【外伝】陰陽師、山ノ井瑠衣 弍拾四話 〜本当の主役が誰か、教えてあげる〜
『山ノ井とその伴侶よ。なかなか楽しませてくれたが、そろそろ終わりだ』
無数の腕が、一斉に広がった。
田村麻呂は、頭上にぶら下げていた遥を瑠衣へ投げつける。
「きゃあっ!!」
「はるちゃん!」
瞬時の判断だった。
瑠衣は両手の双剣を後方へ投げ、飛んできた遥を受け止める。そのまま衝撃を逃がすように、後方へ身を投げた。
「くっ!」
背中から床へ落ちる。
二人の身体が、転倒したバイクのように床を滑っていく。
「っ……あ!」
瑠衣の口から、苦悶の声が漏れた。
「瑠衣!」
だが、そこで終わるわけがなかった。
田村麻呂は既に、こちらへ向けて弓を引き絞っている。
矢はない。
だが、黒い弦の間で空間が歪んでいた。
「まずっ——」
放たれた。
遥は瑠衣を庇うように抱きつく。
見えない何かが、二人を殴りつけた。
「ぐっ!?」
「きゃあっ!!」
二人の身体が吹き飛ぶ。
そのまま、背後の壁へ叩きつけられた。
轟音。
壁が大きく陥没し、砕けた石片が周囲へ飛び散る。
二人の身体が床へ落ちた。
「がっ……」
遥は肺から押し出された空気を、必死に吸い直す。
息ができない。
視界が白く明滅している。
「がふっ……」
喉の奥から血が逆流する。
視界が揺れた。世界そのものが傾いたようだった。
それでも腕に力を込め、身体を起こした。
「瑠衣……?」
返事がない。
隣では瑠衣が、崩れた壁にもたれるように倒れていた。
少し離れた床には、先ほど投げ捨てた双剣が転がっている。
「瑠衣!」
遥が這うように近づいた。
肩を掴む。
揺らす。
「ちょっと! 瑠衣、起きて!」
瑠衣の頭が、力なく揺れた。
瞼は閉じたまま。
呼吸はある。
だが、意識がない。
『見事であった』
田村麻呂の声が響いた。
遥が振り返る。
軍神が、ゆっくりと歩いてくる。
その背後では、無数の黒い腕が蠢いていた。
『若き身ながら、よくぞ我をここまで愉しませた』
「……まだ」
遥は瑠衣を背に隠し、床へ手をついた。
「まだ、終わってないわよ」
ふらつきながら立ち上がる。
「痛っつ!」
膝が震える。
肋骨も、おそらく何本か折れている。
それでも。
遥は、田村麻呂の前に立った。
『山ノ井の娘を置いて、退け』
「嫌よ」
『その娘は、もはや戦えぬ』
「だから何?」
『庇えば、おぬしも死ぬぞ。山ノ井の血の者ではないのであろう? 奮闘に免じて逃してやろうぞ』
「ふざけないで! 死ぬ? 山ノ井の人間ではない? だから何だって聞いてんのよ」
遥が田村麻呂を睨みつける。
唇の端から、血が流れていた。
「瑠衣を置いて逃げるなんて、絶対にしない!」
田村麻呂の無数の瞳が、静かに遥を見る。
『……よかろう』
黒い軍刀が持ち上がった。
刃が、遥の頭上へ掲げられる。
避けられない。
受けられない。
遥は逃げなかった。
背後の瑠衣へ刃が届かないように、一歩だけ前へ出た。
『その覚悟、見届けた』
軍刀が振り下ろされる。
その瞬間。
遥の足元に、光が走った。
「え……?」
一本。
二本。
幾重もの光の線が床を駆け、複雑に交差する。
五つの頂点が結ばれた。
巨大な五芒星。
淡い光の壁が、遥と田村麻呂の間に立ち上がる。
黒い刃が結界へ激突した。
轟音。
光が激しく揺れる。
ひび割れる。
それでも。
軍神の刃は、遥へ届かなかった。
『これは……』
田村麻呂の声に、明確な驚愕が滲む。
遥は背後を振り返った。
瑠衣の瞼が、ほんの僅かに開いている。
震える右手。
血に濡れた指先が、床へ五芒星を描いていた。
「……はる、ちゃん……」
「瑠衣……!」
「大丈、夫……?」
消え入りそうな声。
「大丈夫なわけないでしょ! あんたが!」
「そう……」
瑠衣の口元が、ほんの僅かに緩んだ。
「よかった……」
指先から力が抜ける。
五芒星の光が、砕け散った。
瑠衣の瞼が、再び閉じられる。
「瑠衣?」
返事はない。
「……瑠衣」
遥は、しばらく動かなかった。
俯いたまま。
握り締めた拳だけが、小さく震えている。
田村麻呂が軍刀を構え直した。
『最後の力で、おぬしを守ったか』
「……そうね」
遥が静かに答えた。
退魔のオープンフィンガーグローブへ指を掛ける。
右手。
左手。
ゆっくりと外し、床へ落とした。
ぱさり。
場違いなほど軽い音がした。
「これ、いらない」
『何?』
遥は田村麻呂を見た。
怒鳴らない。
睨みつけもしない。
ただ、今まで見せたことのない冷たい目で、軍神を見ていた。
「ねえ、みょんみょん丸?」
『……』
「一つ聞くけど」
遥は血のついた手で、頬を拭う。
「あんた、人間ではないのよね?」
田村麻呂の無数の瞳が瞬いた。
『その「みょんみょん丸」とやらが我を指しているのであれば』
軍刀を構えたまま、律儀に答える。
『是である』
「そう」
遥の足元。
そこには、瑠衣の双剣が落ちていた。
遥は腰を屈め、そのうちの一本を拾い上げる。
身体のあちこちが軋む。
知ったことか。
今は、そんなことどうでもいい。
意識的に痛覚を遮断した。
柄を握る。
縦に一閃。
次いで、内から外へ横薙ぎに一閃。
たった、それだけ。
——僅か二振り。
それだけで、遥の構えが変わった。
重心が落ち、身体の軸が定まる。
田村麻呂の無数の瞳が、一斉に細められた。
先ほどまでの拳闘家ではない。
そこにいたのは、一流の剣士だった。
「私、元々は剣使いなのよね」
遥が刀を下段に構える。
『ほう』
田村麻呂の腕が動く。
軍刀。
槍。
鉞。
全ての武器が、遥へ向けられた。
「人間じゃないなら」
遥が踏み込む。
「斬れるわ」
消えた。
『——何!?』
驚愕の声は、遅れて響く。
遥は既に、田村麻呂の背後へ立っている。
瑠衣の刀を振り抜いたまま。
静寂。
田村麻呂の無数の瞳が、ゆっくりと左へ向いた。
槍を握っていた黒い腕。
その付け根に、細い線が走る。
ずるり。
腕が肩口から滑り落ちた。
槍ごと床へ転がる。
黒い霧が、切断面から噴き出した。
『……抜き、だと? 我が反応できぬほどの』
軍神の声から、初めて余裕が消えた。
抜き——
起こりを消し、斬撃だけ届かせる技。
武の到達点の一つ。
遥が振り返る。
「札子ちゃんと……」
切っ先を田村麻呂へ向ける。
「瑠衣に手ぇ出したこと」
その目には、剥き出しの殺意が宿っていた。
「バッキバキに後悔させてあげる」
王道!
はるちゃん覚醒、本領発揮!




