まず受けて売れないといけなかった元ソ連邦の作曲家は不幸だ。
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彡/(゜)(゜)<、、、なんかいえや!
(。・_・。;)<今までがおかしいんですって。7連勝ですよ?
彡/(゜)(゜)<今日こそは!DeNAに勝つんやで!
(。・_・。;)<いや、あんたが試合するんじゃないから。
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ようやくすらあっーしゅさんも正気を取り戻してよかったよかったとほっとしたせみころーんさんですーどーもーとてとてとととととととととととててててて。
そりゃ一回は負けますよ。無限に勝ち続けるってことはないんですから。
でも昨日のDeNAの勝利はあまり褒められたもんじゃなかったですね。何とかサヨナラでもっていけたからよかったですが、もし9回にツーランだったらお通夜でした。
お通夜、ということで、先日亡くなった方をご紹介しようと思いました。
今年の10月2日にギヤ・カンチェリさんがなくなられました。カンチェリさんはジョージアの作曲家です。なろうの読者がまだ幼稚園児、あるいは生まれていなかったころに、急に旧ソ連邦の作曲家のマーケティングが進んで露骨に売り出されたのがカンチェリでした。
旧ソ連が崩壊すると、この人はアルメニア、この人はウズベキスタン、この人はアゼルバイジャン、この人はカザフスタン、この人はジョージアという具合にロシアの作曲家ではなくなってしまいました。独立してしまったのでもうソ連の人ではない。それなら、マーケティングも自由にできるというので、話題になりそうな人から業界は片っ端から商品価値をつけていきました。
ジョージア人ということで、いきなり引っ張り出されたのがこのカンチェリさんです。実はジョージアは音楽家をそれなりに出しており、巨匠の存在であったのはフェリックス・グロンティさんでした。
年功序列なら、当然グロンティさんが前に出され、「ジョージアの音楽史」を語る権利が有されていたはずです。
しかし
業界は冷たく、グロンティさんはあっさりスルー。そして、都合の良いカンチェリさんが優遇されました。
かっらいかっらいパヒャネッロチップスをいまかじっているころーんさんは、一連のこの騒動を「ずるーい!」と冷ややかに見つめています。
でも仕方ないんですよ。受けそうで売れそうな、ってのがあればもうかるんですから。
どうして売れるのでしょうか?
交響曲第5番「両親の思い出に」を聴いてみましょう。Youtubeのみならず、Spotifyでも検索は容易でしょう。
ぽち。
、、、
どうおもいます?
そうです。非常に小さくチェンバロで始まり、急にフォルテでやかましく吠え、いきなり3分ごろにどんどんどんどんどんどっかあああああああああん!どーぉおおおおおおーーん!って金管が出てきます。
そのあとに続くどーぉおおおーん!どーぉおおおーん!どーぉおおおーん!も、音色的には見事なまでにアラム・ハチャトリアンの交響曲第3番のパクリ。
このように誰にでもわかる音楽語法を使うが、そのシチュエーションを完全に書き換えてしまう、という行為が旧ソ連では非常にはやりました。この人の書き替え方は音量に頼るので、頼った分だけ売れました。
交響曲の第3番もとにかく、ちぃさーーーくはじまって、途中で吠える。この吠え方が実に聴衆にとっては気持ちがいいことでしょう。(これってハイドンのびっくり交響曲の換骨奪胎?)
こうしてカンチェリはシュニトケやグバイドゥーリナ、デニソフ、シルヴェストロフに続いて、5番目の売れ線という称号を手にいたしました。ぱちぱちぱち。
そもそもカンチェリさんは現代音楽の作曲家、ではなく放送音楽の作曲家でした。よくソ連時代にテレビをつけると夜暗くなってからテレビドラマが始まり、決まって音楽担当はカンチェリさんでした。
せみころーんさんのおとうさんは、旧ソ連時代にカンチェリが音楽を担当した映画だったかドラマだったかを見たそうです。旧ソ連は非常に親切で、だれが脚本でだれが音楽かちゃんと音声で示してくれました。
日本のテレビで「監督まるまるさん、音楽まるまるさん」と口に出して配役を言うことはまずありませんが、ソ連では言ったそうです。
そもそもせみころーんさんのおとうさんがなぜソ連に入国していたのかという問題がございますが、そこらへんはほっといてください。
アイスクリームがおいしかったそうです。「もうソ連もとっくにないし、しゃべっても大丈夫、まず殺されん」っていうんですが、だまっときます。
放送音楽の作曲家であってもコンサートホール用の純音楽の作曲を志した点では、カンチェリはニーノ・ロータに匹敵する存在だったといえましょう。ロータほどの知名度はまだありませんが、これからカンチェリの交響曲がコンサートホールで鳴ることは増えるでしょう。演奏も簡単ですし。
でもころーんさんは演奏も簡単ではなく、ジョージア現代音楽の開祖的だったフェリックス・グロンティのほうが偉かったと主張するのです。グロンティさんの音楽についてはまた後日。




