【外伝】陰陽師、山ノ井瑠衣 四話 〜遥とえっちな触手と絶望と〜
「なにアレ……?」
ゴキブリの大群でも目にしたかの様な反応をする遥。
這い回る悪寒が鳥肌となって全身を襲った。
扉の隙間から見える赤黒い不気味なナニカは、左右どちらに向かって動いているのかすら不明だった。ただ蠢き続けている。 ただ、そこに存在している。 おそらく、この世に存在してはいけないナニカ……
一瞬だけ眉を顰めた瑠衣が、懐から護符を取り出し、呪を唱える。
静かに右手の薬指を折る。左手の人差し指と中指を右手の掌に添えた。小指、中指、人差し指を立てた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
空気が、ピンと張る。
「四方清浄。五行鎮定。道を開け」
そして、最後だけ少し低く。
「急急如律令」
目の前で誰も触っていない両開きの扉が内側へと開いていく。
かすかな音とともに、部屋の空気が廊下へと流れ出した。
湿った、魚が腐った様な臭いが鼻をついた。
部屋の中は広く、学校の教室四つ分ほどはありそうに見える。
かつては舞踏会でも開かれたのだろうか。天井が高く、シャンデリアの残骸が吊り下がっている。
そして、部屋の中央に、それはいた。
蛸に似た、何か。
人の背丈をゆうに超える巨躯。赤黒い皮膚がぬめりと光り、無数の触手が床を這っている。目が、ある。大きな、濁った目が、こちらをじっと見ていた。
いや、どう見ても巨大な蛸だった。
「……へ? 蛸?」
拍子抜けしたように遥が呟いた。
「違う。触手魔神」
瑠衣が静かに答えた。
「……蛸よね?」
「タコに似た怪異」
「でも、蛸よね」
「タコに似た怪異、触手の王」
譲らなかった。
瑠衣が印を結ぶ。
静かに、しかし確実に、術式が展開されていく。
遥はピコピコハンマーを握りしめたまま、一歩瑠衣の左後ろ側へと下がった。瑠衣の邪魔にならず、飛び出し、心臓を守る位置である。
巨大な蛸の足が持ち上がり、打ち下ろしの攻撃をして来る。
「危なっ!」
「ちっ」
だが騎馬戦で鍛えられた二人にとっては、難なく避けられる速度の攻撃である。遥が左へ、瑠衣が右へと飛び避ける。
そのときだった。
二人が怪異の巨大な足で引き離され、瑠衣の意識が術式に向いた、ほんの一瞬の隙。
怪異の触手が、するりと動いた。その動きは先ほどの打ち下ろしとは違った。ノーモーションで地面を這うように走る。
目標は——瑠衣ではなく、遥。
「しまっ……! はるちゃん!」
印を結び直すが、間に合わない。
「きゃぁー!」
赤黒い触手が、遥を絡め取る。
退魔のピコピコハンマーが弾き飛ばされた。
「あ、ヤバ!」
ぞわり。遥の身体を這い上がっていく。
「えっ! ちょっと、まって! これって! 絶対、なんかエロいことされるやつ!」
足首に絡みついたそれは、遥の袴の中へ。ねちゃねちゃと粘つく音を立てながら、脹脛をなぞり、太腿、鼠径部を通り臀部を撫で、腹部へと到達する。その間わずか二秒。
「あ、や、だめ、だめ、だ……っ、あ……!」
さらに上へ。
逃げ場を塞ぐように、肩口まで巻き付いて——
止まる。
「……え?」
一拍。
胸の辺りを「ん?」と言った感じで上下に触手が動いた。
「ちょっ、や、あんっ!」
直後、空気がスンっとなった気がした。
遥はぺいっと放り出され、床を転がる。
「きゃあ!」
べっちょん。ごろりん、ごーろごろ。
身体に纏わり付いた粘液が床にシミを作る。
怪異は、触手を下から上へと二度、払うように振った。
しっしっ、と。
…………
「……は?」
瑠衣は目を細め、静かに意識をなぞる。精神感応の術式を展開した。
「……」
瑠衣が微妙な顔をした。
「はるちゃん、今、精神感応の術式で怪異の感情を読んだ。聞きたい?」
「う、うん」
「“帰れ”と言っている」
一瞬の間。
「……質量が足りなくて、絶望したらしい」
「( ゜д゜)」
瑠衣は無表情のまま、続けた。
「苗床にするには、胸が足りない」
遥だけが、この場面で白黒になった。
部屋全体はカラーのままだった。遥の周辺だけが、くっきりと白黒だった。
「……待てコラ」
一瞬の間を置いて、遥が黒いオーラを纏う。言葉遣いまで変わっちゃう。
「今、わたし、捨てられたのね? 胸がないから」
拳を鳴らす乙女がそこにいた。
「そう……」
瑠衣が静かに肯定した。フォローする気はないらしい。
まさに巫女服ヴァルキュリー。
遥は右足を大きく前へ踏み出した。その足底が地面に着くより僅かに早く、拳が目標へと到達する。
左脚が地面を噛む。
股関節から膝、足首、足先へと伝わった力が地面を穿ち、全ての抗力、反力が逆流する。
ノーモーション。
全ての運動エネルギーが拳の一点へと収束した。
「せりゃぁっ!!」
ズドンっ!!
それはおよそ女子高生が出して良い威力でも、音でもなかった。
拳が、怪異の体に深々と突き刺さる。
次の瞬間、怪異は吹き飛び、部屋の調度品を散らばらせた。言葉にならない悲鳴が響き渡る。
残心。
教えられたわけでもないはずの、完璧なストレートリードを撃ち込んだ遥の勇姿が、そこにあった。
怪異は、何が起きたかわからない。もしかしたらそんな表情をしていたのかもしれない。
瑠衣がスタスタと近づく。
護符を手に呪を唱える。
「急急如律令、払え、払え、幽の世界へ。惡き御霊よ、自らの地へ。戻り給へ。——退魔滅尽——」
空間が歪む。
ノイズの様に触手の王が消えていく。
粘液まみれの遥。
何故か鼻血を出す瑠衣。
なんだか締まらない空気がそこには流れていた。
えっちな展開期待したやつ。
……正直に指を上げろ。
よし。
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