本編再開6 読み合い
郁佳は知っている。
結女がにっこりと笑う。
こいつがこういう顔をするとき。
だいたい。
誰かが酷い目に遭う。
「はるちゃんー」
「ん?」
「ちょっとお願いがあるんだけどー」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないわよー?」
「その顔でお願いって言われたら、だいたいろくでもないことだから!」
「大丈夫ー。簡単よー」
「何?」
「猫ちゃん、褒めてあげてー」
「…………」
遥が。
左翼後方から犬伏恋ぬを見る。
黒いマント。
黒い防護具。
黒い猫耳。
本人は至って真剣である。
「……どこを?」
遥も大概酷い。
「全部ー」
「雑!」
「特に猫耳ー」
ぴくっ。
「今動いた!」
「動いてません!」
「いや絶対動いたって!」
「風です!」
「さっき無風だったじゃん!」
「局地的な風です!」
「猫耳だけに!?」
「そうです!」
「認めた!」
「認めてません!!」
恋ぬの顔が赤くなる。
その様子を。
結女はにこにこと眺めていた。
「……結女?」
「なあにー?」
「すっごく悪い顔してるよ」
「あらー?」
「それで誤魔化せてないからね?」
郁佳がため息をついた。
「ブラックキャット!」
菅田の声が飛ぶ。
恋ぬが。
はっと顔を上げた。
「遊ぶな!」
「遊んでません!」
「ならば任務を遂行しろ!」
「言われなくても!」
恋ぬが剣を構える。
直属部隊の一人騎馬五騎を連れて、
瀬戸際右翼。
結女が意図的に作った窪みへ。
斥候役である。
一歩。
踏み込んだ。
来たわねー。
結女がほくそ笑む。
「右翼、そのままー」
「え?」
「まだ閉じないでー」
右翼可変部。
和音が結女を見る。
だが、動かない。
「了解」
恋ぬがさらに前へ。
先頭の一騎、恋ぬが完全に。
鶴翼の内側へ入った。
「結女ちゃん!?」
「まだー」
「もう中だよ!」
「うんー」
「うんじゃなくて!」
恋ぬも。
気づいてはいた。
罠。
明らかに罠。
……なのだが。
「…………」
周囲を見る。
よしおは。
動かない。
和音も。
動かない。
中央右寄りの瑠衣も。
自分へ寄ってこない。
調子に乗ってしまった。
「……ふ」
恋ぬが笑った。
「恐れましたか」
「え?」
「我が漆黒の爪を前に、翼を閉じることすらできないとは」
「いや」
「哀れですね」
「ちが――」
「ならば!」
恋ぬが剣を掲げる。
「このままあなたたちの深奥、黒姫の喉元まで——」
「猫ちゃんー」
結女が呼んだ。間の抜けた、間延びした声で。
「……っ!? 猫ではありません!」
絶妙なタイミングで気勢を削がれ、ずっこけそうになる恋ぬ。
「ブラックキャット、なんでしょー?」
「それは二つ名です!」
「犬なのにー?」
「犬伏は名字です!!」
「恋ぬちゃんー」
「なんですか!」
ちょっとイラッとしちゃう恋ぬ。
「もうちょっと前に来てー」
「…………」
一瞬。
恋ぬが固まった。
「……何故です?」
「遠いからー」
「は?」
「猫耳が見えにくいのー」
「…………」
ぴく。
「動いた!」
「動いてません!!」
遥が左翼後方から指を差す。
「今度は絶対動いた!」
「動いてません!」
「じゃあそれ何でできてるの!?」
「企業秘密です!」
「自作!?」
「違います!」
「買ったの!?」
「そこはどうでもいいでしょう!!」
「恋ぬ!」
「……っ!」
菅田の声。
恋ぬが我に返る。
完全に遊ばれていた。
「くっ……!」
歯を食いしばる。
そして。
遥を睨んだ。
「貴女……!」
「私!?」
「そこまで言うのなら!」
「何も言ってない!」
