彼が彼女になった理由7:事実
とにかく事実の整理が必要だ。
気持ちはもう決まってる。ただ、うまく説明のつかない事実だけが、今の私のネックになっている。私の話すことを全部受け止めて、整理してくれる人物が必要だ。
こういった相談事をするのに、家族は適さない。距離感が近すぎる。
もちろん、職場の関係者は論外だ。相談どころか、一生知らなくたっていい。
利害関係がなく、ニュートラルに相談事を話せる存在。
その考えに至った時に、私の頭には、たった1人の存在しか思い浮かばなかった。
※
「えっと…どうしたの、花さん?」
家の近所のファミレスに呼び出された元カレ…大喜くんは、切羽詰まった私の表情を察して、まずはそう切り出した。
「ごめんね、大喜くん。付き合ってる時も散々、無理難題を吹っ掛けて困らせたことは反省してます。そのうえで、あなたのことを、もう少しだけ頼っていい?」
「そんなの、もういいよ。僕で出来ることなら協力するけど、一体なに?」
「順を追って話すけど、私もまだ全然、混乱してる真っ只中だから。意味が分からないところがあったら、その場で聞いてね」
「あ…そっか。そういうことね。ちょっと待って」
そう言うなり、大喜くんはバックパックの中からタブレット端末を引っ張り出してきた。そう、大喜くんはメモ代わりにタブレット端末を使う人だった。会議の時もそうだったし、取引先で案件のヒアリングをしている時もそうだった。
ここ数日で、これまでの私の記憶…鈴木 花子としての記憶が、今の人格に少しずつ統合されてきている。
この大喜くんは、以前に勤めていたIT系企業の後輩社員だった。私はWebデザイナー、大喜くんはWebエンジニア。付き合い始めたのは、在職中ではなかったけれど。
「よし、OK!花さん、どうぞ」
大喜くんの準備が整ったところで、私は昨年の年末から元日にかけて自分に起きた様々なことを、一気に伝えた。話をさえぎらずに、まずは最後まで話をさせてくれるところは、大喜くんの長所だと思う。こういった男性は、実はなかなか居ない。大抵は途中で話をさえぎって、結論を急がせようとする。
さらに大喜くんは、相槌を挟むのが異様に上手い。こちらが話している間は「うん」「なるほど」「そうだね」くらいしか話さない。あとは、こちらが言ったことの復唱。
「気が付いたら、自分が女性の身体になってたんだよね!」
「女性の身体になってたの?」
こんな感じ。だから、話しやすい。話しながら、自分の気持ちも整理できる。そうやって30分ほど喋り倒したところで、大喜くんに意見を求めた。
タブレット端末に書き綴ったメモを読み返しながら、おもむろに大喜くんは口を開いた。
「まず、これから話すことは、事実だけに絞って整理しようと思う」
「うん」
「わかる?花さんにとっての『真実』ではなく、誰が見ても客観的に認識できる『事実』だけを拾い上げて、整理するってことね」
「わかった」
「そうだねえ、そのうえで箇条書きにして抜き出していくと…」
そう言って、大喜くんはタブレット端末にスタイラスペンを走らせていく。
〇鈴木 花子は女性である
〇鈴木 花子は株式会社◎▽◇のヒューマンリソース部(通称HR部)でチーフ・キャリアアドバイザーをしている
〇鈴木 花子の実家は東京都下の×××市にあり、そこにはご両親が暮らしている
〇鈴木 花子には既婚の妹がいて、1歳半になる長男(甥っ子)がいる
〇鈴木 花子は公立◆◆◆中学を卒業し、都立◇◇◇高校を卒業している(卒業アルバムで確認済み)
「花さん…鈴木 花子さんについての客観的事実は、こんなところかな」
つい1週間ほど前までは、私はこの「鈴木 花子」を自分だとは思えなかった。だけど、今は違う。少しずつ、これは自分自身のことなのだと、自覚できるようになってきた。
「次は、もっと普遍的な事実について書くね。当たり前過ぎて『なに言ってるの?』と思うかもしれないけど、まあ、最後まで付き合って」
〇ヒトは生まれついての生物学的性別を、変えることはできない
〇ヒトの記憶は、失われたり、思い出せなくなったり、自分に都合よく改変されることがある
「意外と思うかもしれないけど、実はこっちの方が肝心な気がする。さて、ここから導き出される事実は、なんだろう?」
大喜くんはタブレット端末とスタイラスペンを置いて、私の方を見た。
「なんとなく想像できるけど、続けてもらっていい?」
「僕の口から言っていいんだね?」
