33 持論
33
先の話の続きになるが、僕にはこういう持論がある。
よく、
「人というものには“器量”というものがある」
といわれるが、僕は先日友人にこう語った。
「器の大きさだけではない。種類もある」
と。
☆☆☆
人の好みは千差万別だが、十中八九、ラーメンをビールのジョッキに入れて出されれば大抵の人は違和感を覚える。
違和感を覚えるということは、本能的に、経験的に、感覚的に、客観的に“期待どおりではない”と判断しているということだと思う。
その《元友人》という男は、自分という器の大きさだけではなく、“種類”を完全に見誤っていた。
例えるなら、お猪口程のレベルの大きさでしかない自分に気づいていない。
いや、お猪口を馬鹿にして言っているわけではない。しかし、お猪口という段階でしかないレベルで、自分を無理矢理に煌びやかで高貴なクリスタルガラスの何かでたとえ、そう思い込んで人生を歩もうとしていた。
それは“現実”という土台ではなく、“理想”という妄想が先に立った思考プロセスでしかない。
☆☆☆
何度も言うが、“土台”が悪ければそれを追いかける“上物”はろくでもない物になる。
人生は、その“土台”の悪さにいつ気付くかが鍵になっているような気がする。
特に今の日本はそんな感じかな。
みんな自分が何なのか、わけが分からないまま戦っているような、そんな感じだと僕には見受けられる。




