009. 〈圧倒〉と〈救済〉
「お、見えてきましたね」
私たちの進む先、道を挟むように、いくつかの家屋が立ち並んでいるのが見える。街道に沿うように発展した、小規模の村。旅人にとってはオアシスのような場所だ。
「お腹すいた」
「あっ、じゃあちょっと早いですけど、お昼にしますか」
見上げた空の太陽は、まだ真上には届いていない。
「――待って」
「あうっ……!」
不意に伸ばされたレオナさんの手に、顔をぶつけてしまった。
「ど、どうしたんですか……?」
「……何か変」
鼻をさすりながら覗き込むと、彼女は真剣な表情で村のほうを見つめていた。
「――来る……!」
その呟きの直後、視界に影が飛び込んできた。
「っ……!? サーペント! 大きい……!」
現れたのは、蛇型の魔物『サーペント』。胴体はまるで木の幹のように太く、全長は十メートル近くはある。人ひとりくらいなら丸呑みできてしまいそうだ。こちらを威嚇するようにわずかに口を開き、その隙間からは鋭い牙が覗いている。
「こんな街道のど真ん中に……! やっぱり統率が取れてないんだ……!」
昨日のゴブリンの群れといい、今度は村の入り口にサーペント。近年、魔王の支配が弱まり、魔物の統率が乱れ始めている――そんな噂も、あながち間違いじゃないのかもしれない。
「……村が心配。急ぐね」
「あっ! き、気を付けてください! サーペントは、麻痺毒を霧状に……!」
私が言い終わるよりも早く、彼女は跳び出した。そのあまりの速度に驚異を感じてか、サーペントも即座に迎撃体制を取る。
毒の霧を吐き出そうと、サーペントは大きく口を開き――しかしその時にはすでに、レオナさんはその背後にいた。
「はっや……」
私が呟くとほぼ同時に、縦に真っ二つになったサーペントが、地面に崩れ落ちた。
「行こ」
「はっ、はい……!」
私が駆け寄るのを見て、彼女もまた走り出す。
……サポートの隙が無いほどの強さ……。だけど、諦めるわけにもいかない……! どこかできっと、役に立てるはず……!
「……気配がしない……?」
レオナさんの言うとおり、村には人気がなく、魔物の姿も見えない。……間に合わなかったのかも……嫌な考えだけが、頭をよぎる。
「――うぅ……」
「あっ!? ひ、人の声が……!」
前方にある大きな民家の向こうから、人のうめき声らしき声が聞こえてきた。慌てて家屋を回り込む。
「――う、うわあっ!?」
そこでは、何人もの人が地面に倒れ込んでいた。
「なっ、なにがあったんですか!?」
杖を片手に、屈んで声をかけるも、みんな苦しそうにうめくだけで返答がない。
「……アイラちゃん、これって……」
「……はい、おそらくサーペントの『神経毒』……いわゆる、麻痺毒ですね」
――蛇は獲物を狩る際、複数の毒を使い分ける。彼らの状態を見るに、使われたのは『神経毒』だろう。神経に作用し、全身の筋肉を麻痺させて、相手の動きを封じる毒だ。
「たぶんさっきのサーペントか、その仲間の仕業でしょうね……。丸呑みされてないのは幸いと言ったところでしょうか。これなら、まだ手当てが間に合います」
「そっか……」
私の言葉に、レオナさんはほっとしたように息をついた。
「……けどなんで、わざわざ一旦痺れさせて置いておくなんて真似を……」
「……ん、あっちにもいる」
レオナさんの視線の先には、同じように地面に倒れ込む村人たち。様子を見るためか、彼女はそっちへ向かって駆けていった。
「……これ、牙の跡……!? 直接噛み付かれた人もいるんだ……」
うめく人々の体に残る、痛々しい傷跡。しかし出血はそこまで酷くないところを見るに、使われたのは神経毒だけのようだ。おかげでまだ猶予はあるが、それでも応急処置はしておかないと。
中でも最も傷の深い人、その傍に移動し、杖とリュックを地面に置いた。
「――アイラちゃん!!」
レオナさんの叫び声が耳に届く。と同時に、背後で物音がした。反射的に振り返ると、どこから現れたのか、牙を向いたサーペントが襲いかかってきていた。
鋭く長い牙。噛み付かれれば傷は深く、もし運悪く太い血管にでも当たれば、大量出血は免れないだろう。そうなれば、いったいどれほどの痛みになるだろうか……。
――そんなことを考えられるほど、私は冷静だった。
