15 自分の言葉で話せ!〈2〉
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言っておきますけどね、自慢じゃないけど僕なんか、
〝絶対に人を恨まなくちゃいけない〟
という法律なんかがあったとしたら、いくら時間があっても足りないぐらい恨み足りない相手がおりますよ。
この年齢にもなれば、人のいぎたない吐息の荒波に揉まれてくることなんざ、当たり前みたいなものですからね。
でもね、勿体ないんですよその恨んだり嫉妬したりしている時間がね。
そんなクソ以下の人間に、大切な自分の思考を支配されるということ自体が不快じゃないですか。
ならば、自分のやれることをやる!
出来ることから始める!
それしかない!
四の五の言わず、やるべきことをやれっての!
まずはそれからだ。
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大体、前項や上記で書いた事柄や言葉は、別に何らかの〝教義〟とか〝啓発本〟とかを参考に書いたわけじゃあありませんよ。
その殆どが、自分で導き出した自分なりの答え、というか思考経路の一例なわけです。
無論、何かに少しずつ影響されてたどって来た道でもありますがね。
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昨今は、そういうのが減ってきましたね。
サブカルにしてもそう。
サブカルは、一昔前は一種の人間学でした。何せ、サブカルチャーというぐらいですからね。
でも、〝知識だけの積み重ねだけを良し〟とした教育と社会は、その使い道たる思考経路の選択(公式)を無視してきたんですよ。
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僕は以前、このエッセイもどきの矢口さんからの感想の返信の中に、こんなことを書きました。
――僕の感性で捉えた『本当の意味での異常者』というのは、ある一方向からの視点(思考経路)でしか物事を考えられない偏った人々のことを指すのですが、
逆にそういった人々からすれば、『その偏った思考経路以外の考えを持つ人々』の事を指してしまうもののようですな。ニヤリ。
なるべく偏らない思考を保つためには、やはり、常に全体を捉えた感性を持ち、新たな思考経路を常時模索する。
けど、これをやるとどうしても永遠に答えが導き出せない。
それが面倒だと感じる人たちは、無意識に思考を停止せざるを得ず、原理主義的であったり、偏った考え方に依存して、自らのアイデンティティを保とうとする。
その偏ったアイデンティティに依存するとどうしても人の思考経路はマイナスの論理でしかものを考えなくなり、次第に後天的な発達障害を引き起こし、新しい筋道を拒否したり、頓珍漢な道理を楯にして殻に閉じこもろうとしてしまう。
その繰り返しが人類の歴史の根本だと思うんですね。――
実は、僕がこのエッセイもどきを書こうとした動機が、上記の主張の根幹であることを実感しています。
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つまり、幼児が幼稚であることは一つの可愛さであるが、成人が幼稚であるということは一つの恥でしかない、ということです。
そして、その大人的幼稚さこそが、多くの妨げであることは今更のごとく明々白々の事実。
幼児が猫のマネをすれば可愛いが、年老いた親父やBBAが猫のマネをしても醜いだけ。
脳内修正は無駄無駄無駄ァァァァァ!
つづく




