【外伝】陰陽師、山ノ井瑠衣 弍拾伍話 〜武人? 知らない。長い〜
——田村麻呂は首だけになっていた。
……えっと?
いったい、何がどうしてこうなった。
軍神は、記憶を巻き戻す。
——ほんの数十秒前。
…………
………
……
「バッキバキに後悔させてあげる」
水面のような静寂に、遥の声が波紋を広げた。
崩れた石壁から、砂礫が落ちる音だけが響いている。
やがて。
『……ふ』
田村麻呂の声に、僅かな笑みが混じった。
『ふふ』
笑いは徐々に大きくなり、
『はははははははッ!!』
鬼穴全体を震わせるほどの、豪快な笑いへと変わった。
「何がおかしいの?」
遥の口調は柔らかい。
だが、その芯は冷え切っていた。
『いや』
田村麻呂は、肩口から黒い霧を噴き出す切断面へ視線を落とす。
そして、改めて遥を見た。
『見事』
短い一言。
その声に、侮りはもうなかった。
『牛島遥』
初めて。
軍神は、その名を静かに呼んだ。
『ここまでは、山ノ井の伴侶として見ていた』
切り落とされた腕が再生される。
黒い槍が、霧となって崩れる。
鉞が消える。
薙刀が消える。
『だが』
無数の武器が、一つ、また一つと闇へ還っていく。
残ったのは――
黒い軍刀、ただ一本。
田村麻呂は、それを正眼に構えた。
多腕など無粋。
『おぬしの戦い方、誰ぞに師事したものではあるまい』
『おぬしの天賦の才……』
『その武を、いち武人として喰ら――』
遥が消えた。
『っ!!』
大外から、無造作な横薙ぎの一閃。
甲高い金属音とともに火花が散り、黒い軍刀が辛うじてその刃を受け止めた。
田村麻呂の無数の瞳が見開かれる。
『ふむ。もはや言葉は不要――っ!?』
「長い」
刃を噛み合わせたまま、遥は空いた左手の指を折り畳む。
左足が前へ滑る。
半身を鋭く入れ替える——籠割り。
平拳——折り曲げた指の第二関節が、田村麻呂の喉を穿つ。
『ぶへぅ!』
拳が喉を捉えた半瞬後、左足が床を捉える。
同時に右手の剣を引き、右脚を後方へ流した。
『ごほっ! お、おのれ!』
「悪いけど、興味ない」
再び地を蹴り、深く踏み込む。
郁佳がよくやる、あれ。
見様見真似――牙突!
剣先が一直線に走り、胸の中央――膻中を貫いた。
そのまま左手を峰に添え、力任せに外へ斬り開く。
コンパスを閉じるように右脚を前へ畳み込み、さらに深く潜り込んだ。
肩から背中までを一つの塊にして、巨体の胸板へブチ叩く。
鉄山靠。
『ぐっ……!』
田村麻呂の巨体が揺らぐ。
遥はその反動を殺さず、左脚を高々と跳ね上げた。
次の瞬間。
踵が、田村麻呂の頭頂へ振り下ろされる。
轟音。
軍神の巨体が、床へ叩き伏せられた。
横薙ぎ。平拳。刺突。斬り開き。鉄山靠。そして、踵落とし。
一息の間に叩き込まれた、怒涛の六連撃。
田村麻呂の理解が、追いつかない。
横薙ぎから平拳。
刺突からの斬撃。
そこへ体当たりを繋ぎ、最後は踵落とし。
一貫した流派も、型もない。
ただ、その瞬間に最も有効な攻撃だけが、途切れることなく襲ってくる。
あるのは、目の前の敵を倒すための理だけ。
完成された武ならば読める。
だが、遥のそれは、武という形すらしていなかった。
次に何を繰り出すのか。
おそらく、攻撃する直前まで遥自身にも決まっていない。
「私が考えてるのは、一つだけ」
遥は、倒れ伏した田村麻呂を静かに見下ろした。
「あんたは札子ちゃんを奪った」
その目に、いつもの向日葵のような輝きはなかった。
「そして何より、瑠衣を傷つけた」
怒鳴りもしない。
声を荒らげもしない。
ただ、静かな怒りだけがあった。
「だから……」
剣を上段へ振り上げる。
「消えなさい」
一閃。
軍神の首が、斬り落とされた。




