【外伝】陰陽師、山ノ井瑠衣 拾八話 〜山ノ井の血を継ぐ者〜
この怪異は山ノ井を知っている。
これが意味するところはおそらく……
瑠衣本人ではなく、山ノ井家と何か因縁のある相手ということなのだろう。
普段の騎士部、騎馬戦において、結女が戦局の先をあまりに読み過ぎるため、ともすれば猪突猛進型の馬鹿だと思われがちな遥だが、馬鹿ではない。それくらいの推測は当然できる。
武器を失い心許ない状態ではあるが、その闘志はいささかも衰えていなかった。
「あんた何者? 瑠衣は知らないって言ってるけど?」
遥の声は震えていなかった。
武器を失っても、退く選択肢はないとでも言うように、拳を軽く握って一歩前へ出る。力みすらない。
穴の中の目が、
一斉に、遥へと戻った。
『ほう』
声が笑う。
『代替わりの度に、山ノ井は面白い連れを拾ってくる』
「質問に答えなさいよ!」
『答える義理はない』
「じゃあ聞き方変える。あんた、いったい瑠衣の何なのよ」
一瞬。
穴の奥の目玉たちが、渦を巻くのを止めた。
興味深そうにこちらを見やる。
『なんだ、貴様、今代山ノ井のオトコか?』
「……は?」
一瞬のフリーズ。意味を咀嚼し真っ赤になって遥は怒鳴る。
「……ちがうわアホー! この可愛い可愛い私のどこを見て男に見えんのよ! 瑠衣! あんたも照れてる場合じゃない!」
微妙に嬉しそうな瑠衣が無表情を引き締め直す。怪異は瑠衣の方を一瞥し、遥にその視線を戻した。
『……嘘はよくないな。人間の女であればもう少し胸のあたりにボリュームがあるように記憶しておる』
「なんですって!?」
ブチギレる遥を無視して、怪異はもう一度瑠衣の方を見た。
『……そう睨むな、小娘』
「睨んでない。ただの真顔」
『山ノ井の血は、いつもそうやって物怖じせん』
声が、僅かに掠れる。
『――だからこそ、都合が良い』
「都合が良いって?」
答えは返らなかった。
代わりに、軍服の怪異の輪郭がぐにゃりと歪んだ。
肩章が溶ける。
軍帽が崩れる。
その下から現れたのは——
顔の無い、人の形をした黒い塊。
無数の顔が、その体表に押し込められている。
「……っ、瑠衣!」
「あれは、おそらく複合体」
瑠衣の声は低い。
いつもの淡々とした声ではあったが、その奥に、初めて聞く硬さがあった。
「さっきから見てたら分かるわよ、あの気持ち悪い数の顔。たぶん、数えきれない怨念の塊かなんかなんでしょ!?」
『くく……勘がいいな。あたらずとも遠からずというところだ』
塊の中心が、ゆっくりと裂ける。
まるで口のように。
いや、
本当に口だった。
『山ノ井の血を継ぐ者よ』
塊が、瑠衣だけを見据える。
『我が名を、思い出せ』
瑠衣の眉が動いた。
思い出す、も何も。
知らないはずの名前。
なのに――
頭の奥、まだ言葉にならない何かが、
小さく疼いた。
「……っ」
こめかみを押さえる瑠衣。
膝をついた隙を狙って怪異の腕が伸びた。
「瑠衣!!」
間一髪で遥が瑠衣を抱えて横っ飛びに回避する。
「っく、はるちゃんありがとう。大丈夫」
答えながらも、額には薄く汗が滲んでいた。
札子のフリップが、慌てたように上がる。
『瑠衣様、ご無理は』
「分かってる」
言い切って、瑠衣は圧縮刀印を流れるように組んだ。
「——鎮」
短く唱える。
こめかみの疼きが、僅かに引く。
「今のは無視していい。はるちゃんは自分の身だけ考えて」
「無視できるわけないでしょ! あんた今、頭抱えたじゃない!」
「平気」
「平気そうに見えない!」
言い合う二人を、塊はただ、面白そうに眺めていた。
『問答は好かん。だが……』
塊の口が、三日月のように裂ける。
『山ノ井の血がどこまで耐えるか、見てみたくもある』
その言葉と共に、
塊から、無数の腕が一斉に伸びた。
だが——
「ちょっと待って」
瑠衣が制止する。軽い感じで片手を上げた。
「は?」
「え?」
前者は怪異、後者は遥である。
「あなたは今の私より、かなり霊格が上。格上の怪異なら少しくらい待てるはず」
「え? あ、はい……」
理不尽だった。とても理不尽な制止だった。理不尽すぎて怪異も止まる。遥も止まる。
「はるちゃん、これ」
「あ、はい」
目が点のままの遥がうけとったそれ、
「山ノ井家に代々伝わる退魔のオープンフィンガーグローブ。刃物タイプの武器もあるけど、慣れていないと人型相手に斬り付けるのは躊躇するから、これ使って」
「あ、はい……」
山ノ井家に代々伝わる、とか絶対嘘だった。でも遥はそのツッコミは飲み込んだ。今突っ込んだら多分負けだ。何に負けたのかはわからないが、そんな気がした。
いそいそと両手にグローブを嵌める。両手の拳を軽く打ちつけて感触を確かめた。問題なし。
「……もう、いいか?」
律儀に尋ねる怪異さん。
「いい」
半瞬、
一時停止にしていた動画に再生ボタンが押された。
「来る!」
瑠衣の警告と、遥が地を蹴るのは、ほぼ同時だった。




