34 期待
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評価というのは、他人の期待に応えることから始まる。
そんなことは当たり前すぎる話なのだが、その“期待に応える”という行為ほど奥深いものはない。
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先にも書いたが、人間は本質的に現実というものが嫌いだ。本人がそう思っていなくても、体や脳はそう判断するようにできている。
だからこそ、人は他人に期待するものだと僕は思う。
そしてその期待の判断は、本能的に“器量”や“器の種類”を見て行っている。
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分かり易く言うなら、テレビ番組で未だにビートたけしやタモリなどといった大御所と呼ばれるタレントが冠した番組を観ようとしてしまう行為こそが“期待”であり、その器の大きさや種類を本能的に、経験的に選んで見て取っていることだと僕は思う。
これぞというテレビ番組の司会などを、ポッと出の芸人やアイドルなどに譲ると、視聴者が文句を言う。
この状態こそが“期待にそぐわない”または“違和感を覚える”行為そのものであると。
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そういう器になるための努力というのは必要だが、もともと生まれ持って有している“器量”や“種類”というものもあるということも知っておかなければならない。
つらい現実だが、そいういうこともある。
けど、だからといって簡単にあきらめるものでもない。
なぜなら、価値観というものは自分で作ることもできるし、時代によって変わることもあるから、この先ビールジョッキにラーメンを入れて出すことが定番になる可能性も無くはないからだ。
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でも、評価するのは最終的に他人なのは変わらない。
期待されるということは、そこに“実用性”と“可能性”を人は感じているということ。
そういう誰からも期待される器になりたいものだと思う。