「『グラン・シールド』!」
突き出した手の先、展開された半透明の『盾』が、サーペントの牙を難なく受け止めた。
「『ウルト・フォトンランス』!」
手のひらの中で錬成された高密度の『光』が、『槍』の穂先を模る。狙いは口内、目にも止まらぬ速さで放たれたそれは、自分で展開した盾すらも軽々貫き、サーペントの頭部に大穴を穿っていた。
サーペントが地面に崩れ落ち、動かなくなったのを確認して、私はひとつ息をつく。
「――すごい……」
背後からレオナさんの声。振り返ると、彼女は背中に一人を背負い、両脇に二人の村人を抱えていた。
「あっ、運んでくれたんですね! ありがとうございます!」
「えっ、あっ、うん」
彼女が背負っていた村人を下ろし、両脇に抱えていた人たちも、順に地面へ寝かせていく。
「……魔法って、杖無くても撃てるんだ」
「あっ! それはですね……!」
――魔術師にとって杖は、魔法の威力を高めるための武器であり、同時に、扱いの難しい魔力の制御を助けるための補助具でもある。そのため、現代の魔術師は杖に頼りきりになることが多く、失えばたちまち戦闘能力を失ってしまうという弱点を抱えていた。
あの日の私も、慌てたせいで魔法が暴発し、杖を落としてしまったことでオークに対処できなくなった。そのおかげで、レオナさんに会えたわけではあるけど……それでも、杖無しでは満足に戦えなくなるという弱点は、魔王討伐という過酷な旅において看過できるものじゃない。
だから私は、必死に練習した。たとえ杖が無くとも、一人前の魔術師として戦えるように。
「――ので、原理的には杖なんて必要ないわけですよ!」
「………………?」
「あっ」
……しまった、魔導士以外の人が魔法理論なんてわかるはずないのに、つい早口になっちゃった……。
「よくわかんないけど……すごいね、アイラちゃん」
「はうっ……!!」
レオナさんからお褒めの言葉をいただき、喉から感動の声が漏れた。……なんだか、全部報われた気分かも……!
「……周り、気付いてる?」
「――はい、結構いますね」
そんな私の最高の気分に水を差すかのように、どこからか現れたサーペントたちが、私たちを取り囲むように集まりはじめていた。
そして村の奥、ひときわ目を引く巨体が、ゆっくりとこちらにやってきていた。
「大きいね」
「……『ヒュドラ』。おそらく、この辺りの統治を任されている支配者級ですね……」
――魔王直属とも言われる強力な魔物、支配者級。その一角とされるヒュドラは、サーペントさえ小さく見えるほどの巨躯と、幾本もの頭を持つ怪物だ。数多の冒険者が討伐に挑んできたものの、切り落とすたびに頭が増殖する特性と、驚異的な耐久力に阻まれ、ことごとく敗れてきたという。
「サーペントたちが、村の人たちをわざわざ麻痺させて放置したのも、おそらくはあいつに捧げるためでしょうね……」
「ん……」
短く答えたレオナさんの声に、怒りが滲んでいた。
「……勇者様、ここを任せてもいいですか?」
「――えっ……?」
今にも跳び出しそうな彼女を制すように、私は言った。驚いたように声を漏らし、彼女は私を見る。
「ヒュドラに剣は相性が悪いです。それに、誰かを守りながらの戦いなら、勇者様のほうが得意だと思うので」
足元の杖を拾って立ち上がり、私は一歩前へ足を踏み出す。
「あいつは、私が必ず倒します」
レオナさんの役に立つ。それを証明するには、今しかない。
「……そっか。うん。じゃあ、任せるね」
背中にかけられたその言葉が、まっすぐに胸を射抜く。心が燃え上がるように、熱くなる。憧れの人に頼ってもらえる……それだけで私は、何にも負けない気分だった。
「はいっ!」
力強く返答し、私は走りだした。行手を阻むように這い現れたのは、三匹のサーペント。
「邪魔っ! 『グラン・ガスト』!」
詠唱とともに、視界を薙ぎ払うように杖を振る。その動きに合わせ、左前方からサーペントたちに向けてとてつもない突風が吹き付けた。奴らが耐えきれず吹き飛んだのを横目に、私は包囲を抜ける。
――街道上に堂々と鎮座する『ヒュドラ』。見上げるほどの巨体から伸びる七本の首が、まるで値踏みするかのように、それぞれ異なる角度から私を見下ろしている。その威圧感に、首筋をじっとりとした汗が伝った。
