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彼が彼女になった理由  作者: 湖上リフィア


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3/8

彼が彼女になった理由3:出社

「おい、どこへ行くんだ?花さんのデスクはこっちだぞ」


社員証をかざして入口のロックを解除するのは、問題なくできた。その後、記憶にある自分のデスクに向かおうとしたところで、声をかけられた。


声をかけてきたのは3ピースのスーツに、眼鏡をかけた細身の男性だった。ヒューマンリソース部、通称HR部の松井主任だ。この男のことは覚えている。


異様にコンプライアンスにうるさく、契約書の内容を一字一句に至るまで細かくチェックして、少しでも内規に抵触しそうな箇所があると指摘してくるタイプの男だった。こちらからすれば、せっかく取ってきた契約にケチをつけられたようで、あまり良い気はしない。


いや、正直、この男:松井主任のことを、かつての自分は嫌っていたように思う。


今や「鈴木 花子」となった自分が勤めていたのは、中堅の人材紹介会社だった。人材紹介会社は、正式には有料職業紹介業と言い、いわば民間のハローワークみたいな機関だ。


仕事を探している求職者(キャンディデイトと呼んだりもする)と、人材を探している企業をマッチングさせ、紹介した人材が採用に至ったら、求人していた企業から成功報酬をいただくことでビジネスが成立している。


社内には求職者の対応を行うヒューマンリソース部(通称HR部)と、企業の対応を行う営業部があり、記憶にある限り、かつて男性だった頃の自分は、営業部に所属していた。


それが、HR部の松井主任に話しかけられたということは、もしかしてこの「鈴木 花子」はHR部に所属しているのか…?


「主任、部下を名前で呼ぶんですね」


真っ先に口から出たのは、自分でも意外な言葉だった。


「うちの部署だけで何人、鈴木さんがいると思ってるんだ。3人だぞ。前に入社順に、鈴木Aさん、Bさん、Cさんと呼ぼうとしたら、猛反発したじゃないか」


「当たり前じゃないですか。アルファベットで呼ばれるのなんて、容疑者か、被害者くらいですよ」


記憶の中では、神妙な顔をして契約書のチェックを受ける時くらいしか話す機会のなかった松井主任と、当たり前にごく自然なやり取りが出来ている自分が不思議だった。


「9時半から大会議室で新年最初の全体朝礼だから、3分前までには着席してるように」


「わかりました。ほかの子にも言っておきます」


HR部のスタッフは圧倒的に女性が多い。求職者に寄り添って話を聴くスキルは、女性の方が優れていることが多い。そのせいもあって適性で判断すると、どうしてもスタッフは女性が多くなる。さっきは自然と言葉が口をついて出たが、どうやらこの「鈴木 花子」は、HR部の女性スタッフを束ねるようなポジションにいるらしい。


HR部のあるオフィスの一角に行くと、直感的に自分のデスクがわかった。


HR部のデスクのある一角は、女性スタッフが多いこともあり、好きなキャラクターのぬいぐるみだったり、推しのアイドルのアクリルスタンドだったりと、各々が可愛いと感じるもの、好きなもので「祭壇」をデスクに作り上げていることが多い。社内の中でも、一種異様な雰囲気に包まれているのが、HR部のスタッフのデスクだった。


その中に唯一、飾り気のない…率直に言えば、殺風景なデスクがある。


「きっと、あそこだな」


オフィスチェアに座り、バッグをデスクの最下段の引き出しにしまうと、今度は一番上の引き出しを開けてみる。そこには思った通り「鈴木 花子」と記載された名刺の束が入っていた。肩書は、チーフ・キャリアアドバイザーとなっている。果たして、こんな人がHR部にいただろうか?男性だった時の記憶を振り絞ってみても、思い出せない。


始業時間の9時が近づくにつれ、出社してきたHR部の女性スタッフたちが集まってくる。その殆どが面識もあって名前のわかる人物であることに、少し安心する。


「皆さん、新年あけましておめでとうございます。9時半から大会議室で全体朝礼があるので、遅くとも3分前までには着席しておくようにしてください。大会議室では、前から順に詰めて着席してね」


