彼が彼女になった理由8:彼女が彼になったわけ
「!!!!!!!!!!!!!!!」
展望台に登って周囲を見渡した時、私と範子が上げた歓声は、ほとんど言葉としての意味を成していなかった。
そこには360度、見渡す限りのひまわり畑が続いていた。
ここは北海道の北部にある北竜町。旭川空港から、クルマで90分くらいの場所にある、ひまわりの里だ。
7月。私と範子は早めの夏期休暇を申請し、北海道に旅行に来ていた。旭川空港でレンタカーを借り、真っ先に訪れたのが、この日本最大級のひまわり畑だった。
北海道の滞在期間は7日間。レンタカーを使って、主に道北・道東を回る予定にしている。宿泊先は、男女別の相部屋方式を採用している「とほ宿」を中心にした。
そして、旅の最終日は、奇跡的に予約が取れたチミケップ湖の湖畔にあるホテルに宿泊することになっている。他は安く抑え、旅の最後は贅沢にしよう!という、一点豪華主義だ。
※
うちの会社は、7月~8月の間に最低でも5日間の有給休暇の取得が義務付けられている。出勤予定表に消化する有給休暇の日程を予め入力しておかないと、本年度から総務・管理部の主任になった平倉 里美から厳しいチェックが入る。
「鈴木さーん!ちゃんと有休、5日間消化してくださいねー!」
範子が、平倉さんそっくりの声マネでそう言う。音楽をやっているだけに、範子は耳が良くて人の声マネが上手い。私の声マネもちょいちょいしてくる。それも、本人である私の前で。
「内線電話での声マネは、反則だからやめて」
範子にはそう伝えてある。うちの上司の松井主任は男性だから、さすがに範子もマネすることができないが、女性社員の大半は彼女の声マネのレパートリーに入っている。
「花さーん!派遣部の小林さんから内線でーす」
そう言われて電話に出てしばらく話しているうちに、何か違和感を感じると思ったら
「はい、残念!電話は営業部の外越からでした!」
とやられたことも、1度や2度ではない。
範子は、相変わらずトップセールス争いの常連を続けている。うちの会社の定期昇給はたいしたことないが、その分、ボーナスで大きく差をつける方針だ。本人に聞いたことはないが、この夏のボーナスも相当な額が支給されていることだろう。HR部のボーナス支給額は、それほど社員間での差はつかないが、営業部はえげつないほど成績によって差が出るという話だ。
そんな営業成績優秀な範子だが、実は今年度いっぱいでの退職を決めている。社内では、まだ私以外の誰も知らないが、範子の決意は固く、既に次のステップへの準備を進めている。
「次は個人事業主として、演奏活動やピアノ講師としてやっていくつもり。だから、この会社で働くのは、今年度いっぱいまで」
新年度が始まった4月早々に範子から、私はそう聞いていた。
「個人事業主っていう選択肢は、実は大学時代から考えてたの。うちのパパも経営者だし。でも、雇われて働く経験もしておいた方がいいかなって思うようになって」
そこで、新卒で就職したのが、都内にある私立の幼稚園だった。
「高校の音楽教師っていう道も考えないわけではなかったけれど、音楽を始めるなら早いうちの方がいいでしょ?だから、私の担任するクラスの中から将来、演奏家になる子が出たら嬉しいなあと思って」
範子の話を聞く限り、就職先の幼稚園では園児たちからの人気も高く、保護者からの受けも良かったようだ。
「ただ、幼稚園ってザ・女の世界なんだよねー。先生同士の人間関係もギスギスしてて、私は続かなかった」
あっけらかんとした感じで、範子はそう話してくれた。
ちなみに前に行ったことがある、範子の父親のお店は、お店だけでなく9階建てのあのビル丸ごとが、父親のものなのだそうだ。ビルの2階にはあのカフェレストラン、3階に範子の父親の経営する会社が入居し、他はオフィスビルとしてテナントに貸し出しているとのことだった。そして、最上階の9階には、範子一家が暮らしているのだという。
範子の父親がカフェレストランを経営している話は知っている社員も多いので、若手の男性社員の何人かが、こっそり見に行ったことがあるらしい。
「そこでビルの名前が『TOGOSHIビル』になっていることに気が付ちゃったみたいでさ。『住む世界の違うお嬢様だ』って慄いて、入店せずに帰ってきちゃったんだってよ」
たまたま帰りが一緒になった、平倉 里美が教えてくれた。
