまだに巨大楽譜のまんまですが、もうこの方々も結構ヴェテランで、若手じゃありません。
なんでこう情報の整理ってのを芸術に持ち込んでしまうんでしょうかねえ、、。芸術は厳密には数学じゃないので、もう信じられないような無駄の極致ってのもあっていいと思うんですよねえ。




