〈閑話12〉遥と靴箱
遥回
放課後の校舎には、下校する生徒たちの声がまだ少しだけ残っていた。
廊下の向こうからは、部活へ向かう生徒の足音。
階段の下からは、誰かの笑い声。
窓の外では、冬の夕方らしい薄い光が校庭を照らしている。
「みんな、お疲れ様ー。また明日ねー」
遥は、昇降口の前で大きく手を振った。
今日は部活のない日だ。そして珍しく、結女も郁佳も瑠衣もそれぞれ用事があるらしい。
四人で帰るのが当たり前になっていたせいで、ひとりになると少しだけ物足りない。
だが、牛島遥は切り替えの早い女である。
「さて、と」
遥は腰に手を当てた。
「今日は珍しく三人とも用事があるみたいだし、久しぶりにゲーセンでも寄って帰るかなー」
ひとりで遊ぶのも、嫌いではない。
むしろ、好きである。
クレーンゲームに音ゲー。
格闘ゲーム。
あと、何となく叩くと気持ちいい太鼓っぽいゲーム。
やることはいくらでもある。
「くっつばっこ♪ くっつばっこーっと♪」
謎の歌を口ずさみながら、遥は自分の靴箱の前に立った。
そして、扉を開ける。
ぱさり。
「ん?」
足元に、何かが落ちた。
白い封筒だった。
「なにこれ? 手紙?」
遥はしゃがみ込み、それを拾い上げる。
表には、丁寧な字で『牛島遥様』と書かれていた。
瞬間。
遥の中で、何かが跳ねた。
「……っは!」
息を飲む。
目を見開く。
封筒を持つ手が、わずかに震える。
「まさかこれは! 伝説のラブレター!?」
思わず天に掲げた。
下駄箱。
放課後。
封筒。
名前入り。
条件は揃っている。
揃いすぎている。
これはもう、そういうことなのではないか。
いや、そういうことであってほしい。
「え? ちょっと待って! 私にも心の準備がいるわよ!?」
誰も聞いていないのに、遥はひとりで慌て始めた。
周囲をきょろきょろと見回す。
誰もいない。
つまり、差出人はどこかで見ているのかもしれない。
いや、見ていないかもしれない。
でも、どちらにせよ緊張する。
「えっと、ええっと……」
遥は深呼吸した。
一回。
二回。
三回。
落ち着け。わたし。
お父さん。わたし牛島遥、齢十七にして初の……ラ♡ブ♡、をいただいたかもしれません。
うひゃー!
これまで幾多の戦場を駆け抜けてきた。
騎馬戦で敵陣に一人突撃したこともある。
バスターソードを振り回したこともある。
魔王エカテリーナに突っ込んだことだってある。
ラブレターくらいで動揺してどうする。
いや、ラブレターは別枠だ。
戦場とは違う。
これは乙女の戦いである。
「よし……!」
遥は意を決して封筒を開いた。
中には、やはり便箋が入っている。
「やっぱり中身は手紙だ! うわぁー、ドキドキするなー」
心臓がうるさい。
顔も少し熱い。
遥は便箋を広げ、文字を追った。
「えっと、なになに……」
声に出して読む。
出さずにはいられなかった。
「『拝啓、牛島遥様。今夜は月が綺麗です。中山田三丁目の公園でお会いできませんか?』」
遥は止まった。
月が綺麗です。
それは、あまりにも有名な言い回し。
つまり。
「お、おおー……!」
遥の目が輝いた。
「これはあの有名な、月が綺麗ですねって奴だ!」
来た。
来てしまった。
ついに自分にも春が来たのかもしれない。
いや、季節は冬だが、心の春である。
「よし、落ち着け? 落ち着け、わたし……!」
遥は自分に言い聞かせた。
まだ早い。
手紙は最後まで読まなければならない。
勢いで走り出してはいけない。
何より、相手が誰なのかも分かっていない。
だが、月が綺麗ですである。
これは期待してしまう。
「続きよ……!」
遥は、胸の高鳴りを抑えながら読み進めた。
「『満月の今夜は街灯もあるあの公園なら明るく、お互いがよく見えます』」
「うんうん」
よく見える。
それは大事だ。
恋愛においても、相手の顔が見えるのは大切である。
「『戦うには良い条件が揃っているので』」
「うんう……ん?」
遥の声が止まった。
脳が、一瞬だけ理解を拒否する。
いま、何かおかしい単語があった。
気のせいだろうか。
いや、気のせいではない。
戦う。
確かに、そう書いてある。
遥は無言で、続きを読んだ。
「『是非、私と一戦交えて頂きたく……』」
沈黙。空間で一人だけ白黒になった。その顔はちょっと見せられない。
放課後の昇降口に、遠くの笑い声だけが薄く響いた。
遥は、便箋を持ったまま硬直する。
そして。
「……果し状だこれ!!」
叫んだ。
全力で叫んだ。
そのまま、手紙を床に叩きつける。
「そんなことだと思ったわよチクショー!」
いや、思ってはいなかった。
むしろかなり期待していた。
期待していたからこそ、ダメージが大きい。
「う~……」
遥は、肩を落とした。
「わたしには春は……来ないの!?」
下駄箱の前で、ひとり膝をつきそうになる。
戦場では誰よりも前に出る。
剣を振れば敵を押し返す。
仲間のためなら迷わず突っ込める。
だが、恋愛方面に関しては、牛島遥はたいへん打たれ弱かった。
「よぉ。電光石火」
その時だった。
背後から、聞き覚えのある声がした。
遥は、涙目のまま振り返る。
そこに立っていたのは、潔谷保志だった。
元潔岳高校騎士部部長。
今は色々あって尼剃根栖高校の女子高生を経験し、口調が若干迷子になっている男である。
「探してたのよ。今暇か?」
「……」
「これから重音達と模擬戦やるんだけど、参加しねーか? お前とは一度戦ってみたかったしよ」
遥は、ゆっくりと立ち上がった。
足元には、月が綺麗ですから始まった果し状。
目の前には、模擬戦に誘う潔谷。
つまり。
どこを見ても、戦いだった。
「……私の周りはこんなのばっかか……」
「え?」
遥は、ぎゅっと拳を握った。
涙目のまま、潔谷を睨む。
「えぇ! やってやるわよ!」
「お、おう」
「ただし覚悟しなさい!」
遥の声に、怒りと悲しみと八つ当たりが混ざる。
「今私、超絶機嫌、悪いんだから!」
潔谷は一歩引いた。
「……え? どうしたの? いきなりキレて」
「知らないっ!」
遥は、果し状を拾い上げ、乱暴に鞄へ突っ込んだ。
そして、涙目のまま歩き出す。
「行くわよ!」
「いや、だから何があったんだよ……」
「聞かないで!」
昇降口に、遥の足音が響く。
その背中からは、戦場へ向かう時とは違う種類の闘気が出ていた。
恋は来なかった。
春も来なかった。
来たのは果し状と模擬戦の誘いだけだった。
だから牛島遥は、今日も剣を取る。
バスターソードの錆が、またひとつ増えるかもしれなかった。
遥ちゃん、可哀想可愛い笑笑
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