【外伝】陰陽師、山ノ井瑠衣 参拾話 〜リザルト〜
山ノ井家の居間。
鬼穴から命からがら帰還した遥と瑠衣は、ちゃぶ台を挟んで正座していた。
目の前には、湯気の立つ緑茶。
そして。
ちゃぶ台の上には、一台のスマートフォン。
その画面から、長い黒髪の女が半分だけ顔を覗かせている。
『…………』
「…………」
遥は見なかったことにした。
その隣。
床には、犬がいた。
正確には。
犬の胴体があった。ぬいぐるみである。
首は瑠衣の膝の上である。
『……なぜ拙者だけこのような扱いなのであるか』
「重かったから」
『理由になっておらぬ』
「みょんみょん丸、頭だけだと軽い」
『便利そうに申すな!』
瑠衣は首を持ち上げる。
「お母さん。ただいま」
「おかえりなさい」
瑠衣の母——山ノ井瑠香は、にこやかに微笑んだ。
「それで?」
視線が。
スマホ。
犬の胴体。
瑠衣の膝の上の生首。
遥。
瑠衣。
もう一度、犬の生首。
順番に移動する。
「ずいぶん賑やかになったわね」
「色々あった」
「色々で済ませちゃダメなやつよね!?」
遥が即座に突っ込んだ。
瑠香は楽しそうに笑った。
「じゃあ、聞かせてもらおうかしら」
「わかった。少し長くなるけど大丈夫?」
「お茶ならあるから大丈夫」
「そういう問題!?」
◇
「――というわけで、鬼穴核をピコハンで壊して逃げてきた」
説明終了。
瑠衣は湯呑みに口をつけた。
「ふぅ」
「『ふぅ』じゃないわよ!」
遥は机に突っ伏した。
「なんで瑠衣が説明すると、あの地獄みたいな数時間が三分で終わるのよ……」
「要点は押さえた」
『拙者との死闘が「犬を拾った」で処理されたのであるが!?』
「間違ってない」
『間違っておる!!』
瑠香はくすくす笑いながら、みょんみょん丸へ視線を向けた。
「それで、この子が坂上田村麻呂?」
『……いかにも』
みょんみょん丸の声が、わずかに低くなる。
さすがは軍神。
犬の姿になろうとも、その声音には古の英雄としての威厳が——
「我が名はさかの——」
「みょんみょん丸」
瑠衣がぶった斬る。ぶった斬り、お代わりである。
「みょんみょんま……ぶふぅ!」
流石は瑠衣の母だった。娘と同じように無表情のまま吐き出すなんていう高難度の曲芸をぶっ放す。
『坂上田村麻呂である!!』
「もう図鑑にも、みょんみょん丸で登録した。変更不可項目」
『なぜ本人の許可なく変更不可の項目へ入力したのであるか!!』
「あらあら」
瑠香が笑う。
そして。
みょんみょん丸を見た。
「そう」
にこり。
「あなた、私の娘においたをしたの」
『…………』
空気が変わった。
ほんの少しだけ。
本当に、ほんの少しだけ。
瑠香は笑っている。
声も優しい。
なのに。
『…………』
みょんみょん丸の無数の瞳が、一斉に瑠香を見た。
「お母さん?」
「なあに?」
「顔が怖い」
「笑ってるわよ?」
「だから怖い」
「ひどい」
瑠香は頬に手を当てた。
遥には、ごく普通の母親にしか見えない。
だが。
みょんみょん丸だけは違った。
原初の英雄。
数多の戦場を駆け抜け、数え切れぬ怪異を屠り、死してなお軍神と呼ばれた存在。
だからこそ。
分かってしまった。
目の前の女が――
笑っているだけではないことを。
「でも、遥ちゃんに負けて、瑠衣の式神になったのね?」
『……左様でござる』
「そう」
瑠香の笑みが、ほんの少しだけ深くなった。
「よかったわね」
『…………』
ぞわっ。
犬の全身の毛が逆立った。
「え?」
遥が首を傾げる。
「みょんみょん丸、鳥肌立ってない?」
『犬ゆえ毛しか見えぬ!!』
「じゃあ鳥肌じゃないわね」
『今はそういう話をしておらぬ!!』
瑠香は何事もなかったかのように、お茶を一口飲んだ。
みょんみょん丸は震えていた。
首だけで。
『……遥殿』
「なに?」
『礼を申す』
「なんで!?」
『そなたに負けて、心の底からよかったと思っておる』
「急にどうしたの!?」
瑠衣が頷く。
「負けることで見える景色もある」
