彼が彼女になった理由6:告白
自分は今、場違いなところにいる。
ここは、銀座にほど近いビルの5階にある、お酒を提供するお店。
営業形態は、カウンター内で女性キャストが接客をする、いわゆるガールズバーだ。場所柄のせいか、客層は40〜50代くらいの落ち着いた男性が多い。女性の客は「鈴木 花子」ひとりだけ。
カウンター席に通されてしまったので、目の前で女性キャストたちが働いている。男性だった頃に、何度か付き合いでキャバクラや、ガールズバーに連れていかれたことはあるが、いずれも居心地の良いものではなかった。こういう場が好きな同僚もいるが、初対面の異性に接待されても、緊張して飲んだ気がしない。
ましてや、今の自分は女性の「鈴木 花子」だ。明らかに、この場で浮いている。供される飲み物は高そうだし、キャストの女性とは何を話していいか分からない。銀座の近くのお店と聞いていたので、小綺麗な服を着てきたのがせめてもの救いだ。それでも、この場にいる人たちの中では、一番安っぽいコーディネートだろう。
いくら外越 範子から熱心に誘われたとはいえ、やはり遠慮しておくべきだった。
※
「今度、銀座近くのお店でピアノ弾くんですけど、ぜひ花ちゃんに聞いて欲しいなあと思って」
そう、範子から声を掛けられたのは、2週間ほど前の昼休みだった。給湯室でお弁当箱を洗っていたら、いきなり背後から範子に抱きつかれた。
「ちょっ、ちょっ、ちょっ!いま洗い物してるんだから!」
泡だらけのスポンジをシンクですすぎ、洗い終えた弁当箱の水気を切ると、自分は範子の方に向き直る。すると、すぐ目の前に範子の整った顔があった。
「ひゃっ!近い、近い!」
この身体になって2カ月以上が経つというのに、未だに範子が近くに来るとドキドキする。
外見…つまり身体は女性だが、心は男性のままなので、イケメンに時めくといった経験は、今のところ全くない。むしろ、こっそり目で追ってしまうのは、圧倒的に可愛い女の子の方だ。
ただ、心が徐々に身体に慣れてきたのも事実で、女性と2人きりで話したり、軽いスキンシップをされたりするのは、何とも思わなくなってきた。女子トイレや、女子更衣室を利用することへの罪悪感も感じなくなった。この辺りは、慣れというよりも「鈴木 花子」の人格が、徐々に自分を侵食していっているのかもしれない。
いずれは自分の人格は、この「鈴木 花子」と完全に同化してしまうのだろうか。
慣れてきたと言っても、範子だけは別だった。男性だった頃からの憧れが、いつまで経っても消えない。近くに来られるとドキドキしてしまうし、今みたいにハグなんてされたら良からぬことを考えてしまう。間近で目が合うと、心の底から可愛いとしか思えなくなってしまう。
「で、いつ?」
心の動揺が、あまり表情や声に出ないのが、この「鈴木花子」の身体の良いところだ。
「来週の金曜日の夜。20時くらいから弾き始めるんだけど、30分のステージを休憩を挟んで2ステージやるから、終わるのは21時半か、22時近くになっちゃうかも」
「次の日休みだし、特に予定も入ってないから大丈夫!行くよ、範ちゃんのピアノ、聞いてみたい」
そう、この時点では気安くOKしていたのだ。まさか、お店がガールズバーとは知らずに。
※
店内に流れていたBGMがフェードアウトしていったかと思うと、店の中央に置かれたグランドピアノに、スポットライトが当たった
グランドピアノの前には、範子が座っていた。背中の開いた深いチェリーピンクのカクテルドレスを着ている。そのまま、流れるような指さばきで曲を弾き始めた。
曲はクラシック音楽だろうか。どこか聞き覚えのある旋律が奏でられている。もしかしたら、映画音楽かもしれない。
1曲終える度に範子は立ち上がって、周囲の客にお辞儀をし、また座って演奏をする。30分のステージは、あっという間だった。
「お飲み物、どうされますか?」
1stステージを見終えてボーッとしていたら、カウンターに立っていた小柄なキャストの女性が話しかけてきた。