※
ひまわりの里を出発した後は、留萌〜苫前経由で羽幌を目指す。順調なら、約2時間弱くらいの距離だ。今日は、羽幌のとほ宿を予約済みだ。
レンタカーで北海道を回る旅を決めた時、カーナビではなく地図を使おうと提案してきたのは、範子だった。
「カーナビって、なんか機械に指示されてるみたいで嫌じゃないですか?最終日のチミケップ湖だけ外さなければ大丈夫だから、地図使って走ってみません?」
その提案に私も乗ることにした。
最初の運転手は私。地図を使ってナビをするのは、範子の役目になった。
「きゃあー!地図の向きは北が上なんて決まり、誰が決めたのー!」
出発早々から、範子はカーマップを進行方向に合わせて、くるくる回しながら悲鳴を上げていた。
「範ちゃん、大丈夫だから!道路案内標識に従って運転すれば、だいたい目的地に着くから。そんなに地図ばっか見てると、クルマ酔いするから、もういいって!」
「花ちゃん、ごめーん!」
範子とのドライブは賑やかで、退屈しない。車内BGMは要らないと感じるほどだ。
「なんかさあ、夏場の国道はスピード違反の取り締まり結構やってるらしいから、道道メインで行くね」
「りょ〜!花ちゃん、詳しいー」
「父親が、元ライダーなの。夏の北海道も、何度かツーリングで来たことがあるって。旅先で事故を起こすことと、違反キップ切られることほどテンション下がることはないから、充分に気をつけろだって」
「どういう風に?」
「夏は取り締まりをよくやってるので、国道は避けるべし!道道か、農道がオススメだって。あとは走行中、先頭は地元のクルマに譲るべしだって」
「どうしてー?」
「スピード違反って、先頭のクルマから捕まるらしいよ。あとは、地元民のクルマよりも、道外から来たクルマの方が捕まりやすいとか。知らんけど!」
「知らんのかーい!」
※
途中1回のトイレ休憩を挟んで、夕方の4時過ぎに目的の宿に到着した。宿には、バイクでやってきたライダーや、自転車でやってきたチャリダーらが集まっていた。男女別の相部屋と聞いていたのだが、私と範子は2人で個室を利用することができた。
チェックインだけ済ませると、宿には共用のシャワールームしかないので、予めチェックしておいた近くの温泉施設にレンタカーで向かう。夕食は18時から食堂で提供されるとのことなので、それまでには戻ってくる予定だ。
※
18時になったので食堂に行くと、既に他の宿泊客はみんな集まっていた。この日の宿泊客は、範子と私を入れて8人。4人がライダーで、2人がチャリダーとのことだった。ライダーは全員男性、2人組のチャリダーは夫婦とのことだった。
予想はしていたが、やはり範子には男性からの視線が集中する。もともと可愛くてスタイルが良いうえに、今の範子は湯上り感ほかほかで、艶っぽさがだだ洩れしてる。チャリダー夫妻の旦那も、こっそり横目で見ているのがわかる。
食後は、隣の談話室に宿泊客が集まって飲み会になることが多いそうなので、いったん部屋に戻ったあと、着替えて出直すことにする。着替えるのは、範子をもう少しガードが固めの服装にするためだ。湯上りで火照っていたとはいえ、さすがにオフショルダーのカットソーに、生足ショートパンツは、ここの男性陣には刺激が強すぎる。
※
「じゃあ、お2人は会社の先輩・後輩なんですね」
4人のライダーは、それぞれソロ・ツーリングの途中で、たまたまこの宿で一緒になったのだそう。簡単に自己紹介をされたのだが、名前を覚えきれなかったので、それぞれ
・ヒゲ(見たまんま)
・若旦那(奥さんと各々別ルートで北海道ツーリング中とのこと)
・学生(大学を休学して自分探しの途中)
・メガネ(これも見たまんま)
と、こっそり呼ぶことにした。
ちなみにチャリダー夫妻は朝が早いので、飲み会には参加せずに就寝するとのこと。自転車ツーリングは体力勝負なので、シビアな自己管理が要求されるのだと、若旦那が教えてくれた。
「今の会社で働く前は、幼稚園の先生してましたー」
ほろ酔いになった範子が自己紹介でそう話すと
「うわあ、こんな先生に教わりたかったなあ」とヒゲが言ったので、
「それ、うちの男性社員のほぼ100%が言います」と私が合いの手を入れた。
それぞれが持ち寄ったお酒は、麦&芋焼酎、ビールのロング缶6本、あとは私たちの提供した安物の白ワイン。男性陣はみんな範子に興味津々な様子ではあったが、とても紳士的で学生以外の3人は既婚者とのことだった。