チーフである自分は、なるべく前の方に座らなくてはならない。他のスタッフに伝えるべきことを伝えたら、早めに大会議室に向かうことにした。


※


新年最初の朝礼で、社長をはじめとする経営陣の訓示を聞いた後、この会社では社員全員で近所の神社まで初詣をするのが慣例になっている。お参りが終わったらいったん現地解散となり、近くのお店でお昼を食べてから会社に戻る社員もいれば、早々に帰社して業務にあたる社員もいるといった感じで、自由行動になる。


HR部のスタッフたちは、それぞれ仲の良い数人のグループに分かれ、お昼を食べに周辺の飲食店に散っていった。自分は一足先に帰社して、「鈴木 花子」の抱えている業務を確認しようと、神社を出たところでいきなり背後から抱きつかれた。


「花ちゃーん!あけましておめでとうございます!!」


甘ったるい声とともに、いい匂いのする何か柔らかいものが、背中から自分の痩せた身体を抱きしめている。


恐る恐る振り向くと、そこには営業部の外越(とごし) 範子(のりこ)がいた。


この子なら知ってる、かつて男性だった頃に、同じ営業部に中途入社してきた後輩の女性社員だ。音楽大学出身で元・幼稚園教諭という、この業界では異色のキャリアの持ち主だった。


そして、何よりも先輩社員たちの目を惹いたのは、そのアイドル並みの可愛いルックスだった。流行りのK-POP風な格好良い&可愛い系のアイドルではなく、昔ながらの正統派のアイドル路線のルックスは、すぐに年齢を問わず男性社員からの圧倒的支持を得た。


当初は人当たりの良さを買われ、キャリアアドバイザーとしてHR部に配属されたものの、面談に来た男性求職者がなかなか帰ろうとしなかったり、彼女が担当になった男性求職者が、用もないのに頻繁に電話をかけてきたりと、程なく業務に支障を来すようになったため、2カ月ほどで営業部に異動になった。異動の辞令が発表された時、営業部の男性陣が色めき立ったのは、言うまでもない。


営業部に異動してきてからは、それまで誰も見抜けなかった持ち前の負けず嫌い精神を発揮し、瞬く間にトップセールスの仲間入りをした。それまで、彼女と同じオフィスで働けると呑気に喜んでいた営業部の男性社員たちは、目の色を変えて彼女の売り上げを追いかける羽目になった。


営業部での歓迎会の時、若手の男性社員が


「僕も幼稚園で、外越さんみたいな先生に教わりたかったなあ!」と言ったら、


「私、聞き分けがなかったり、無礼な男の子には厳しいですよ。一度、いきなり私の胸を掴んできた男の子の園児がいたんですけど、園長に見えないところで、オシッコ漏らすまでビビらせたことがあります」


と、天使のような満面の笑みで答えたことは、営業部員たちの間で語り草になっている。


で、その社内のアイドル:外越 紀子が、なぜ自分…つまり、HR部の「鈴木 花子」に親しげに抱きついてきたのかが、皆目見当がつかない。かつて、男性として営業部にいた頃だって、さほど親しくしていたわけでもなかったのに。


「ああ、外越さん。明けましておめでとう。年末年始、元気にしてた?」


反射的にそう答えたら、範子は一瞬だけ目を見開き、身体が固まった。


「ええ、どうしてですかー?いつも『範ちゃん』って呼んでくれてたのにー」


「ああ、ごめん、ごめん!新年だし、なんかかしこまっちゃって、つい。で、元気にしてたの?範ちゃんは」


範ちゃん!まさか、こんな風に自分が外越 紀子のことを呼ぶ日が来るとは、想像だにしなかった。入社してきた時から可愛いとは思っていたし、彼女が営業部に異動してきてから、会議の席で目の前に座られたりすると、思わず見とれてしまうこともあった。


ただ、自分とは別世界の人間だと思っていたし、客観的に見ても同じ部署の単なる先輩・後輩という間柄に過ぎないので、それ以上の期待はしなかった。


事実、範子は社交的でコミュニケーション能力も高いが、男女を問わず、ある一線から先は絶対に踏み込ませない、頑としたところがあった。


その彼女が、どうしてこの「鈴木 花子」に、ここまで親し気に接してくるのか?そもそも、範子が社内の人間にハグする姿など、いくら女性同士であったとしても、見たことはなかった。


