【外伝】陰陽師、山ノ井瑠衣 弐拾壱話 〜再起動〜
遥の絶叫が、鬼穴を震わせ、
「ふむ。まさか怪異が人間を庇うとは……面白い」
坂上田村麻呂——軍神の声に喜色が混じる。
遥がその言葉に反応した。
「……面白い? あんた今、面白いって言った?」
「札子を……」
遥の拳が震える。
「札子ちゃんを返せぇぇぇっ!!」
床を蹴る。
考えるより先に身体が動いていた。
「ダメ! はるちゃん!」
瑠衣の制止も届かない。
一直線。
怒りだけを乗せた踏み込み。
坂上田村麻呂は動かない。
ただ、軍刀を半寸だけ持ち上げた。
「っ!」
本能が叫ぶ。
死ぬ。
だが、知るか! 知ったことじゃない。
こいつはぶちのめす。
瑠衣が腕を伸ばす。親指を下に自らの手の甲を打ち合わせ、そのまま反転させる。右手の下に左手、左右の刀印を重ねた。そのまま両手で圧縮印を素早く組み替えた。
「四方清浄!」
瑠衣の護符が二人の間へ飛び込む。
一瞬の閃光。
空気が爆ぜ、軍刀が護符を裂き、結界が砕け散る。
だが、その刹那の時間が遥を救った。
ほんの指一本分だけ、刃先が遅れた。
黒い刃が遥の前を通り過ぎる。
前髪が数本、宙を舞った。
「ほう?」
軍神が片眉を上げた。
「圧縮印……その歳で使いこなすか。山ノ井の血は、未だ絶えておらぬようで何より」
「はるちゃん、落ち着く!」
「でも!」
「ダメ。今行ったら、本当に死ぬ!」
遥は歯を食いしばる。
分かっている。
頭では。
それでも。
札子が目の前で斬られた。
守れなかった。いや、守られたのだ。
その現実だけが、胸を締め付ける。
軍神は静かに二人を見据えた。
『よい』
『怒りは刃を鈍らせる』
『英雄とは』
黒い軍刀をゆっくりと構える。
『——覚悟で斬るものだ』
館の空気が、再び張り詰めた。
誰も動かない。
いや。
動けない。
遥は歯を食いしばりながら睨みつけた。
怒りは消えない。
今すぐ殴りたい。
それでも。
本能で理解した。
踏み込めば死ぬ。
その事実だけは、嫌というほど理解していた。
「……瑠衣」
「うん」
「勝てる?」
瑠衣は答えない。
答えられなかった。
その沈黙だけで十分だった。
遥の額に、冷えた汗が一筋伝い落ちる。
それでも遥の心は折れない。
遥の拳がさらに強く握られる。
『それでよい』
坂上田村麻呂が静かに頷いた。
『恐れを知る者よ。恐れは生き延びる力だ。恐れを捨てた者から先に死ぬ』
その瞬間。
軍刀が目の前にあった。
坂上田村麻呂は動いていない。
動いていないはずだった。
「——っ!」
「速っ!」
考える暇もない。
瑠衣の双剣が割り込む。
甲高い金属音。
火花が散った。
そのまま瑠衣の身体が数メートル吹っ飛んだ。
「瑠衣!」
片手を床につき、その勢いを殺すように側転しながら着地した。瑠衣の眉間に薄く皺が寄る。
腕が痺れていた。
いや。
腕だけではない。
全身が軋んでいた。
「……重い」
剣ではない。
山だった。
刀を受けたはずなのに、巨大な岩塊を真正面から受け止めたような衝撃だった。
『ほう、今のを受けるか』
僅かに目を細める。
『圧縮印の次は双剣』
顔のあるべき場所で、無数の目が瑠衣を値踏みする。
『しかも山ノ井』
軍刀を肩へ戻した。
『やはり面白い』
瑠衣は息を整える。
駄目。
受けるだけでは終わる。
一撃ごとにこちらが削られる。
「はるちゃん」
「なに?」
「真正面からは勝てない」
「分かってる」
「だから」
瑠衣は双剣を構え直した。
「いつも通り」
遥の口元が少しだけ上がる。
「挟む?」
「うん」
次の瞬間。
二人は同時に床を蹴った。
右へ。
左へ。
瀬戸際高校四姉妹。
その前衛を担う、最強の二枚看板である。
騎馬戦で何百回と繰り返した、反撃への初動だった。




