彼が彼女になった理由4:変調
お腹が痛い。
お腹が痛い。
お腹が痛い。
お腹が痛い。
お腹が痛くて動けない。
今日は可燃ゴミの回収日だったので、先ほど死ぬ思いでゴミ袋をマンションの集積所に出してきた。這うようにノロノロとしか歩けないので、たかがゴミ出しだというのに、すごく時間がかかった。
ゴミ出しから戻るなりベッドに倒れこむと、もう動けなかった。お腹を抱えて、ベッドの上で丸くなる。会社には先ほど、「今日は休みます」と連絡を入れた。
生まれて初めて経験する生理痛。個人差が大きいとは聞いていたが、ここまで苛烈に痛むとは…。今は何をする気も起きないし、何もできない。このままベッドから出ずに、1日じっとしていたい。
痛むお腹を抱えながら、夢と現を行き来すること1時間余り。不意にインターホンのチャイムが鳴った。
「無理…きっつい!動けない!!」
こんな平日の日中に、いったい誰だ?宅配便?今月はネット通販で何も買ってないし、何かが届くというメール通知もなかったはず。
応対しなければ、すぐに諦めてくれると思っていたが、インターホンのチャイムはしつこく鳴り続けた。
「今は無理ぃ…さっさと諦めてよぉ」
そう思っていると、やっとチャイムが鳴りやんだ。
次の瞬間、ガチャッと玄関のドアが開く音がした。
え?え?どうして?
もしかして、さっきゴミ出しに出た後、鍵をかけ忘れた?
このコンディションでなら、あり得るかもしれない。
どうしよう、どうしよう!誰か部屋に入ってくる!
「おーい!花さん、大丈夫?」
寝室の扉が開き、その隙間から若い男性が顔を出した。
「誰!?」
驚きのあまり、大きな声を出す。
「誰!?って、LINEで呼ばれたから来たんだけど」
ベッドの傍らに置いてあるスマートフォンを、飛び起きるように手に取って確かめる。
アプリを開くと、確かに以下のようなメッセージを送信されていた。
>>お腹が痛くて動けない
>>助けて
送信先の名前は…
「おおよろこび!?」
「何言ってんの、おおき(大喜)だよ!」
そう言いながら、大喜と名乗ったその若い男性は、寝室に入ってきた。
「ええ、ヤダ!ちょっと、ちょっと何!?」
「たぶん、生理痛が酷くて動けないんだろうなあと思って通話したら、『殺人現場みたいになってる』なんて言うからさ。慌てて来てみれば、やっぱりだ」
そう言いながら、大喜くんは両手に抱えたコンビニの買い物袋のうちの一つを床におろした。
「ちょっと待ってて」
そう言って寝室を出ていくと何やらキッチンの方から、ガサゴソと物音が聞こえてきた。
「ちょっと、人んちのキッチンで勝手に何やってんのよ!」
精一杯の大声を出すも、ベッドからは起き上がれない。
しばらくすると大喜くんは、何やらタオルに包んだ物を抱えて戻ってきた。
「はい、湯たんぽ。これ抱えて、じっとしてたら少しは痛みが和らぐから」
そう言ってタオルにくるんだ、じんわりと温かい湯たんぽを差し出してきた。
「…ありがとう」
かすれる声で湯たんぽを受け取ると、お腹の辺りにあてがった。ホッとするような温もりが、お腹から全身に広がってゆく。
「あと、これ。ショコラBB。きっと口内炎も酷いんじゃないかと思って買ってきたんだけど、ここに置いとくね。ゼリー飲料も持ってきたけど、いま飲む?それとも、冷蔵庫にしまっておく?」
「いま飲む」
「あい」
大喜くんは、今度はゼリー飲料を手渡してくれた。幸いなことに、常温に戻してある。
口内炎がひどくて、朝から何も食べる気になれなかったので、ゼリー飲料でショコラBBを飲み下す。
「呼ばれたから来たのに、インターホン鳴らしても出てくれないしさ。玄関の鍵が、たまたま開いてて良かった。でなきゃ、玄関のドアノブにぶら下げて、そのまま帰るとこだった」
ベッドに横たわりながら、大喜くんの姿をまじまじと見る。色白で大人しそうな感じの青年だ、年齢は、自分よりも少し若いくらいだろうか?