「このブラックキャット自ら、あなたたちの総大将の首を獲って差し上げます!」
「なんで!?」
恋ぬがさらに前へ。
一歩。
二歩。
「結女!」
「まだー」
「もう完全に射程に入ってるよ!?」
「あとちょっとー」
「何のあとちょっと!?」
恋ぬが。
右翼の窪みを抜けた。
その瞬間。
「――今ー」
結女の声が落ちた。
「重音先輩ー」
「おう!」
「閉めてー」
「待っていた!」
右翼可変部。
和音率いる騎馬が。
動いた。
それまで外へ開いていた翼の一部が。
内側へ。
ぐるりと折れる。
同時に。
下がっていた三騎が翼端へと移った。
「っ!?」
恋ぬが振り返る。
さっきまであったはずの。
入口。
そこに。
剣盾を構えた、よしおがいた。
和音とよしおが右翼の前後を入れ替えたのだ。
反時計回りに翼自体が回転した。
翼の、その羽の中へと取り込まれた恋ぬ。
もう一度前を向き直すと、そこには右翼根元付近の防衛部隊から二騎。
さらに玉狩姫部隊から、二騎。
完全に包囲されていた。
「よう」
「…………」
「いらっしゃーい、ってか?」
「田中よしお…………やっぱり、罠!」
「うんー」
結女がにっこり。
「卑怯ですよ!」
「鶴翼だからー」
「そういう問題ではありません!」
「入ってきたの恋ぬちゃんよー?」
「誘ったでしょう!」
「もう少し近くにきてー、とは言ったわねー」
「それを誘ったと言うんです!」
「そうとも言うー」
「黒姫ぇぇぇぇ!!」
恋ぬが叫ぶ。
その瞬間。
「ブラックキャット、後退!」
菅田も当然罠には気づいていた。
「黒翼第三騎団! 黄昏の門をこじ開けろ!」
ただ、わずか半瞬、撤退の判断が遅れた。
横陣。
瀬戸際右翼正面の一部が。
前へ出る。
三人騎馬二騎。
二人騎馬三騎。
恋ぬを救出するため。
一気に距離を詰めた。
「来るぞ!」
和音が叫ぶ。
「よしお!」
「おうよ!」
右翼最前列。
和音が。
真正面から受ける。
「止めるぞぉぉぉ!!」
激突。
騎馬と騎馬。
盾と盾。
和音達が押される。
だが。
崩れない。
意図的に下げていく。
「右翼、戦線を崩すな! 支えろ!」
「了解!」
和音の指示。
恋ぬの退路を塞いでいた部隊の一部が。
そのまま横へ展開。
前線の外側へ広がり、そのまま右翼全体が下がる。
元の鶴翼へと陣は収束していく。
同時に瀬戸際陣営の角度がさらに時計方向へ、角度にしておよそ五度回転する。
「結女!」
和音が叫ぶ。
「まだ閉じなくていいわよー」
「まだ!?」
「うんー」
郁佳が。
中央から敵陣を見る。
「……結女ちゃん」
「なあにー?」
「まさか」
厨二岳の横陣。
そこから。
救出部隊だけが。
前へ突出している。
今まで鶴翼の口を塞いでいた蓋。
その一部が、
自分から、内側へ入り始めていた。
「これを待ってたの?」
「そうー」
結女が笑った。
「だってー」
横陣を保たれている限り。
包めない。
なら。
「向こうから入ってきてもらえばいいものー」
「…………」
郁佳の頬が。
引きつった。
「猫ちゃんは餌ー」
「餌!?」
包囲の中から恋ぬが叫ぶ。
引き連れていた部隊は既に、下がったよしおと瑠衣の玉狩部隊の右前衛に攻撃され、自らを含めた三人まで減らしていた。
いや、今一人リタイアした。
残り二人。風前の灯である。
「聞こえてますよ!!」
「大丈夫よー」
「何がですか!」
「ちゃんと役に立ってるからー」
「全然嬉しくありません!!」
「黒姫ぇぇぇぇぇ!!」
その間にも。
厨二岳の救出部隊が。
さらに一歩。
瀬戸際右翼へ踏み込む。
恋ぬを、玉狩部隊と派遣された防衛部隊に任せ、反転したよしお含む三人騎馬三騎が受ける。
和音が前線を堅持。流していく。
