序 : 雁金紋の由来
直江“山城守”兼続。上杉景勝の最側近で、文武の両面で才能を発揮し優れた成果を挙げた事から執政に任じられ、主君と共に二頭体制で御家を動かしていた。その才は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉からも評価され、『名将言行録』の中で「天下の仕置を任せられる陪臣」として“小早川秀秋”“堀直政(鍋島直茂の説あり)”と並び名前を挙げている。その兼続だが、用いた家紋や旗印は諸説ある。旗印は幾つか種類があるが、その中に“雁金”の象形が含まれていた。
雁は中国の故事“雁の使”――前漢の官僚・蘇武は敵国・匈奴へ外交の遣いとして派遣されるも、囚えられてしまった。匈奴側は自然死を装うべく食べ物や水を与えず餓死させようとしたが、蘇武は知恵と工夫を凝らし命を繋いだ。十九年の月日が経過し蘇武が存命である事を知った前漢側は「先日、天子様が狩りをなされた際、獲物の雁の足首に『蘇武は生きている』と書かれた布の端切れが結ばれていた」と嘘の情報を匈奴側に伝え、身柄が返還された逸話――から忠誠を連想させること、また、集団で列を作り遠方から帰ってくる事から“(戦に出ても)無事に帰って来る”のを想起させる縁起の良さなどから、織田信長の重臣・柴田勝家の柴田家や“表裏比興の者”で知られる真田昌幸の真田家など武家の家紋に取り入れる家も多かった。兼続の旗印として使われたのは元々直江家で採用されていたのか、出自である樋口家から転用したか不明である。
何れにせよ、雁は武家にとって吉兆を表す鳥である点に変わりはない。“白地に雁金”の旗印が戦場に靡かせていたからこそ、兼続も数々の修羅場から生き延びたのかも知れない。そう考えると、感慨深く思う。