「うん」
そこで大喜くんは姿勢を正し、一度深呼吸してから真っすぐに私を見た。
「まず、鈴木 花子さん。あなたが男性であったという事実は、どうやっても確認できない。あなたは生まれて以来、ご両親に育てられ、中学高校を卒業し、社会人となった今に至るまで、生物学的にずっと女性として生きてきた。事実を積み重ねると、そうとしか言えない」
「はい」
「変化が起きたのは、あなたの身体ではなく、記憶の方だったのではないかな?その方が圧倒的に辻褄が合う」
「男性としての私は、そもそも存在しなかった?」
「うん。だって、さっきも言った通り、ヒトは自然に性転換できないから。もちろん自然界には、そういう生き物もいるよ。有名な例で言うなら、例えばカクレクマノミとかね。でも、ヒトは違う。ある朝、目が覚めたら男性から女性になっていた、なんてことは絶対に起き得ない。ファンタジーでもない限りね」
そこで、大喜くんはすっかり冷めてしまった、ドリンクバーのコーヒーを口に運んだ。
「だとしたら、花さんの記憶の方が改変されたと考える方が、理に適っている。分かっているとは思うけど、これは何らかの悪の組織や、政府の秘密機関が、花さんが寝ている間に特殊な技術を使って記憶を操作した…とか言ってるわけじゃないよ?」
大喜くんが真顔でそう言ってくるので、思わず笑ってしまった。私も、そこまで中二病を拗らせているわけじゃない。
「あ、笑ってくれたね?ここは笑って欲しいところだったので、助かった。じゃ、話を進めるよ」
意図的に挟んできたのか。こういうモードに入った大喜くんは、普段の幼くて頼りない感じの彼とは別人だ。
「さて、人間の記憶と言うのは、実はけっこう当てにならない。その時見たもの、感じたことを明確に覚えているようでも、その後に起きたことによって、簡単に上書きされてしまったり、自分に都合よく改変されてしまったりする。しかも、その改変された記憶が、その人にとっての『真実』になるから、始末が悪い。ありもしなかった『真実』を、実際にあった『事実』として信じ続けている人も沢山いる」
「えっと、それはつまり…」
「もうちょっとだけ、続けるね。あんな言い方はしたけど、この本人による記憶の改変は、別に悪いことではないんだ。むしろ、その人の心を守るために、無意識のうちにやっていることが多い。生き物としての防衛本能に基づくものだから、『事実』を指摘することによって、その人が『真実』を信じられなくなった時の方が、むしろ怖い。だから、こうやって花さんのリアクションを見ながら、慎重に話を進めてる」
私は思わず唾を飲んだ。ここからが、本題なのだろう。
「そのうえで、また『事実』の確認に戻るね。花さんの、男性としての記憶が明確に残っているのは、去年の大晦日からだったように思う。雪が降って、行くはずだった買い物に行けなくなった、あの日。寝落ちして、目覚めたら元日の朝だったんだよね?」
「うん」
「ちなみに、元日の朝に会ったっていう、ショッピングモールで働いている友達は、実在するの?」
「本当にいるよ。あの後、モール内のお店で働いてる時に会ったし、『元日は大丈夫だった?』っていう話もされた」
「じゃ、これも『事実』確定だね。この時点で、花さんの人格が男性になってるのは、確実なように思う」
「そうかも」
「じゃあ、その男性としての人格は、いつ花さんの中に生まれたのか?僕がこれまで、花さんの話を聞いてきた中で、1日だけ記憶がすっぽり抜け落ちてると思った日がある」
「いつ?」
「去年の12月30日。仕事が終わらなくて、休日出勤をした29日の翌日。疲れ果てて1日中、寝てたって言ってたけど、それにしても大晦日の鮮明な記憶と比べて、不確かなことが多すぎる」
「疲れて1日ゴロゴロしてた日なんて、そんなもんじゃない?」
「じゃ、この日、目を覚ましたのは何時くらい?お昼近くになってから?それとも夕方まで寝ちゃってた?」
「ええと…」
「いくら疲れていると言っても、病気でもない限り人間は24時間ぶっ続けで眠るなんてことは、なかなか出来ない。ましてや、花さんはどっちかって言うとショートスリーパーでしょ?ちょっと寝ては起きだして…を繰り返すんなら分かるけど、丸1日ベッドの上で過ごすとは、考えにくい」
「よくご存じで」
「これでも、元カレですから」
つくづく、私は大喜くんに無防備なところを見せていたんだなあと思う。