「……強敵なのはわかってる。けど、こっちだって負ける気はないから!」
地面に杖を突き立て、啖呵を切った私に対し、ヒュドラは七本の首を震わせ、シャーッという威嚇の声を立てた。空気が震えるほどの咆哮に、思わずたじろぐ。
その瞬間、私を取り囲むように配置されていたヒュドラの首全てから、『麻痺毒の霧』が噴射された。視界が一気に、黄色く染まる。
「――当然、想定済み!」
先ほどサーペントを吹き飛ばした突風、それをそのまま周囲へ纏い、毒霧を寄せ付けない風のバリアを展開していた。視界を確保するため、風を拡散させて霧を吹き飛ばす。
悠然と立つ私に、ヒュドラは一瞬動きを止めた。そしてすぐさま、牙を剥いて突っ込んできた。
「『ウルト・シールド』!」
さっきよりも更に強度を上げた盾を周囲に展開し、全方位からの噛み付きを防ぐ。毒霧に続き、今度は四方から迫るグロテスクな口内が、視界を埋め尽くした。
その牙からは、ドギツイ紫色の液体が大量に滴っている。
「生け捕りは諦めたってことね……!」
――蛇の『出血毒』。組織を破壊し、血液の凝固を妨げ、確実に相手を仕留めるためのもの。どうやら私を、本気で殺しにきたようだ。
「……ならそれ、利用させてもらうから!」
そう言って私は、展開した盾の内側に掌を押し当てた。
「『グラン・ショック』!」
手から放たれた『電撃』が、盾に付着した毒液を導線に瞬く間に駆け巡り、ヒュドラを襲う。強力な電撃を浴び、ヒュドラは小刻みに体を痙攣させ……しかし無理やり身をよじり、帯電する盾から飛び退いた。
体表に刻まれた痛々しい火傷の痕。しかしそれすら、驚異的な再生力によってみるみるうちに治癒していく。
「……だったら! 再生が追いつかないほどの『火力』で、押し切るだけ!」
――初めに私が杖を地面に突き立てたのは、ヒュドラの足元に遠隔で魔法陣を展開するためだった。地面に刻まれた紋様に魔力が迸り、眩い光が放たれる。
「『ウルト・インフェルノ』!!」
詠唱とともに、魔法陣から凄まじい勢いで噴き上がったのは、『青白い炎』。普通の炎とは比べ物にならないほどの高熱が、ヒュドラを吞み込んだ。噴き上げる炎の轟音に混じり、断末魔にも似た叫びが聞こえてくる。
「――わっ!?」
最後の足掻きか、炎の中から牙を剥いた首が一本、飛び出してきた。しかし当然、盾は張り続けている。
「危なー……さすが支配者級……」
荒れ狂う青炎の隙間、盾越しに見えたヒュドラの眼は、白く濁り切っていた。
――力なく、首が地面へと崩れ落ちる。
「ふー……」
一つ大きく息をつくとともに、炎の噴出を止めた。消えゆく魔法陣の上、その場に残されていたのは真っ黒の塊。完全に炭化した、ヒュドラだったもの。
「――はっ!? ゆ、勇者様!」
……やばっ、目の前に集中しすぎた……。慌てて振り向き、レオナさんのほうを見る。しかし、地面に転がる大量のサーペントたちは、村人たちからは遠く離れていた。
……さすがレオナさん。あの数を相手にしても、一匹たりとも寄せ付けなかったらしい。いちおう、村人たちに防護魔法は張っておいたけど、やっぱり必要なかったみたいだ。
……はぁ、レオナさんが無双してるとこ、見たかったな……。
「――あ、アイラちゃん……!!」
とある村人の様子を見ていたのだろう、その場にしゃがみ込んでいたレオナさんが、顔を上げるなり私を呼んだ。その表情はひどく不安げで、胸の奥がにわかにざわめき立つ。
「この人、息してないの……!!」
「っ……!?」
急いで駆け寄り、しゃがみ込んだ。村人にかざした手から薄く魔力を散布し、簡易的な診断を行う。
「――毒の回りが早い……呼吸不全を起こしてる……!!」
その村人の体には、痛々しい牙の痕が残されていた。毒霧ではなく、噛み付きで直接神経毒を打ち込まれたせいで、症状の進行が早いのかもしれない。
「ど、どうしよう……!! またっ……!!」
狼狽える彼女の表情は、今にも泣き出してしまいそうに悲痛で……助けられない人を見るたび、この人はこんな顔をしていたのだろうか。
「――大丈夫です……! この人たちは、私が必ず助けます……!!」
……これ以上レオナさんに、そんな顔をさせるわけにはいかない!