「こんな風にバイクに乗って遊んでられるのも、奥様あってのこと。奥様には頭が上がりません」とメガネが言ったら、
「うちも同じよ。息子2人はゲームばっかで、バイクになんて全然興味ねえし」とヒゲも続けた。
そのうち、談話室の奥に古びたアップライトピアノが置かれているのを、範子が見つけた。
「宿主さん★、これ弾いても大丈夫ですか?」
「構わないけど、長いこと調律してないから、音程が怪しいかもしれないよ」
範子はピアノのふたを開け、キーカバーを取り去ると、音程を確かめながら演奏を始めた。
前にも範子の演奏で聞いたことのある曲で、曲名を思い出そうとしていたら
「月の光ですね、ドビュッシーの」と学生が教えてくれた。
明日は、いよいよ最北端の宗谷岬を目指すドライブになる。ここから3時間弱で着くはずだが、その先もあるので1曲弾き終えたところで、範子を促して自分たちの部屋に戻った。
注釈★
宿主:とほ宿では、オーナーを宿主と呼ぶことが多い
※
夜中にふと、目が覚めてしまった。
目を開けると、隣で範子が寝ているのが不思議な気がする。3か月ほど前まで、私たちはただの職場の先輩・後輩だったのだ。
いや、「ただの」は違うか。範子が入社してきた時から、私はずっと彼女のことを気にしていた気がする。それを私は「ケア」や「サポート」だと思っていた。そういったものとは、もっと別の感情だと気が付いたのは、去年の年末からだ。
そこからは、まあ、いろいろあった。元カレの助けも借りた。
でも、今はもう大丈夫。
私のことを、一番受け入れられなかったのは、私自身だったのかもしれない。
「花ちゃん」
隣で寝ているはずだった範子が急に目を開いて、話しかけてきた。
「はい?」
「花ちゃんは、私が今の会社に入社してきた日のこと、覚えてる?」
「そりゃあもう、鮮明に。営業部の男どもが、色めき立ってたからね。みんな『アイドルみたいだ!』って言ってたけど、私はお姫様だと思ったな」
掛け布団代わりのタオルケットをかぶって、どうやら範子は笑っているようだった。
「あたし、女性ばかりの職場が合わなくて転職してきたじゃないですか。それで、いざ配属されてみたら、HR部も女性ばかりの部署だったんで、『ああ、またこういうところで働くんだあ』って、少しガッカリしたんですよね。でも、そこでチーフをしていた花ちゃんから、入社初日にこう言われたんです」
なんだろう?去年の年末以前の記憶も、8割がたは思い出せるようになったけど、細かいディティールまでは覚えていない。
「『うちの部署に配属されてきてくれてありがとう。私は何があっても、あなたの味方だから。何かあったら、すぐに相談して』って言ってくれたんです。覚えてます?」
「うん。思い出した。ウザ絡みする男性社員とかいたら、蹴散らしてやる!って思ってた。まさか、求職者から絡まれるとは思ってなかったけど」
「それなんですよね…あたしは規則通り、マニュアル通りにやっていたんですけど、なぜか勘違いする人が多くて。あまりにも度々起きるから、あたしの方にも問題があるんじゃないか?と思う人もいたみたいで」
「あちゃー!耳に入っちゃってたか!そう噂しているスタッフがいるのも知ってたけど、耳に入る度にどやしつけてきたし、極力、範ちゃん本人には伝わらないように配慮してたんだけどなあ…力及ばずでごめんねえ。嫌な思いしたよね」
「いえ、自分が間違っているわけじゃないし、花ちゃんが庇ってくれているのも知ってました。あたしのことで松井主任とケンカ上等、丁々発止のやり取りをしている花ちゃんを見かけたこともあって、めちゃくちゃ頼もしくて、格好良かったです」
姫からそう言われたら、私は照れるしかない。でも、結局のところ、範子は2カ月ほどで営業部に異動になった。私は、彼女を守り切れなかったのだ。
「花ちゃん、ひょっとして私が営業部に異動になったことで、引け目に感じてません?」
「うん、そりゃあ、まあね。守り切れなかったわけだし」
「全然そんなことないですよ。さっきも言った通り、あたし女性ばかりの職場に辟易していたので、逆に男ばかりの営業部は面白かったです」
「バカで単純でしょう?うちの男どもは」
「なんか、可愛いですよね。たまたまかもしれないけど、女性の同僚ほど露骨にライバル視してくる人も、うちにはいませんでしたし。あたしは恵まれていたんだなあと思います」
