日本に紹介される順序がまずステン=アナーセンさんが最初で、その次クライドラーさん、その次プリンスさん、、
最後がシューベルトさんというこれ、、、。かつての前衛世代の格付けはフリードリヒ・ゴルトマンさん、ヘルムート・ラッヘンマンさん、ハンスヨアヒム・ヘスポスさん、フォルカー・ハインさんの順やったのとそっくりやな、、っておもっちゃったせみころーんさんですどもー。
これなんで格付けになっちゃうかわかります?
これね、
日本人の弟子がいる順番なんですよね。ゴルトマンさんも日本人の弟子を多くとった。ラッヘンマンさんもいた。でもヘスポスさんは大学で教えてなかったためいない、ハインさんもいない。
いないと紹介が後回しになるんですよ。だから日本って何をやっても後進になっちゃうんですよ。
それって仕方ないだろって人も多いんですよね。
でも
そうでしょうか?
ピエール・ブーレーズさんだって大学で教えてたわけじゃないから、日本人の弟子なんてのも正規学生はいなかったはずです。
わたしが高く評価しているゴットフリート・フォン・アイネムさん(真っ当な調性音楽なのに、真っ当すぎると日本ではぶられる!)は日本のテキストにすら作曲したのに、優れた日本人の弟子がいたとかいう話は聞かない。
アイネムさんのフィラデルフィア交響曲ってなかなかいいじゃん。あれも一瞬だけ不協和な瞬間が金管で出てきて、それを協和音で抹消する瞬間が実に冴えてるよねー。
「ダントンの死」だって日本で定着してないじゃん、、、声楽アンサンブルがちょっと込み入ってるからそこが敬遠されてるのか、、
同じく日本のテキストに作曲したワルター・ニーマンさんやボフスラフ・マルティヌーさんも日本人の弟子はいませんよね。
こういう後進民族の習性に、カールハインツ・シュトックハウゼンさんはほんと敏感だったんでしょう。ケルンの国際講座には日本人の篠原眞さんをはじめとして多くの弟子が集いました。日本人の弟子がいるといないとではここまで差がついてしまうんですよね。
そこでですね、
今回は「日本人の弟子は有名なのに誰も聴かない」変わったポジションの音楽家を紹介しますね。
アレクサンドル・チェレプニンさんの話をしてみましょう。
彼は、日本の近代音楽史の舵を曲げるほどの人物でした。伊福部昭さんや松平頼則さんを育て、日本の作曲家を多くヨーロッパに紹介いたしました。中国美女を侍らせてノリノリのチェレプニンさんの写真も有名です。
でもね、彼の作品ってなんか定着しました?これ、一切ないんですよ。
大澤壽人さんのピアノ協奏曲第3番変イ長調「神風協奏曲」には明らかにチェレプニンさんの影響があるほど、日本では彼の影響は絶大でした。
ロシアの国際音楽コンクールですらほとんどかかりません。大体、ロシアのオーケストラが指揮するのを見たことがない。エフゲニイ・ムラヴィンスキーさんやエフゲニー・スヴェトラーノフさんですらやってないでしょ。わたしだったら指揮コンクールの課題曲にしてやるけどなあ、、
片っ端から後進諸国を旅行して生涯エトランジェとしての生活がたたったのか?
晩年チェレプニンは創作活動を再度波に乗せ、ドイツグラモフォンに自作自演まで吹き込んだ。これが1968年。小川典子さんまで駆り出され、BISから集中的にレコーディングが行われてます。これが2008年よ。
ピアノ協奏曲第4番なんかのっけから中国音階で、普通に中国人の耳に合いそうなつくりなのに、中国のオーケストラがレコーディングしたという話は聞きません。BISのレコーディングはシンガポール交響楽団。香港フィルにやってほしいわー。絶対うまくいくのに、、
(香港フィルのやったワーグナーけっこううまいよねあれ)
中国人が弾けばうまくいくことは間違いありません。実際Jenny Linさんは上手く響かせてますよ。(これもBIS)
で。
どうしてこんなに黙殺されちゃったんだろうって話です。ロシア人にしては意外と薄い書式が取られているようですが、構造はやはりロシア人のそれで、綿密に書き込まれている。セルゲイ・プロコフィエフさんのような強欲さもほとんどなし。本人のピアノの腕だって悪くない。
未来派の影響を受けたのか、ピアノ協奏曲第2番は打楽器ノイズから始まってる。
1960年代にはとっくの昔に前衛の時代で、いてもいなくてもどうでもよい存在にされてしまった、これ以外理由が見つからないですよね。何も悪いことしてないのに、もったいないでしょう。
ご子息イヴァン・チェレプニンさんは作曲家として親以上にアメリカで有名でしたが、若くして亡くなりました。
なろう系を愛読する高校生には「ハーモニカ協奏曲作品86」がおすすめですよ。ハーモニカだって表現力はけっこうあるんです。