正面衝突にはしない。
徐々に、翼の曲線に沿わせるように。
内へ。
内へ。
少しずつ誘導する。
「……あ」
郁佳が気づいた。
横陣が。
曲がっている。
一直線だったはずの厨二岳の戦列。
瀬戸際右翼側だけが前へ出て。
中央。
左。
そのまま残っている。
巨大な蓋が。
端から。
折れ始めていた。
「黒翼第二騎団!」
菅田が即座に叫ぶ。
「左へ寄せろ! 第三騎団との間隙を埋めろ!」
速い。
救出部隊が前へ出たことで生まれた隙間へ。
中央の騎馬が即座に寄る。
「やっぱり戻すの速い!」
郁佳が叫ぶ。
「うんー」
結女は。
そこまで見ていた。
中央が。
動いた。
右翼救出部隊を支えるため。
横へ。
その瞬間。
反対側。
厨二岳の右端。
瀬戸際から見れば。
左翼正面。
救出側の穴を埋めるため、横陣が一騎分ずつ瀬戸際右翼側へずれた。
そこに。
ほんの僅か。
余白が生まれた。
「はるちゃんー」
「はいはい」
左翼後方。
ずっと待っていた遥が。
愛刀の大剣、バスターソードを握り直す。
「やっと?」
「うんー」
結女が笑った。
「行ってきてー」
「了解!」
遥の目が。
一気に変わる。
「遊撃部隊!」
「おう!」
「縦島くん、元副部長さん!」
「だから名前で――」
「開けて!」
「名前で呼んでくれぇぇぇ!!」
縦島と元副部長の騎馬が。
左右へ開く。
左翼最前列。
その後方に。
最初から。
隠すように置かれていた。
瀬戸際最大の機動戦力。
牛島遥。
「行くわよ!」
「了解!!」
遥率いる遊撃部隊が。
左翼の間を。
一気に抜けた。
「なっ!?」
菅田の目が見開かれる。
「白銀第四騎団! 右翼へ!」
厨二岳が反応する。
速い。
指示を受けた騎馬が。
即座に向きを変える。
だが、遥は——
もっと速い。やばい。
「遅い!」
左翼前方から。
厨二岳横陣の端へ。
斜めに、走る。
中央を横切る必要などない。
最初から。
そこにいた。
敵の横陣が。
右翼救出へ意識を向け。
中央部隊まで補填に使った。
その瞬間を。
ただ。
待っていた。
「止めろ!」
菅田が叫ぶ。
「白銀第四――」
「遅いって!」
遥の騎馬が。
厨二岳横陣の外側へ回り込む。
「え?」
敵騎馬が。
振り向く。
正面には。
もういない。
「横!」
「遅い!」
遥の剣が。
横から飛んできた敵の剣を弾く。
一騎。
さらに。
二騎。
横陣の端が外側から押し込まれた。
「そこ!」
郁佳が叫ぶ。
「中央守備、前へ!」
「了解!」
中央。
郁佳率いる守備部隊が。
ここで初めて前進する。
正面から厨二岳中央へ圧力を掛ける。
「っ!」
菅田が。
中央を見る。
左を見る。
右を見る。
右翼。
恋ぬ救出部隊が瀬戸際の翼へ入り込もうとしている。
中央。
郁佳が押し上げてくる。
反対側。
遥が横陣の端へ食いついた。
「黒翼第二騎団、中央維持!」
「第四騎団、遥を止めろ!」
「第三騎団はブラックキャットを回収!」
指示が飛ぶ。
的確。
速い。
だが。
「瑠衣ちゃんー」
「了解」
中央より。
少し右。
それまで前衛の一部を除き、ほぼ動かなかった瑠衣の玉狩部隊、その本隊が動く。
「右へ」
「了解!」
郁佳の中央守備と。
よしお、和音の右翼。
その間。
救出へ入ってきた厨二岳第三騎団の横腹へ。
瑠衣が、刺す。
瑠衣を先頭に楔形陣形で襲いかかった。
「え」
恋ぬの顔が。
引きつる。
「待って」
玉狩部隊。
「そっちは」
男を狩るために、作られたような部隊である。
「ひっ! こっち来ないでください!!」
何人かの女子の選手達が悲鳴を上げる。
「大丈夫」
「何がですか!?」
「女に玉はない」
「それはそれで怖い!!」