「そうなると、さらにその前の日。12月29日に、何があったのか?という話になる。この日、花さんにとって何か心理的に大きな衝撃があって、そのことを自分の心の中で整理するために、翌日、殆ど記憶に残らない1日を過ごした…っていうなら、何もかも合点がいく気がする」
「29日に起きたこと…」
「そう。30日に花さんは、自分の心を守るために1日かけて記憶の整理をして、その次の日、つまり大晦日には男性としての人格が、花さんの中に出来上がっていた。これが、僕が導き出した憶測」
私が思い当たることといえば、一つしかない。去年の12月29日と言えば…
「思い当たることがあるんだね」
「うん」
「ちょっと、コーヒーのお代わりもらってきてもいい?」
そう言って、大喜くんはドリンクバーに行くために席を立った。
大喜くんに話した中で、意図的に避けていた話題があった。外越 範子のことだ。とてもセンシティブな話題だったし、その話題に触れなくても、整理はできると思っていた。
だけど、今回の出来事の核心は、そこだった。大喜くんに伝えるべきか、どうか。まだ迷っている。
「ちょっと、これ見てもらってもいい?」
ドリンクバーから戻ってきた大喜くんは、自分のスマホの画面に表示された写真を見せてきた。そこには、デスクの上に突っ伏して寝ている、髪の長い女性の後ろ姿が写っていた。
「え?ちょっと、これ!わたし!?なんて写真、持ってるのよ!」
「そう、花さん。前に、僕の部屋で二人で年越しをした時の写真。お酒に強い花さんが、珍しく酔いつぶれちゃったので、思わず撮っちゃったんだ」
「ちょっと、消しなさいよ!」
「これから消すよ。だけど、その前にこの写真の花さんの周りの様子をよく見て」
突っ伏した私の前には、スリープ状態になったノートPC。その横には、飲みかけのドリンクが入ったグラス。辺りの床には、乾きものやスナックの空き袋が散らかっている。
「この風景!!」
「さっき、花さんの話を聞いていて、元日の朝、目を覚ました時の部屋の様子に既視感を覚えたんだ。やけに鮮明に覚えているようだけど、でも、どっかで見たことあるなって。何のことはない、付き合ってた頃に僕が住んでた部屋のイメージだったよ。こんな風に、記憶っていうのは、時々いたずらをするんだ」
そう言うと、大喜くんは私の目の前で、その画像を削除した。
「これが僕の持ってる花さんの写真の、最後の1枚。あとは別れた時にちゃんと削除したから安心して。この写真は、後ろ姿だから誰だか分かんないし、住んでた部屋と街の思い出もあったから、とっておいただけ」
「あたしまだ、大喜くんに伝えてないことがある」
元カレだったら、聞きたくない話かもしれない。でも、ここまで話を聞いてもらって、黙っているのもフェアじゃない気がする。私は範子のことを、大喜くんに話した。
「なるほどなあ。そんなことがあったのか。そのうえで、これはあくまで僕の憶測だけど、話してもいい?」
「怖いような気もするけど、続けて」
「たぶん、花さんはその範子さんのことを、だいぶ前から好ましく思ってたんじゃないかな?僕は別に、女性が女性を恋愛対象として好きになったって、全然いいと思う。だけど、その時の花さんは、そうじゃなかった。範子さんを恋愛対象とするために、自分の中に男性としての人格を作り上げたんじゃないかな。まったく無意識のうちにね」
そこで大喜くんは2杯目のコーヒーを飲み干した。今度は、まだ温かいうちに飲み終えたみたいだ。
「今はもう、わかってるんでしょ?結局どっちの花さんも、範子さんのことが好きなんだって。だったら、早くそのことを範子さんに伝えて、安心させてあげたら?」
「なんか…なんて言っていいかわからないけど、大喜くん、ありがとう」
「今回のことは、花さんにとっては大問題だったかもしれないけど、周りから見ている分には、花さんはこれまで通り花さんだったし、今年に入ってからちょっとだけ挙動不審なところはあったけど、今はまた元の花さんに戻った。そう思われてるだけだと思うよ」
「うん」
「だから、お幸せにね」
「うん、ありがとう」
「せっかくのドリンクバーなんだし、僕はもう1杯くらい、飲み物をいただいていくから」
「じゃ、お先に」
テーブルの上にあったレシートを掴むと、私はレジに向かって歩き出した。このファミレスを出たら、新しい何かが始まるような気がする。自動ドアの向こうの世界が、私には輝いて見えた。