「あんた、いったい何者なんだ?鈴木 花子」


あらためて、そう思わざるを得なかった。


「花ちゃん、このあとはどうするんですか?」


「いったん社に戻ろうと思って。どうせ、4時から社内で新年会でしょ?ケータリングで食べ物も出るんだから、お昼は食べなくても大丈夫かなって」


「空きっ腹でお酒飲んだら、酔っぱらいますよー」


「せっかく飲むんだから、酔わなきゃ勿体ないじゃん」


「じゃ、私も一緒に帰社しまーす」


そんなわけで、自分は範子と並んで会社に戻ることになった。


「花ちゃんは、この年末年始どうしてたんですか?」


「年末は結局、仕事が終わんなくて、29日も出勤しちゃったじゃん。だから、年の暮れは疲れ果てて、ずっと寝てた。で、正月はずっと部屋に引き籠ってた」


「なんですか、それー!じゃ、どこにも行かずに、ずっと部屋にいたってことですか」


「そうですよう。アラサーの干物女ですよう、あたくしは」


そう返すと、範子は屈託のない笑顔をこちらに返してくる。


まずい。とても、可愛い。女性の身体になってなお、そう思える。この身体になって5日目。少しずつ女性であることにも慣れてはきたが、相変わらず心は男性のままだ。イケメンに興味はないが、可愛い女の子には心惹かれてしまう。


「じゃ、また新年会で」


会社に戻ると範子と別れ、自分のデスクに向かった。PCを立ち上げ、メーラーを開くと取引先からの年賀メールや、求職者の登録面談のスケジュール調整メールが溜まっていたので、1件ずつ対応する。念のため迷惑メールのフォルダも確認したが、結構な数のフィッシングメールが仕分けされていた。


最近は会社のメールサーバーのセキュリティも上がり、こういったメールが届く機会はグッと減ったが、それでもこれだけの迷惑メールをメーラーで受信している。情報システム部から年度内にもう1段階、セキュリティをレベルアップすると聞いているので、今後は迷惑メールフォルダに仕分けされるフィッシングメールも減るだろう。


続いて、HR部のキャリアアドバイザーたちの面談スケジュールを確認する。1月の求職者の登録面談は、既に3週目まで埋まっており、年末に転職の検討を始めた人が多いことを実感する。年末年始とは将来について、いろいろと考える時期でもあるのだ。


そんなことをしていたら、あっという間に15時半になっていた。例年、仕事始めの日に社内で行う新年会は、総務・管理部の社員が中心になって準備をするが、急ぎの仕事がないのであれば、自分も手伝いに行った方がいいだろう。


長テーブルを使って島を作り、ケータリングの寿司やピザを並べ、飲み物と紙コップ、取り皿を置いてゆく。会場のエントランスホールに行ったら、既にピザやフライドチキンの匂いが漂い始めていた。


総務・管理部の中堅の女子社員が、集まり始めた若手の社員数人にテキパキと指示を出していた。


「山本くん、奥のテーブルにビールと酎ハイ並べて。石川さん、90リットルのゴミ袋広げて、可燃ゴミ・資源ゴミって書いた札を貼っておいてくれる」


総務・管理部の平倉 里美さんだ。まだ20代の後半くらいだが、社歴は自分よりも長い。総務・管理部は、他には50代以上の男性しかおらず、事実上、彼女が実務的なことを仕切っている。


「ねえ、平倉さん」


忙しそうに仕切っている彼女に、恐る恐る声をかけた。


「はいはい、なーに?」


「わたしの社歴って、今年で何年目でしたっけ?」


「ええ、なにを今さら?どうしたの?3月末で、丸5年でしょ」


「ああ、そうでした。準備で忙しい時にごめんねえ」


自分の記憶通りだ。この記憶が確かなら、自分は新卒で就職したIT系の企業で、Webデザイナーとして2年半ほど働いた。稼げると聞いて選んだWebデザイナーの仕事だが、それはすり減らした心身と引き換えに手に入る報酬だった。2年半で、心と身体が限界を迎え退職。4か月弱の転職活動を経て、この会社に転職したのだった。


この記憶は、たぶん合ってる。


とにかく、今は自分の中に残ってる記憶と、この「鈴木 花子」がどんな人物で、どんな経歴を辿ってきたのかについて、答え合わせをする必要がある。不思議なことに、仕事については記憶に頼らなくても、身体の方で覚えているようで、次にやるべきことが、考えなくても理解できた。


ここ数年、帰省を避けていた実家にも行ってみる必要がありそうだ。それが、自分の記憶にある通りの実家であるならば、だが。


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