「体に、牙の痕がある人をここに集めてください! その人たちから順に治療していきます!」
「わっ、わかった……!」
彼女はそう答えると、まるで弾かれるように駆け出した。
「……すぅー、ふぅー……!」
集中するため、大きく深呼吸をする。
――他者の肉体に作用する回復魔法は、攻撃魔法とは別軸の難しさがある。精密すぎるほどの魔力操作を強いられ、失敗すれば逆に、体を傷付けてしまう可能性だってある。
……なんて、泣き言を言ってる場合じゃない!
「『ウルト・キュア』!」
「――あとは、麻痺の後遺症で筋力低下が起きてる可能性もあるので、それも気を付けてあげてください!」
「わかりました! ありがとうございます!」
村のお医者さんへの引継ぎも終わり、ようやく肩の荷が下りる。
「もう旅立たれるのですか……?」
「ん。ご飯も食べたし、行くね」
村の長と話すレオナさんの横顔は、心なしか嬉しそうだった。
「じゃあね」
「では皆さん、お大事に! お元気で!」
「勇者様、ありがとー!」
「頑張ってくださーい!」
背中に声援をいっぱいに受けながら、私たちはまた旅路に着いた。
「……みんな、元気になってよかった」
村人たちの声が遠ざかる中、レオナさんが言った。
「ですね、間に合ってよかったです……」
――犠牲者なし。戦果としては、これ以上ないほど理想的な結果となった。さらには、凄まじい強さで各地に君臨し続けてきた支配者級、その一角をも、ついに討ち倒したのだ。世界を救う勇者としても、大きな一歩を踏み出したと言えるだろう。
なにより、レオナさんのパートナーとして相応しい活躍ができたと、自分でも思えるほどの達成感がある。……嬉しさで、胸がいっぱいだった。
「…………村の人、息してないって思ったとき…………あぁ、またかって、思ったの」
ぽつり、彼女は呟いた。
「また、守れなかった、って…………」
言葉とは裏腹に、その横顔はとても穏やかで、かすかに微笑んでいるようにも見えた。
「…………でも、アイラちゃんがみんなを助けてくれて…………おかげで、誰も死なずに済んで…………」
空を見上げ、眩しさに目を細めながら話す彼女の瞳に、太陽の光が反射してキラキラと輝いている。
「…………みんなの嬉しそうな顔見て、わたし、すごく嬉しかった」
そう言って、ふと、彼女は立ち止まった。そして私のほうをじっと見つめながら、口を開く。
「――アイラちゃん、一緒にいてくれて、ありがとう」
「っ……!!」
優しい微笑みと、一番欲しかった言葉。胸がいっぱいになって、鼻の奥がツンとして……。
「これからも、よろしくね?」
「――はいっ! もちろんですっ!」
込み上げる涙を必死にこらえながら、私は答えた。
……今なら、胸を張って言える。
「だって私、勇者様のパートナーですから!」
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