35 ガンダムを語ってみよう ①
どうも。
このエッセイもどきを書き始めてから、なんと一年半も経ってるんですね。
第三回の『頭の回転が加速装置』なんか昨年の四月ですからね。
その中で語った“僕の観たかったガンダム”なんてものがありましたが、その後すぐに“Gのレコンギスタ”が放映され、今はまた“鉄血のオルフェンズ”というのが放送されています。
一応僕は、どんなに気持ちの余裕が無くても、ガンダムだけはチェックしてますよ。
一般的なマニアやオタクの人みたいな前知識もないために、どんな設定であるとか、どの日程で放送されるとか全く予備知識もなく、
「え? ガンダムやるんだ!」
みたいな感じで観ているし、それぞれを一回のみしか観ていないので詳細も何もない状態なのですが、それでもちょっと僕なりの感想などを書いてみたいと思います。
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昨年放送された“Gのレコンギスタ(※以下Gレコ)”は、富野監督が自ら手掛けたことで話題になっていましたね。色々な意味で。
僕は結構好きでしたが、
「多分、これでは一般的にウケないだろうな」
という、客観的な感覚も持っていました。
話はとても今時の風潮を加味していて、そこにガンダムの源流とも言えるトミノイズムを満載したものでしたね。
しかし、《視聴者置いてきぼり》な感は否めないのは事実でありました。
というのも、話の進行が“客観的過ぎ”たんです。
☆☆☆
そう、伝統的にガンダムストーリーは、ロードムービー型の大河ドラマであり、しかもよく言われる《宝島》のようなビルディングスロマンだとされています。
端的に言えば、
『少年少女たちが、何らかの目的のために旅をしつつ、精神的肉体的な成長と遂げながら、人生とは何か、この世界とは何か、などを自ら掴んで行く』
という体を成しているということです。
まあ、大抵の少年漫画などはこれなんですね。
そして大切なのが、登場人物たちに《何をさせるか》が、登場人物の“物語上の一番の動機(目的)”なわけなのです。これが、視聴している人たちの興味を惹く部分でもあります。
簡単に言うと、探偵ものならば事件解決というような感じ。
それが解かるのは、《ファーストガンダム》であれば、予告の最後に故永井一郎さんの声で、
「キミは生き延びることができるか?」
と語られているように、そこが重要なポイントだったりします。
つまりは、戦争や、政争、成長、ライバル、そしてニュータイプへの革新などなど、多くの要素を含んだ《ファーストガンダム》でしたが、意外や意外、アムロを始めとする主人公周辺の人物たちの動機は、
《戦争に翻弄されながらも、何とか生き延びること》
だったのです。
しかし、シャアを始めとする別枠組みは目的が全く違います。
それが混然一体となって観る者にとっていい味を出し、あの少年アニメとは思えない群像劇が生まれたのだと僕は思います。今の季節でいうところの《鍋料理》みたいなものですね。
☆☆☆
その濃厚さは、《Z》以降も増幅され受け継がれていきました。
それを表現するのに、一人ひとりの人物に感情移入できるシーンがいくつも満載されていて、僕は子供のころにそれを見ていて、
「ああ、これなんだよなあ」
って感じてたんですよ。
つまり、
《人はそれぞれ、見る角度も、能力も、感じ方も、考え方も、生き方も違うんだな》
ということ。
なのに今の人たちは……
と、もうウン十年前のガキだった僕は思いに耽っていたのを、昨日ごとのように思い出します。
あ、話が逸れました。続き書きます。
☆☆☆




