CSで阪神はDeNAには一発はいるやろ、、でも、巨人には
やっぱ力の差ってもんがあるやろうなあ、と考えてみたすらあっーしゅさんだよー。
ここ数日はすんませんでした。なんせ連勝するとは思ってなかったなあ。どっかで落とす、それがいつもの阪神やしいぃ。
えー、今日は、阪神ネタということで、ヘンリー・カウエルの「ピアノのためのトラ」を聴いてみようやないか!
文献によっては定冠詞がついてるのがある、らしいんやけど、現題名は冠詞抜きやぞ。
youtubeぽち。
このシュテッフェン・シュライエルマヒャの演奏はちょっと物足りんなあ。もっとがーーーーーーっとぶっつけなあかん。
(実際にすらあっーしゅさんの言うとおりにおもいきりぶっつけるとピアノの弦が切れます)
、、、なんや?
たかがピアノを殴りつけただけだろ、と?
たしかにそやな。
でも、この「トラ」のインパクトは絶大で、作曲者本人がヨーロッパを巡って布教したこともあって、その痕跡はいっぱいある。
例えばねえ。
アルバン・ベルクのルル。
でてくるやろ?!ぐっしゃあぁぁぁああん!ってやつ。作曲者本人の説明では「下劣な感性」のためのクラスターらしいけんど。
でさ
「トラ!トラ!トラ!」って曲もあるんよね。
George Crumbのマクロコスモス第二巻の「Tora! Tora! Tora!」
Crumbは2010年代の現在においても評価は真っ二つに割れている。「スター・チャイルドが絶頂期で、その後は拡大再生産」って否定派と「弦楽器のサブハーモニクス奏法を木村まりが開発する前にその実在を予言した偉大な発明家」って肯定派。
かつてほどの対立は本人が高齢ということもあってなくなったらしいんやけど、未だに評価は安定してない。
でもね、クラムっていまはCDで全部手に入るんやけど、クラムがいなかったらアメリカ音楽は自由になってなかったと思うんだよね。
東海岸か西海岸かのどっちゃかで中間が全くない。その中間を初めて確立できたのはクラムで、もうクラムの後継者はいない。クラムはアメリカだろうがヨーロッパだろうが何でも引用する。
この後継者がいないってのが、なかなかエエやつやったなあ、って感じになるんよ。
冷静に聞くとねえ、この「Tora! Tora! Tora!」も完全にコピペしたと思われる瞬間があるんよね。今の現音コピペ大会の先駆者かもしれんねえ。クラム本人は「書いてるときはわからないが、あとで調べてみたら丸ごと引用だった」と説明がある。
Cornelius CardewにThe Tiger’s Mind、、、ほほう、、、そんなのもあるんか。
「昼用」「夜用」のスコアがある?めんどくさいことしよんなー。でも曲は悪くない。
1960年代の音楽としては及第点。60年代がこればっか、ってやな見方もあるけんど。
でもまあ、なんというか、今の作曲家って「トラ」とか「ヒツジ」とか動物の名前はあんまつけないよねー。
なんでやろか?
1950年代に前衛の時代になってから、見て楽しい題名ってのは全く持ってないんよね。題名が楽しくなるのは1970年代に入ってから。50年代は判で押したように、楽曲解説として題名が機能してただけやった。
1950年代はユーモアの欠片もない時代やったんやろうか?そんなバカなことあるかと思って調べてみても、題名でクスッと笑える瞬間はないんだよねー。
考えてみれば、レボヴィツやバルトロッチもくそまじめで、題が面白いってのはカスティリョーニ程度か?でもほんと題名が詰まらんってのが1950年代の特徴なんだよね。
食べるものもなければユーモアも生まれんってこっちゃ。北朝鮮やベネズエラの作曲家に「題で笑える」曲を書いているのはいないと断言できる。韓国の作曲家も、題でクスッと笑えるのが出てきたのは、ここ数年とまだ短い。だから北朝鮮にはおらんはずや。
中近東の作曲家も、題で笑えるのはほんと少ない。イスラムの影響やろうね。逆らえないんだよね。中近東の作曲家も響きは美しくても、イントネーションにウィットやユーモアを感じさせるのが出てくるのはまだまだ先になるだろう。
今の作曲家で、ストレートに「カキボー」って題をつけるのがおったら尊敬するわー。
「カキボー」・・・マリオ3スキンのカキボーの目つきが怖かったので描写してみました。
とかさ。
そういう作曲家っておらへんのやろうか?
ものすごい大事なことやと思うんやけどねえ。キャラを見て、やな気分になった。その気分を描写しました。それでええやん。そういう曲って現代音楽の世界では受け付けないわけ?
いや、受け付ける、と思うんだよねえ。オランダやドイツなら。差別や中傷がなければええんやろ?じゃこれでええやん。あたりさわりのない題名ばっかのどっかの国の音楽は俺は嫌いや!んじゃっっっっっっっっっ(ぶつっっ)。