「ところで、あたしたちって…」
「ああ、大丈夫!ヨリを戻す気なんて、全然ないから。助けを求められたから、心配になって見に来ただけ」
ということは、「鈴木 花子」はこの大喜くんと付き合っていたというわけか。
「じゃあさ、身体の関係も…」
「このタイミングで、なんて話をするんだよぉ!真面目に心配して来たんだぜ!」
少し慌てた様子で、大喜くんは顔を赤らめながらそう答えた。
そうか、そういう関係だったんだ、「鈴木 花子」は。この大喜くんと。彼の様子を見て、そう確信した。
「生理になると、いつも大変そうだったもんなあ。1度なんか、ベッドの上で『お腹痛い!お腹痛い!お腹痛い!』って連呼しながら、壁を蹴ってたんだぜ。それで、今どう?」
湯たんぽでお腹周りが温まったせいか、痛みは少し和らいだ。
「この家、1個しか湯たんぽないんだもん。新しいお湯を入れてくるから、ちょっと貸して」
布団の中からタオルにくるんだ湯たんぽを差し出すと、大喜くんはまたキッチンに向かった。そして、新しいお湯を入れた湯たんぽを抱えて戻ってくる。
「もう1個、予備で湯たんぽ買った方がいいよ。高いものじゃないんだし」
「あたしって、いつもこんな風に迷惑かけてた?」
「別に迷惑じゃないよ。女の人って、大変だなあとは思ったけど」
「本当にね…」
自分も女性の身体になってみて、初めてわかった。気温、気圧、ホルモンバランス、その全てが日々のコンディションに直結する。体調が絶好調な時なんて、1か月に何日もないんじゃないのか?と思った。
「でも、僕は花さんが彼女になってくれたことには感謝してるんだ。彼女持ちや、既婚者の言っていることが、少しは理解できるようになったから」
「例えば?」
「女性の『時間のある時にお願い!』は、今すぐやって欲しいってこと、だとかね」
そう言って、大喜くんはニヤリと笑った。童顔だとは思ったが、笑うとさらに幼い感じになる。
「さて、と。仕事を抜け出してきたから、僕はそろそろ戻るよ。常温の方が飲みやすいみたいだから、残りのゼリー飲料は、ここに置いておくね。あと、部屋の鍵を貸してくれる?外から施錠したら、玄関の郵便受けに入れておく」
そう言って、鍵を預かると大喜くんは寝室から出ていった。
間もなく玄関のドアの鍵がかかる音がして、その直後に郵便受けに鍵が投げ込まれる音が聞こえてきた。
「あれが、鈴木 花子の元カレ…か」
頭では理解できても、自分があの大喜くんと付き合っていたという実感は、まるで湧かない。いい人なのはわかるが、男性と肌を合わせたことがあるなんて、今は想像したくもない。
まだ温もりの残る湯たんぽを抱えながら、そのままウトウトと眠り込んでしまった。
※
>>今日、仕事をお休みしてましたが、大丈夫ですか?
目を覚ますと、スマートフォンにそんなメッセージが届いていた。
外越 範子からだ。
>>病気とかじゃないから大丈夫。
>>生理痛がひどくて、動けなかっただけ。
そう返信したら、すぐに電話がかかってきた。
「動けないほどの生理痛って、花ちゃんそれ、全然大丈夫じゃないよ!」
通話がつながると、いかにも心配そうな範子の声がスピーカーから聞こえてきた。
「ああ、うん。でも、あたし昔から生理痛、重めなの。慣れてるから」
無意識に口から突いて出た言葉だが、きっとこの鈴木 花子という人はそうだったのだろう。大喜くんと付き合っていた頃もそうだったみたいだし。
「ご飯とかちゃんと食べれてる?買い物とかも行けないんじゃないの?」
「ああ、うん大丈夫。心配した友達が、様子を見に来てくれた。これまで何度も、その子にお世話になってたから、すぐに察して来てくれたみたい」
さすがに、元カレが…とは言えなかった。大喜くんと付き合っていたのは事実かもしれないけど、自覚がないことを自分のこととしては、話せない。
「明日は出勤できそうだから、詳しい話はその時にね。わざわざ電話してくれて、ありがとう」
「うん、わかった。じゃ、また明日、会社でね」
まだ何か言いたそうな気配は感じたが、電話が長くなるのも悪いと思ったのだろう。少し言葉を濁すような感じで、範子からの電話は切れた。
範子との会話も、だいぶ自然に交わせるようになった。最初は、かつての自分が抱いていた彼女のイメージのせいで気後れして、まともに顔を見ながら話せなかったのだが、今は自分でもやや馴れ馴れしいと思うほどに、普通に会話ができるようになった。
今の自分は、いったい何なのだろうと思う。去年の大晦日までは、確かに自分は男性として生きていた。人材紹介会社の営業部に勤務していて、トップではないものの、そこそこの成績は上げていた。実家には両親がいて、3つ下の妹は既婚者で一昨年、長男を出産したばかりだ。
逆に、この鈴木 花子のことは、何も知らない。たまたま、同じ会社の別の部署に勤務していて、共通の上司や同僚もいるけれど、肝心の鈴木 花子本人のことは何もわからない。
「名前…」
そうだ、名前。自分が男性だった時の名前は何と言うのだろう?
そこで、愕然とする。
かつての自分の名前が、どうしても思い出せない。これまで慣れ親しんできた自分の名前が今、どうしても思い出せないのだ。
名前さえわかれば、かつての自分について調べることができる。総務・管理部の平倉 里美に、かつてそういった社員が在籍していたことがなかったか、調べてもらえる。
どうすればいい?
この部屋を探しても無駄だ。この部屋は、鈴木 花子の部屋だ。男性だった頃の自分の痕跡なんて見つかるはずがない。
会社は…とっくに調べた。始業前にこっそり、記憶にある自分のデスクがあった場所に向かったのだが、そこは来客用の打ち合わせスペースになっていて、営業部のデスクですらなかった。
あとは…
「やっぱり、実家か」
実家の場所は覚えている。住所もわかる。ただ、今そこにあるのは、本当に自分の実家なのか?については、いささか自信がない。元日、自分の部屋に戻ってきたのだと思ったら、そこが鈴木 花子の部屋になっていたのと同じことが、実家についても起きる可能性がある。
よしんば、そこが本当に記憶にある通りの自分の実家だとしても、見知らぬ女が突然訪ねてきたら、どう思うだろうか?かつての自分と、この鈴木 花子との関係を、どのように説明すればいいだろう?
そんなことを考えていたら、頭が痛くなってきた。ダメだ。考え過ぎても仕方ない。
とにもかくにも今度の週末、実家に行ってみよう。どうするかは、その時の状況次第で考えよう。
生理痛は、身もだえていた今朝よりも、かなり軽くなっていた。範子に伝えた通り、明日は普通に出勤できそうだ。
小鹿のように潤んだ目をした、範子のことを思い浮かべながら、また眠りについた。