私はどう言葉をかけて良いのかわからず、宿の部屋がしばしの沈黙に包まれる
「範ちゃん、明日も長距離ドライブだし、そろそろ寝よっか」
「そうですね。おやすみなさい、花ちゃん」
「あらためまして、おやすみなさい!」
※
「すっごーい!!花ちゃーん!地平線と、水平線が同時に見えるよー!!」
助手席の範子が上げた歓声が、風の音にかき消されてゆく。今日は涼しいので、エアコンを使わずに窓を全開にしてレンタカーを走らせていた。
私たちは今、宗谷岬を目指してオロロンラインを北上している。
天塩町に入ったあたりから国道に別れを告げ、道道106号に入ると、一気に視界が開けてきた。海からの横風も強いので、ハンドルを取られないように慎重に運転をする。スピードも、やや控えめだ。
「風がハンパなく強くなってきたから、窓閉めようか!」
「うん、わかったー!花ちゃんの声も聞こえないし」
オートウィンドウを閉めると、風音が消え車内はクルマの走行音だけになった。周囲に広がる雄大な景色は、とても日本の光景とは思えない。むかし、何かの映像で見たアイルランドの光景に似ていると思った。
「あたし、花ちゃんに告白した後の年末年始って、ずっとザワザワした気持ちで過ごしてたんです」
私はハンドルを握りながら、視線を一瞬だけ範子に向けた。
「ちゃんと伝えられてスッキリした気持ちと、伝えちゃった以上、もう元通りの関係には戻れないんだろうなっていう気持ち。あと花ちゃんの『あたしが男だったら良かったのに』っていう言葉の意味。そんなのが、ずっとグルグル頭を巡っててて、おかしくなりそうでした」
「ごめん。あたしも『あの言葉はなかった』って、反省した」
「それで仕事始めの日に、思い切って声をかけたら、それまで『範ちゃん』って呼んでくれてたのが、いきなり『外越さん』になってたし。その瞬間『終わったー!!』って思いました」
「あの時は、いろいろあって私も混乱してまして…」
この年末年始に私の中で起きていたことは、範子には伝えていない。どう伝えていいのかわからないし、今となっては他のスタッフからも「何があったのか、年明けからしばらくの間、鈴木は様子が変だった」という笑い話で済まされている。それでいいと、自分でも思う。
「その後は、すぐに前みたいに接してくれるようになったけど、どうしても花ちゃんの気持ちを確認しくて、演奏を聞きに来て欲しいって、誘ったんですよね」
「あれは緊張したよ!ガールズバーなんて聞いてなかったし、いかにも場違いだったし」
「あのお店、生演奏を売りにしてるんですけど、音大の後輩たちが何人もアルバイトとして働いてるんですよ。オーナーもパパ…父親の知り合いなので、敷居が高いなんて思ってみたこともなくて。花ちゃん、肩身の狭い思いをしてたんですね。ごめんなさい」
「でも、いい話のネタになった。ガールズバーなんて、こんな機会でもなきゃ、足を踏み入れないからねえ」
右手にオトンルイ風力発電の巨大な風車が見えてきた。
「範ちゃん、ちょっと寄り道して休憩しよう!」
私はクルマを右折させ、道道972号へと進んだ。この道は「萌える天北オロロンルート」と地図に記載されている。この先の幌延ビジターセンターで、ひと休みだ。
※
ここに立つと、地球は丸いのだと実感できる。私がトイレから戻ってくると、範子は北の方の空を見上げていた。
「宗谷岬って、あっちですよね」
「うん、ここから海沿いをノンストップで走ったら、1時間半くらい」
「最北端かあ。日本の北極だね」
その例えが可笑しくて、吹き出してしまった。
そして、範子の後ろ姿がたまらなく可愛くて、愛おしくて、仕方なくなった。
よし!このまま背後から抱きついてやる。
いつも、こっちがやられてるんだ。たまには逆襲しなきゃ。
「のーりこ!!」
そう声をかけながら、私は範子を後ろから抱きしめた。一瞬、ぎゅっと緊張した範子は、すぐに身体をこちらに預けてきた。その重みと温もりが心地いい。
「なんですかー?花子さん」
「範子が会社辞めたらさ。一緒に暮らそう!!」
その時、範子がどんな表情をしていたのか、彼女を背中から抱きしめていた私には、うかがい知ることはできなかった。
彼が彼女になった理由:了
※スピンオフ『鋼の愛馬に跨って』に、もう少しだけ続きます