『おぬしは黙っておれ!!』
「?」
瑠香が再び微笑んだ。
「本当に、よかったわね」
『……御意』
「なんで瑠衣のお母さんに忠誠誓ってんの!?」
◇
「それで」
瑠香が話を戻した。
「鬼穴核の向こうにいたのは、日本武尊だったのね?」
「うん」
瑠衣が頷く。
「出てくる前に、はるちゃんが核を割った」
「名乗ってる途中だったけどね」
『あれは流石に拙者も如何なものかと思ったぞ』
「だって出てきたら絶対面倒じゃん」
「間違いない」
瑠香は少し考える。
「日本武尊……ねぇ」
瑠香はニッコリ、すっと立ち上がった。
「お母さん?」
「ちょっと待っててね」
「どこ行くの?」
「すぐ戻るから」
そう言って。
瑠香は居間を出ていった。
「……?」
遥が首を傾げる。
瑠衣は煎餅を食べ始めた。
ぱり。
「瑠衣、お母さんどこ行ったの?」
「知らない」
「気にならない?」
「いつものこと」
「いつも何してんの!?」
『…………』
みょんみょん丸だけが黙っていた。
嫌な予感がする。
とても。
とても嫌な予感がする。
やがて。
廊下の向こうから音がした。
ずる。
ずる。
ずる。
「……なに、この音」
「何か引きずってる」
『…………』
ずる。
ずる。
襖が開いた。
「お待たせ」
瑠香が戻ってきた。
いつもと変わらない笑顔。
少しだけ乱れた髪。
その右手には――
何かが握られていた。
正確には。
何者かの足首。
ずるり。
瑠香が居間へ引きずり込む。
ぼろぼろになった古代の装束。
全身に刻まれた無数の傷。
見る影もなくぐったりとした、巨大な霊体。
『…………』
みょんみょん丸の瞳が。
一斉に見開かれた。
『や――』
震える声。
『日本武尊ぉぉぉぉぉぉっ!?』
「ええええええええええっ!?」
遥が飛び上がった。
「お母さん」
「なあに?」
「それ、どうしたの?」
「さっきの話を聞いて探してみたら、まだ近くにいたから」
瑠香は日本武尊だったものを、ぽいっと畳へ置いた。
「倒しておいたわ」
「嘘ぉぉおお!!!」
遥の絶叫が山ノ井家に響き渡った。
『ば、馬鹿な……』
みょんみょん丸が震える。
『日本武尊であるぞ!? 倭建命であるぞ!?』
「そうみたいね」
『そうみたいね!?』
「でも、ずいぶん弱ってたわよ?」
『弱っていようが日本武尊である!!』
「お母さん強いから」
『山ノ井!! その一言で済ませてよい存在ではないぞ!!』
「?」
瑠衣は首を傾げる。
瑠香は再びちゃぶ台の前に座った。
何事もなかったように湯呑みを持つ。
「あら、お茶冷めちゃった」
『…………』
みょんみょん丸は。
畳に転がる日本武尊を見た。
瑠香を見た。
もう一度、日本武尊を見た。
そして。
自分の首だけになった身体を見た。
『……遥殿』
「な、なに?」
『改めて礼を申す』
「だから何の!?」
『拙者を倒してくれて、本当にありがとう、ほんっとうに! ありがとう!』
「なんでよぉぉぉぉぉっ!?」
軍神、坂上田村麻呂。
死後、千年以上の時を経て。
敗北のありがたみを知った瞬間であった。
◇
こうして。
遥と瑠衣、二人にとって初めてとなる本格的な鬼穴攻略は、無事に幕を閉じたのだった。
今回の戦果。
スマートフォンに棲みついた女怪異、一体。
式神となった軍神、坂上田村麻呂――通称みょんみょん丸、一体。
なお、首と胴体は現在も分離中。
そして。
日本武尊、一柱。
討伐者――
山ノ井瑠香。
「……ねえ瑠衣」
「なに?」
「最後の、私たち関係なくない?」
「そうともいう」
「だよねっ!!」
初めての陰陽師回。
今度こそ、本当に終焉である。
ある晴れた日の茶室にて。
茶を飲むキモい犬が目の前の人物に問いかけた。
『……のう、瑠香どの。一つ聞きたいのだが良いか?』
「ん?」
『もし先の戦いで拙者がお主の娘を殺めていたら……拙者はどうなっていたのでござろうか』
「…………」
瑠香は、にっこり笑った。
「世の中には知らない方が幸せなこともあるのよ?」
『……御意』




