〈閑話11〉モブ子の日常 ——とある日のカラオケ焼き狸での出来事——
私の名前は、一発屋モブ子。
勉強とアルバイトに勤しむ、ただの冴えない女の子だ。
特技は、あまり顔を覚えられないこと。
接客業としてはどうなのかと思わなくもないが、世の中には顔を覚えられることで発生する面倒ごともある。そう考えれば、これはこれで才能なのかもしれない。
たぶん。
「いらっしゃいませー」
自動ドアが開く音に合わせて、私はいつものように声を出した。
ここは、カラオケ焼き狸・西和の花町店。
焼き狸という名前だが、別に狸を焼いているわけではない。
おそらく。
たぶん。
少なくとも、私はまだ厨房で狸を見たことはない。
「ご利用はお二人ですか?」
入ってきたのは、男女二人組だった。
男の子の方は、妙に緊張している。
髪型と服装は少し軽い感じなのに、態度だけが借りてきた猫よりもさらに弱い。
女の子の方は、ふんわりと笑っていた。
柔らかそうで、どこか掴みどころがない。
なるほど。
これは、何かある。
それなりに長いバイト歴によって鍛えられた私の勘がそう告げていた。というか、女の子の方はうちの高校の黒姫ちゃんだった。あ、男の子の方も見覚えがあるな。誰だっけ?
「う、うえーい! ふ、ふたりだけだぜ!」
まあいいか、とか思っていると、男の子が、やたらと力強く言った。
力強いのに、声が震えている。
ふたりだけ。
そこを強調したい気持ちは、とてもよく分かる。
分かるが、受付としては人数が分かればそれでいい。
「分かりました。ご利用時間はどう致しましょう?」
「と、とりあえず二時間で」
「承知いたしました」
私は端末を操作した。
空き部屋はある。
クリスマスシーズンなので混み合ってはいるが、まだ案内できる。
そこで、ふと思い出した。
そういえば、今日から期間限定キャンペーンが始まっていた。
店長が朝礼で言っていた。
カップル限定シュークリームタワー。
正直、名前からしてかなり浮かれている。
だが、無料サービスである。
客に案内しないわけにはいかない。
というか、面白そうだ。言わない手はない。
「あ、今クリスマスシーズンなので、カップル限定のシュークリームタワーをサービスしておりますが、いかがいたしましょう?」
「か、かかか、カップル限定!?」
男の子が、分かりやすく動揺した。
とても分かりやすい。
むしろ分かりやすすぎて、こちらが申し訳なくなるレベルだった。
「う、うえーい……結女さん、どど、どうしよう?」
男の子が、隣の黒姫ちゃんの方をチラリと見る。
色々透けて見えるが、言わぬが華となりにけり。
黒姫こと結女さんは、少しだけ考えた。
そして。
「お願いします」
真剣だった。
驚くほど真剣だった。
狩人と書いてハンターと読む。
きっと二人はまだ恋人同士ではないのだろう。
その目は、シュークリームタワーを前にした者の目だった。
甘味に対する覚悟がある。
恋愛感情よりも先に、糖分への意思が立っている。
私は、接客用の笑顔を崩さず頷いた。
「承知いたしました」
そして、マニュアル通りに続ける。
「それでは、カップルである証拠に『ラブラブきゅん❤』と手でハートを作りながらポーズをするか、ほっぺにちゅうを今お見せください♪」
「ぶふおぅっ!」
結女さんが吹いた。
先ほどまであれほど真剣だった顔が、一瞬で崩れた。
男の子は固まっている。
完全に固まっている。
カップル限定。
シュークリームタワー。
証拠。
ラブラブきゅん。
ほっぺにちゅう。
この世の情報量に、処理能力が追いついていない顔だった。
「あれあれー?」
私は、マニュアル通りに首を傾げる。
「カップルというのは嘘だったんですかー?」
もちろん、そこまで厳密に確認する必要があるのかは分からない。というか、嘘だとバレバレである。
だが、これも仕事である。そうなのである。
……いや、少しだけ面白くなっていたことは否定しない。
結女さんが、そっと男の子を見る。
男の子は、まだ固まっている。
その横顔を見て、結女さんは少しだけ頬を赤くした。
「……よしお君?」
「は、はひっ!?」
男の子――よしお君が、変な声を出した。
結女さんは、視線を少し逸らした。
耳まで赤い。
それでも、シュークリームタワーのために覚悟を決めたらしい。
両手を胸の前に持っていく。
指で、ぎこちなくハートを作る。
「ラブラブ、きゅん❤」
「ぶふぉぅ!」
今度は、よしお君が吹いた。心臓のあたりを押さえながら後ろに倒れた。ごとり。
「は、鼻血……鼻血が……」
いや、さっきの鈍い音、後頭部からイッたんだけど……大丈夫なの?
「あらー」
結女さんが、少し困ったように笑う。
私は、カウンターの下からティッシュを取り出した。
「こちら、お使いください」
「あ、ありがと……うえーい……」
よしお君は、震える手でティッシュを受け取った。
その顔は真っ赤だった。
鼻からも少し赤かった。
どうやら、カップル認証は成功したらしい。
「それでは、シュークリームタワーをお付けして、お部屋へご案内いたしますね」
「お願いします」
結女さんは、まだ少し赤い顔で頷いた。
よしお君は、ティッシュを鼻に当てたまま、どこか天国を見ているような顔をしていた。
私は、伝票を手に二人を案内する。
クリスマスソングが、店内のスピーカーから流れている。
廊下の向こうからは、誰かが音程を外しながら熱唱する声が聞こえていた。
私の名前は、一発屋モブ子。
勉強とアルバイトに勤しむ、ただの冴えない女の子。
特技は、あまり顔を覚えられないことだ。
だからたぶん、明日になればこの二人にも忘れられている。
ただし。
シュークリームタワーのために、真っ赤な顔で「ラブラブきゅん❤」をさせた女の子と、それを見て鼻血を出した男の子がいたことだけは。
なんとなく、覚えてくれている気がした。
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