「あ、ヒューガルデン・ホワイトで。お姉さんもいかがですか?」
「ありがとうございます。じゃ、同じものをいただきます」
自分とそう年齢の違わないキャストの女性を、お姉さんと呼ぶのも我ながらどうかと思ったが、他に相応しい呼び方も分からなかったので、お姉さんにしておいた。本当にこういうお店は、オーダーひとつにも気を遣う。
「花ちゃーん!来てくれてありがとう!!」
そこへ息を弾ませながら範子がやってきて、自分の隣のスツールに浅く腰をかけた。
「範ちゃん、いつも可愛いけど、今日はいちだんと綺麗!カクテルドレスのデザインも、色も似合ってるし、すごく大人っぽく見える」
同じ女性とは言え、背ばかり高くて貧相なやせ型の自分と比べ、範子は出るべきところはしっかり出ているメリハリのあるプロポーションをしている。男性からの人気が高いのは、何も顔がいいからだけではない。スタイルも良いのだ。
「いま演奏したのはクラシック?なんか聞いたことのあるメロディだったけど」
「うん、1stステージは、全部ラフマニノフの曲。交響曲第2番の第3楽章を、ピアノ独奏用に編曲したものだけど、難しいから緊張しちゃった」
「範子さんは、出身の音楽大学のピアノ科を、首席で卒業されたんですよね」
ドリンクを運んできた、先ほどの小柄なキャストの女性が、そう話しかけてきた。
「恥ずかしいから、言わなくていいって!うちの大学のピアノ科の首席が、この程度の演奏かって思われちゃう」
範子が音楽大学出身とは知っていたが、ピアノ科を首席で卒業したという事実は知らなかった。以前は幼稚園教諭をやっていたというから、演奏家ではなく教育者を目指していたのかと思っていた。
「ちなみに、こちらの千穂ちゃんは運動神経抜群で、ドラマとか、映画とかに沢山出てるんですよ」
「って言っても、スタントとしてですけどね。おかげで生傷が絶えず、いつもこんな服装です」
そう言えば、他の女性キャストはふわっとしたワンピースや、ブラウスにスカートといったフェミニンな服装なのに、この女性キャストだけはタキシードにブラックタイ姿だった。
「しょっちゅう痣とか、擦り傷とか作ってるから、千穂ちゃんは肌の露出がNGなの」
「これで背が高かったら、男性スタッフと間違われるところでした。ドリンク、いただきます」
そう言ってグラスに注いだヒューガルデン・ホワイトに口をつけた。
「2ndステージは、オール・ドビュッシー・プログラムだから、くつろいでってね」
そう言って、範子はまたグランドピアノの方に戻っていった。
※
「遅くまでつき合わせちゃって、ごめんなさい。気合入れて練習してきたので、どうしても花ちゃんに聞いてもらいたくて、無理言っちゃった」
「全然、全然!グランドピアノの生演奏なんて、久しぶりに聞いた。聞いたことのある曲が多かったから、全部クラシックだなんて思わなかった」
「CMに使われたり、編曲して映画音楽として使われたりとかしてるから、意識してないだけでクラシックの曲って、結構みんな聞いてるんでだよね」
「そうなんだね」
都内の皇居にほど近い場所にあるビルの2階。通りに面したカフェバーのカウンター席に、範子と並んで腰かけている。目の前には、グラスに入ったワインが置かれていた。
2ndステージが終わったあと、範子から
「すぐに着替えて来るから、このあと飲みに行こう!」
と誘われて案内されたのが、このお店だった。時刻は、夜の10時過ぎ。お店は既に閉店しており、殆どの照明が消えた店内には範子と自分しかいない。カウンターの一部にだけダウンライトが灯っている。
入店する時もスタッフ専用の入口から、範子が鍵を開けて入ったのだった。
「大丈夫なの?」
「うん、パパのやってるうちのお店だから。ちゃんと、許可ももらってるし」
範子はいたずらっぽく微笑みながら、そう答えた。
「さっきのお店のオーナーも、パパの昔からの知り合いで。あたしは、クラシックを演奏するプログラムの時にたまに呼ばれて、今日みたいにピアノソロで演奏したり、声楽家の人の伴奏をしたりしてるんです」