戦場の一角から。
悲鳴が上がった。
「ぎゃあああああ!?」
「玉が! 玉がぁぁぁ!!」
「なぜ俺達をぉぉぉ!?」
「そこにあるから」
「理由になってねぇぇぇぇ!!」
どうしても馬役は男になりやすい。
救出部隊が。
止まった。
「…………」
菅田の顔から。
初めて。
余裕が消えた。
「黒、姫ぇ……」
結女を見る。
結女は笑っていた。
そして。
「やーっと」
「…………」
「入ってきてくれたわねー」
右翼。
和音が受け、
よしおが支え、
瑠衣が横腹を止める。
中央。
郁佳が押す。
左翼。
縦島と元副部長が形を保ち。
その外から。
遥が厨二岳横陣の端を叩く。
初期配置。
そのまま。
一人も。
無駄に動かしていない。
動かしたのは。
相手。
厨二岳の方だった。
「……まさか」
菅田が呟く。
「ブラックキャットを捕らえたのは」
「うんー」
「救出部隊を引き出すため……」
「それだけじゃないわよー」
「何?」
「菅田くんならー」
結女が。
にこりと笑う。
「ちゃんと助けに来ると思ったからー」
「…………」
「いい部長さんねー」
「貴女に褒められても!」
「そしてー」
結女の視線が。
戦場全体へ戻る。
「陣形を戻すのも速いからー」
「……!」
「穴が空いたら、すぐ埋めると思ったのー」
だから。
中央が寄る。
中央が寄れば。
反対側が薄くなる。
そこには。
最初から。
遥がいる。
「全部……」
菅田が。
歯を食いしばる。
「読んでいたのか」
「ううんー」
「…………」
「猫耳見てから考えたー」
「今!?」
「そうよー」
「そんな馬鹿な!」
遥が。
敵横陣の端から叫んだ。
「私達も困ってる!」
「はるちゃんー?」
「はい!」
怖かった。
「右翼ー」
結女が。
静かに告げる。
「重音せんぱーい」
「おう!」
「そろそろ閉じてくださーい」
「了解!」
和音率いる右翼可変部が。
さらに内側へ折れる。
「よしおくんー」
「任せろぉぉぉ!!」
右翼最前列。
よしおが前へ。
救出部隊の退路を。
押し返す。
「瑠衣ちゃんー」
「了解」
中央右。
玉狩部隊が。
救出部隊の横を完全に塞ぐ。
「ふみちゃんー」
「わかってる」
中央。
郁佳が。
さらに一歩。
前へ出た。
「中央守備! 押すよ!」
「了解!」
そして。
「左翼ー」
「おう!」
縦島達が。
遥の抜けた穴を埋める。
左の翼を。
内側へ。
閉じ始める。
鶴の両翼が。
ゆっくりと。
閉じる。
「黒翼全騎!」
菅田が叫ぶ。
「後退! 横陣を再構築しろ!」
厨二岳が。
一斉に動こうとする。
だが。
戻れない。
右翼側は。
鶴翼内部へ踏み込みすぎた。
中央は。
郁佳に押さえられている。
反対側は。
遥が外から食いついている。
そして。
配置を戻そうとすれば。
味方同士の進路が重なる。
厨二岳最大の武器。
高速の陣形転換。
その武器を。
使うための空間そのものが。
消えていた。
「遅いわよー」
結女が言った。
その声だけは。
いつも通り。
ふわふわしていた。
「もうー」
鶴の翼が。
閉じる。
「捕まえたー」
「…………」
その包囲の中。
犬伏恋ぬが。
ぽつりと呟いた。
「……もしかして私……戦犯?」
「…………」
近くにいた郁佳が少し考えた。
「まあ」
「…………」
「だいたい結女のせい」
「…………」
猫耳が。
しゅん。
と垂れた。
遥が。
遠く敵陣地側から。
指を差した。
「やっぱり動いた!!」
「動いてませんっ!!」
ドボン!
「にゃーーー!!」
包囲されていた恋ぬが背中側から斬られてリタイアとなった。
恋ぬ可愛い。そして結女怖い笑笑
ヒロインが怖いってどういうこと??