「すごいねえ!うちの会社で働きながら、そんなことをしてるなんて、初めて知ったよ」
「会社には内緒にしておいてください。ギャラもいただいているんですが、会社に言ったら面倒くさいことになりそうで」
「ああー、うん。なるだろうね、たぶん」
思わず総務・管理課の平倉里美の顔を思い浮かべてしまった。彼女も松井主任に負けず劣らず、コンプライアンスに目を光らせている人間だった。
「花ちゃん、そろそろ本題に入っていい?」
さっきまでの笑顔が消え、真顔になった範子が、そう切り出してきた。
「え?本題って?範ちゃん、わたしに相談事?」
範子の真顔が緩んで、くしゃっとした笑顔になる。
「花ちゃん、去年の仕事納めのあと、仕事が終わらなくて休日出勤した日のこと、覚えてます?」
「え?ああ、うん。舐めてかかってたら、なかなか終わらなくて、結局帰りが遅くなっちゃったんだよね」
「仕事を納めた後、あたしと飲んで帰ったことも?」
「え?あれ、そうだったっけ?でも、確かに言われてみれば、『こんなん、やってられるかー!』って、帰りに誰かと飲んで帰ったような気が…」
「じゃ、2人で軽く飲んだ後、あたしが帰り際に、花ちゃんに『好きです』って告白したことは?」
「えっと…ええええ?」
「そっかあ…勇気を振り絞って、お伝えしたんですけどね」
告白された?自分が!?外越 紀子に!?
ちょっと待って!その時の自分の性別は?
いや、でもさっき、範子は『花ちゃんに』って言ってた!?
「ごめん、範ちゃん。無粋なのを承知で、敢えて聞くけど…」
「あ、あたし男性も、女性もイケるんですよ。今は、同じ職場の先輩の、鈴木 花子さんに焦がれてるんです」
なんてこった!そんなの今の今まで知らなかった。いや、この「鈴木 花子」に告白されたということは、少なくとも鈴木 花子は、その事実は知っていたはずだ。それが、なぜ自分に共有されてこなかった!?
「花ちゃん、その時になんて答えてくれたか、この感じだと多分、覚えてないよね?」
「ごめん。去年の年末の29日と30日は、疲れ果てて、あんまり記憶がなくって」
「『あたしが男だったら良かったのに』って、そう答えてくれたの。それから、その言葉の意味をずーっと考えてた。迷惑なのかとも思ったけど、ハッキリと拒絶されない限り、あたしの気持ちは変わらないなとも思っていて…」
気が付けば、沈黙が続いていた。範子はうつむいて、空になったカウンターのワイングラスを見つめている。
ここは、どう振舞うのが正解なのか?あまりにも非日常的な状況過ぎて、自分がなすべき正しい行動・言動が思い浮かばない。
ただ、この場においての自分が一番大切にしたいことは、ただ一つ。
絶対に、範子を傷つけたくない。
「あのね、範ちゃん」
気が付けば、率直な自分…「鈴木 花子」の思いが、口をついて出ていた。
「あたしも、範ちゃんのことが大好き。近くに来られるだけでドキドキするし、その可愛い顔で見つめられると、もうたまんない。抱きつかれるのとか、本当に勘弁して!って思う。心臓が爆発しそうになるし、申し訳ないけど、すごくムラムラしちゃう」
ここまで一気に話してしまった。
「あたしの気持ちは、いま言った通り。もう決まってる。だからこそ、ほんの少しだけ時間をもらっていい?2週間後には、ちゃんとした答えを伝えるから」
次は、慎重に言葉を選ぶように伝えた。ちょうど照明の陰に隠れてしまった範子の表情は、よく読み取れない。勢い余って、さらに言葉を続ける。
「もちろん、それは範ちゃんが、期待してくれているような答えになると思う。だけど、一つだけ自分の中で、解決しなきゃいけない問題があるの。あくまで、自分の心の問題だから、心配しないで。それさえ片付けば、今よりもっとハッキリと、素直に自分の気持ちを伝えられると思う」
いま範子と視線を合わせる勇気はなかった。
カウンターに置いた私の手に、範子は何も言わずに自分の手を重ねてきた。
その温もりは、いつまでもこの席を立ち難いと思うほどに心地良かった。




